第13話 俺の瞳に映っている普通とは

 瞳に映っている妹は、“普通”だった。


 何を持って普通と考えるかは不明だが、それは人の視点や解釈によって変わるものだろう。


 妹の事を普通だと思えば、普通になる。

 しかし、妹の内側が分かれば、また考えも変わってくるかもしれない。


 今のところは、将人が感じている普通でいいと思う。

 そのような結論に至っていた。






「お兄ちゃんって、今日の朝はどうだった?」


 夕暮れ時の住宅街。

 少し前を歩いていた妹――佐藤架凛さとう/かりんは立ち止まると、パッと振り向く。体の正面を将人まさとへ向け、楽し気な口調で話しかけてくる。


「え……どうって普通だったけど」


 将人も、その場に立ち止まり、妹の顔を正面から見た。


「普通だとわからないよ。あの後、進展した感じ?」

「まあ、そうだな。進展はしたな」


 将人は妹の姿を見つつも、喫茶店での出来事を振り返っていた。


 羽生沙織はにゅう/さおりとは喫茶店で同じケーキを注文し、共に、その空間にいるひと時を楽しんでいたのだ。


 今日は妹の後押しがあったからこそ達成できた事。


 もし、妹がいなかったら、幼馴染と二人だけの会話もできなかったかもしれない。


 正直なところ、妹には感謝している。


「それからどうなったの? どこまで行けたの?」

「付き合うところまでは」

「付き合うって、正式な恋人として?」


 架凛は首を傾げる。


「違う。そこまでは進展していないから」

「もう、お兄ちゃんって、意気地なしだね」


 妹は頬を膨らませていた。


「しょうがないだろ。すぐにはそういう関係にはなれないさ」


 多分、幼馴染の方も告白の言葉を待っている可能性はある。


 プールの更衣室で、婚約の話をしてきたくらいなのだ。

 そう考えるのが普通だろう。

 しかし、今の自分にはその一言を告げる勇気は出せなかった。


 幼馴染の事を恋愛的に意識すると、どうしても、その先のセリフを口にできないのだ。




「早くしないと何も伝えられなくなるよ。いつまでも考え込んでいたら」

「そうかもな。でも、今月中には何とかする」

「……お兄ちゃん」

「なに?」

「本当に……今月が大事かもね」


 架凛はため息交じりに言葉を漏らした後。


「でも、お兄ちゃんからしたら頑張った方かもね。意気地なしって言って、ごめんね」


 妹は申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にしていた。


「いや、俺は別に気にはしてないけど」

「……ごめん。お兄ちゃんにも事情があるもんね。それはわかるんだけど、やっぱり、早くしてほしかったから」

「え、というか、なんで泣いてるんだ?」

「別に、なんでも。ただの汗だから」


 架凛は普段からそこまで感情を表に出す子ではない。


 今日は笑顔を見せたり、悲しんだり、少し様子がおかしい。


 おかしい?


 普通と違うからおかしいって決めつけてもいいのか?


 普通って、何だろうか。


 普通かどうかっていうのは、自分の視点であって、妹からしたら感情を表に出さないのが普通かもしれない。


 人によって答えが違うのに、一方的な決めつけはよくないと思う。


 将人は、その場で俯き、ため息をはいていた。




「そろそろ、日も暮れちゃうよ」


 架凛から話しかけられ、手を差し伸べられる。


 将人はゆっくりと手を差し出す。


 将人は妹の手を触った。


 少し冷たかった。


 だが、将人は沙織とさっきまで一緒に過ごしていたのだ。

 その温か手に残っているからこそ、必然的に妹の手が冷たく感じたのだろう。


 将人はそう自分の中で解釈した。






「ただいま」


 架凛が自宅玄関を開け、将人も入る。

 妹の声が自宅内に響くと、リビングの扉が開かれるのだ。


「帰って来たの。ちょっと遅かったんじゃない?」


 リビングから最初に顔を出してきたのは、母親だった。


「色々あったの。お兄ちゃんとバッタリと出会って。ちょっと遠回りしていたの」

「そう。でも、帰ってきてよかったわ。丁度いいし、将人。お父さんの方から話があるみたいなの」

「え? 俺?」


 まさか、婚約の話か。

 嫌だなと思う。

 遠ざけたい話ではあった。


 さっきと比べ、足の動きが遅くなった。






「んんッ、それでだな」


 リビングのソファに座っている父親。

 緊張した面持ちで、咳払いをする。


 テーブルを挟み、対面するようにソファに座る将人。


 母親と架凛は、夕食の準備のためにキッチンにいる。


 そんな中、二人っきりで真面目な話をすることになったのだ。


「以前な。話した東雲家のお嬢さんとの婚約の件なのだが」

「う、うん……」


 将人の体に緊張が走る。

 体が熱くなり、額から汗をかいてしまう。


 何を言われるのか、想像してしまうと、心の震えが止まらなくなるのだ。


「東雲家の社長さんの方で富裕層パーティーを開くことになってな。それに一回でもいいから、将人も参加してほしいんだ」

「俺が? なんで」

「あれからなんの返答もないからな。悩んでいると思って。そのパーティーに参加すれば、東雲家のお嬢さんとも会話できる機会もできるだろうし。そこで関わって、正式に考えてくれればと思ってな」


 父親から勧められた。


 い、嫌なんだけど……。


 あんな面倒で怖い副生徒会長と一緒の空間にいるなんて。


「けど、いつなの。そのパーティーって」

「明日だ」

「え? あ、明日? 金曜日⁉」

「そうだ。学校終わりの夜。開始時刻は夜の七時以降で、受け付けは六時からなんだが、どうだ? 金曜なら多少は時間があるだろ?」

「あ、あるけど……」


 将人は俯き悩んでいた。


 元々、東雲葵しののめ/あおいとは今週中にでも関わることになっていた。

 どの道関わらないといけないのならば、そのパーティーに参加した方が周りにも人がいるだろうし、少しは気が楽だと思った。


 それに今後、沙織に告白する事を考えている。

 この機会を利用して、東雲には直接断りを入れた方がいいのかもしれない。




「わ、わかった……それに参加するよ」

「本当か。本当に助かるよ」


 真面目そうな顔つきで話していた父親の表情は、束縛から解放されたように、パアァと明るくなっていた。


「じゃ、さっそく、その件について、東雲家の方に連絡を入れておくよ」


 そう言って、父親は勢いよくソファから立ち上がる。

 スマホを片手に連絡帳を開いて、電話をしながら、リビングから立ち去って行ったのだった。

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