第2話 警告は橙色に灯る

 背中まで伸ばした髪をき、クローゼットから淡いピンクのワンピースを手に取る。そして後頭部の結び目に赤いリボンを着け、少女はバスケットを提げ玄関を抜ける。


 ――その先に広がっていたのは、どこまでも続く森だった。


「えへへ、やっぱり春はいいな。森のみんなも楽しそう」


 何処からともなく聞こえてくる、小鳥達の軽やかな歌声。甲高い声や規則的な声が混ざり合い、さながらアンサンブルのようで。耳を澄ませているうちに、いつしか少女も歌っていた。


◇◇◇


 そうして辿り着いたのは、水面みなも輝く泉だった。少し離れた周囲には木々が生えており、うろは小動物が出入りしている。


「今日もいるかな?」


 少女はきょろきょろと辺りを見渡した後、自身の指を咥えて息を吹き込む。すると間もなく背後から、「キュキュッ」と返事が聞こえた。


「こんにちは、マリー!」


 声の主は、一匹のリスだった。手を振られたマリーは幹を伝い下り、少女の足下へ駆け寄る。


「えへへっ。今日はね、マリーが大好きな木の実を持ってきたんだ」


 少女はしゃがむと、バスケットから瓶を取り出す。そして中に入っていた木の実を一つ手に乗せ、マリーに差し出した。マリーは受け取ると歯で殻を割り、中身を噛り始める。


「ふふっ、美味しい?」


 少女もピクニックシートを敷いて腰を下ろし、泉を前にサンドイッチに口を付ける。その傍らでマリーは、尻尾を抱きかかえながら丸まっていた。


◇◇◇


 小一時間が経ち、バスケットも軽くなった頃。晴れ渡っていた空は、灰色の雲に覆われる。


「ふう……。天気も悪くなってきたし、そろそろ帰ろうかな」


 薄ら寒い風が吹き始めた空の下。片付けを終えた少女は、マリーに残りの木の実を渡そうとしていた。


「今日も遊んでくれてありがとう。これ、全部あげるね」


 残りといえど、彼女の頬袋が満タンになるほどの量。更に今は木の実が不作な時期なのだが、マリーは目もくれず。両の耳をピンと立て、必死に辺りを警戒していた。


「マリー、どうしたの? ……何かいるの?」


 やがて一点を睨み付けるマリーに、少女も釣られて視線を向ける。すると茂みの向こうから、ガサガサと草木をかき分ける音が聞こえた。


『……! もしかして人食い魔獣グィーヴァ!?』


 その音は距離を縮める一方で、少女の脚は震え始める。――もし本当に、人食い魔獣グィーヴァだったらどうしよう。武器も無ければ、逃げ隠れるところも無い。


「っ――」


 お願い、お願い、お願い。どうか、鹿や兎でありますように。少女が祈るようにバスケットを握り締めていると、冬の夜空のように冷たく澄んだ声が聞こえた。


「――おや。まさか、こんな所にもヒトが居るとはね。“世界を支配している”と、豪語するだけはあるようだ」


 茂みの中から現れたのは、そのどちらでもなく。漆黒のローブを身に纏う、端正な顔立ちをした青年だった。一見すれば、小綺麗な旅人のような姿の彼。しかしよく見ると、少女と異なる風貌をしていた。


 ――腰まで伸びた白銀の髪を三つ編みで束ね、を少し覗かせていたのだ。


 とはいえ、人食い魔獣グィーヴァでないことは確か。少女はホッと胸を撫で下ろし、紫の瞳を見つめる。


「その……お兄さんはどこから来たの?」

「私かい? 大陸すら異なる、遥か遠い場所からさ」

「遠い場所? それって、ここからわたしの家よりも遠い?」


 少女は小首を傾げながら尋ねる。すると青年は距離をとり、腰にいた剣のグリップに手を乗せた。


「……どうだろうね。時にキミは、この地で独り何をしているんだい?」

「肩に乗ってるこの子とお話ししてたの。マリーって言ってね、森で一番のお友達なんだ」


 青年が目を向けると、毛繕いをしていたマリーは少女の髪に隠れる。しかし青年は目を伏せ、僅かに口角を上げた。


「随分と仲が良いんだね。 ……ならば、なおさら伝えなければならない事がある」

「?」


 グリップから手を離した青年は、冷ややかな声で告げる。


「今宵この森は、数多の武装した人間に蹂躙されるだろう。故にキミは、陽が沈む前に家路に着くんだ。……何が起ころうと、決して明日まで森に足を踏み入れてはいけないよ。 良いかい?」

「う、うん」

「理解が早くて助かるよ。 ――では、私は失礼するよ」


 脅しとも取れる、一方的な警告。少女は困惑の色を見せるが、青年はフードを目深に被り、茂みの奥に姿を消した。


「ふしぎな人……」


 理解が追いつかず、少女は暫く立ち尽くす。“武装”、“蹂躙”、“立入禁止”。今夜、この森で何が起きるのだろう。少女は、意味が分からない単語を青年の雰囲気から推測する。すると彼が現れた茂みの根もとで、何かが輝くのが見えた。


「? あれ何だろう?」


 歩み寄って拾い上げる。その正体は、木の実ほどの大きさの蒼い宝石だった。

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