第3話 錬金術師、人殺しになる
「さて、今夜が山だ。わたしが番をするから君は家に帰りなさい」
「いやです。ここにいさせてください」
「なにからなにまで図々しいね、君は。そこまでいくと美点に思えてくるよ」
少女は部屋のすみでじっとしていたが、ハンガーにかけられたコートに目を留めた。
「このコートが、何故ここに!?」
「これを知ってるのか」
錬金術師は厭わしそうに視線をそらした。
「このバミューダ国で知らない人はいませんよ。"王庭の杖"。七人の賢者の証です」
杖が交差するマークが、コートの背中に縫い付けられている。目立つので錬金術師はこれが嫌いだった。
「でもどうしてこれがこんな廃墟に」
「廃墟で悪かったな。引っ越してきたばかりなんだ。これは知り合いに譲ってもらったのさ」
世捨て人の暮らしがそれなりに長かったためか、時間が過ぎるのが早く感じる。他人を疎ましく感じる暇もないほど忙しい。既に日も暮れかかっている。
錬金術師は庭で火を起こし、干し肉をあぶる。香ばしい匂いが宵の空に漂う。
「なんの肉ですか」
少女はしきりに鼻を鳴らし、獣肉に興味を示している。
「鹿。量は少ないから特別だからな」
肉の切れ端を皿に載せ、少女に渡そうとするが受け取らない。顔を背けるが、目を離そうとはしなかった。
「精霊さまの罰が当たったりしませんか……」
「そんなの信じてるのかい。子供だね」
子供らしからぬ深刻な表情を、錬金術師は茶化す。それが気に入らなかったのか、彼女はむっつり黙ってしまった。だが、肉はちゃっかり食べた。
腹ごしらえがすんでから病人のもとに戻る。しばらくは落ち着いていたが、夜中に苦しみだした。
「彼女の体力を信じるしかない。辛いがこればかりはどうしようもない」
桶に水をくんで布を湿らせ、病人の額に置いた。錬金術師は労苦をいとわず看病を続けたが、病人の容態は悪くなるばかりに見えた。しまいにはぱったりと息をするのをやめてしまった。
付き添いの少女までもが息をするのを忘れ、壁際によろよろと後退した。口から出たのは容赦のない罵声だった。
「頭ではわかっているんです。あなたがちゃんとやろうとしてたって……、でもごめんなさい。言わせてください。この人殺し!」
大きな音を立てて、少女は錬金術師の館を出ていった。
「人殺し、か…、なんて語彙力のない。やっぱり子供だな」
錬金術師は動じることなくその場に留まり、ろうそくの明かりを絶やすこともなかった。病人だった者の青白い顔だけが、明るく照らされている。
どしゃ降りの雨の中、馬のいななきが聞こえる。歪んだ音を立て、石畳に馬車が止まった。
馬車の前に身を投げ出し、ひれ伏すものがいる。地に頭をつけ、声高に叫ぶ。
「王妃さま、どうかお聞き届けください。お子さまの件、残念でございました。ですが」
嘆願を遮るように馬車の扉が開く。
「残念だった残念だった……、か」
豪奢な金細工の靴が、頭を踏みにじった。
「貴様にはその程度ですんでも、こちらはそうはいかぬ。我が子を失った痛みをそのように形容されるとは思わなんだ。こちらも礼を返そう」
頭部の重みは消え、代わりに罪の重みがのしかかる。
「クレア=ランバート。この時をもって貴様の爵位を剥奪する。工房は国家の預かりとする。祖父の代からの栄誉をこのような形で汚したことを悔い、生き恥をさらすがいい」
爵位の剥奪は、名前を奪われることに等しい。それ以上に激痛なのは工房を失うことだった。祖父から受け継いだすべてがそこに凝集している。
奈落の底に突き落とされ、崖をはい登ろうともがく。翼が折れても爪が折れても諦めない。そう思っていたはずだったのに、いつしか忘れてしまった。
心に蓋をして、名前を捨て、ただの錬金術師になった。
床に座っていた錬金術師は目を開けた。霧がかった朝の寒さに身震いする。
「また昔の夢を……、寝覚めが悪い。もう一度寝直すか」
固く目を閉じ、眠りに戻ろうとするが意識は冴え渡る。別の懸念を思い出した。こわばった体を起こす。来客を告げるノックの音。朝から騒がしいと顔をしかめる。
あまつさえ土足で踏みいられると、いよいよ怒る気さえ失った。
「お前が病人を毒殺したという女か」
覚えのない嫌疑で追及もされた。いよいよわけがわからなくなり話を聞くと、昨夜の少女が告げ口をしたとわかった。
病人ならそこで寝ていると錬金術師が言うと、聴衆は静まり返った。遠巻きにベットを囲んでいたが、やがて自分たちの認識が間違っていたと悟った。
「ああ、眠り損ねた。あの薬はよくきくのに」
錬金術師は嘆息しながら伸びをした。
病人に処方したのは死んだようにぐっすり眠れる、ただの眠剤だった。
あまりに深く昏睡するため、生きたまま棺桶に入れられることもある強力なものだ。
ぐっすり眠れる魔法がないため、錬金術師が作った劇薬。
クレアはこれがないと眠ることができない。
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