宝石箱に魂を添えて 〜魔法使いと禁忌の子〜

禄星命

序章 檻杜編

第1話 始まりの悪夢

 ――彼らの物語は、草木の芽吹く麗らかな季節に始まる。


◇◇◇


 赤みを帯びた茶髪の少女は、ひとりベッドの上でうなされていた。



 悪夢の中の少女は、今よりもずっと幼い姿で広い廊下を歩いていた。彼女を取り囲むのは、さしずめ石造りの城だろう。


 見上げれば、目眩がするほど高い天井が。横を向けば、地平線が見渡せそうなほど開けた窓が等間隔に設置されている城内。


 だが壁際では、身綺麗な大人達がひそひそと言葉を交わしていた。しかし少女は見向きもせず、古びた靴を鳴らしていく。



 そして軽く息が上がった頃、少女は一枚のドアの前で立ち止まった。


「はあっ、はあっ……。よかった、今日はまにあった!」


 人気ひとけのない廊下は、少女の独り言を反響させる。一方で少女は、後頭部に結んだリボンを直し、ワンピースをはたいた。


「えへへ、少しちぎれちゃったけど……おかあさん、よろこんでくれるかな」


 少女が手にしていたのは、数多の花弁をもつ、一本の紅い花。その何枚かは、細く引き裂かれた跡が残っていた。しかし少女は微笑みをたたえると、コンココン、と風変わりなノックをする。


「……あれ? へんじがない」


 耳を澄ませど、内部から声はせず。それどころか、物音ひとつすらない。「寝てるのかな?」。少女は首を傾げながらも、ドアノブをひねる。


「!?」


 ……しかし、答えは残酷だった。


「――っ、おかあさん! どうしたの!?」


 ドアの先では、少女と同じ髪をもつ女が喉を押さえ倒れていた。床には割れたグラスが散乱しており、質素なドレスは赤紫に濡れている。


「おかあさん! おかあさん!」


 少女は駆け寄り、女の手を取る。震える指先は、氷のように冷たくなっていた。


 咄嗟に視線を走らせる少女。しかし小さな部屋には、古ぼけたベッドとテーブル、そして椅子が一脚あるのみだった。成すすべもなく、少女は息の続く限り声を上げる。


「だれか、だれか助けて! このままじゃ、おかあさんが――」


 青ざめる女に、少女は必死に彼女の肩を揺さぶる。けれど呼吸は弱まるばかりで、少女は一層強く呼び掛ける。


「しっかり、しっかりして……! おねがい、しなないで!」

「……が」

「! おかあさ」

「無事、で……良かった。……ベ、ラ。あな、たは……じゆ……に――」


 女は強張る手を少女の顔へ伸ばそうとしたが、空を撫で床に落ちる。


「え――うそ、だめ……」


 少女が恐る恐る女の手を握るも、既に脈は失せており。だらんと重くなった腕が、床を引き摺った。


「あ……ああ……! おかあさん、おかあさん……!!」


 嘘だ。これは悪い夢だ。少女は女の胸に顔をうずめるが、突き付けられた現実に慟哭どうこくする。


「うあああぁぁぁーーー!」


 凍えた部屋には、少女の声だけが虚しく響いた。


◇◇◇


 そこで悪夢はブツリと途絶え、少女は赤い瞳を開く。


「はあっ、はあ……っ、はあ――」


 ベッドから飛び起きた少女の額には汗が伝い、シーツはぐしゃぐしゃに乱れていた。テーブルと椅子が一組あるだけの見慣れた景色に、少女は溢れる嗚咽を飲み込む。


「う、ううっ――」


 そして零れ落ちる涙をパジャマの袖で拭い、深呼吸をゆっくりと重ねていく。森を縁取る窓は未だ暗く、冷えた部屋に一層孤独を与えた。


 その現実から目を逸らすように、棚の上に飾られた額縁へ目を向ける。そこには月明かりに照らされながら微笑む女と、幼い少女の姿が描かれていた。


「っ……だめ、しっかりしなきゃ。いつまでも泣いてたら、天国のお母さんが心配しちゃう」


 “いつまでも笑顔でいてね”。少女は、かつて交わした母との約束にシーツを固く握りしめる。


「……おやすみなさい、お母さん」


 紡いだ言葉に、視界は再び歪み始め。少女はカーテンを閉めると、すぐにブランケットに包まった。


◇◇◇


 幾度も睡眠と起床が繰り返された夜を越え、少女は重い瞼をゆっくりと開く。


「ん……。あれ、もう朝……?」


 カーテンを開くと、晴天が木々を緑々と染めあげていた。少女も負けじと大きく伸びをし、日光を全身で受け止めると、棚の上の母に静かな挨拶を送る。


「……おはよう、お母さん。今日もいい天気だね」


 思い出せなくなった返事を、勝手に作り上げ微笑みかける。そうして少女は、簡単にシーツを直して階段を下りた。


◇◇◇


 少女が真っ先に向かったのは、自身と同じ背丈の冷蔵庫の前。二つあるドアの内では、野菜や魚が仕切りによって居場所を分けられていた。


「う〜ん……。今日の朝ごはんはどうしようかな」


 そんな食材達とにらめっこをしながら、頭を悩ませる少女。しかし不意に、短く声を上げる。


「――そうだ、サンドイッチにしよう!」


 少女は野菜とハムをカゴに入れ、軽い足取りでキッチンを目指した。

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