第10話 この気持ちは…多分…

 放課後に近づくに連れ、心が楽になっていくような気がする。


 学校という空間から解放されるからだろう。




「じゃ、これで今日の授業が終わり。それと、さっき渡した社会のプリントがあると思うが、これは来週中までな。インターネットを使ってもいいし、図書館で調べてもいいから。絶対に空白は無しな。それじゃ、お疲れ!」


 社会担当の男性教師は妙に明るかった。




 それにしても今日も大変だったな……。


 教室の椅子に座っている佐藤将人さとう/まさとは、机に突っ伏したまま、ため息をはいた。


 少しずつ人が少なっていく教室内。

 将人は出来る限り、今日の疲れを追い払うように、全力で肩から力を抜く。


 今日の英語の授業中。六花と共に英会話の練習をすることになったのだが。クラスメイトからは嫉妬染みた視線で見られ、いつ何をされるか、ヒヤヒヤしながら過ごすことになっていた。


 結果として、何もなかった。


 隣の席の子が、六花だからこそ、逆に周りの連中も下手に攻撃を仕掛けてこなかったのだと思われる。


 六花からよく思われたいがために、奴らは良い人を演じているのだろう。

 そういう奴が一番面倒くさいのだ。






「そろそろ、移動した方がいいな」


 今日はやることがあり、先早に教室から出ないといけないのだ。


 そう思って背筋を伸ばした後、重い腰を上げて席から立ち上がる。


 机の上に置いた通学用のリュックに、今日の課題を押し込んだ。


 隣の席の六花はすでにいない。

 普段から、将人に対して敵視を向けてくる連中もいなかった。


 むしろ、その方が都合がいい。

 変に気を使う必要性がないからだ。


 今日。六花からの誘惑を乗り越えるのは大変だった。


 英語のやり取りというよりも、彼女の発音の仕方がちょっとだけ意味深な気がして、嫌らしさを感じたのだ。


 今日の学校はもう終わったんだ。


 心を落ち着かせつつ、ゆとりを持った精神状態のまま将人は教室を後にした。


 廊下では、別々のクラスの人ら同士が、帰宅する前に会話していたりする。






 幼馴染が在籍している教室は、隣の隣。


 教室の後ろ扉。将人は廊下サイドから、チラッと室内を覗き込むように見やった。


 その教室にいる数は少なく、迷うことなく沙織の席を見つけることができたのだが。


 あれ?

 いない?


 なんでと、疑問気に思い、首を傾げる。


 今日の朝。

 プールの更衣室にて、放課後に街中で一緒に遊ぼうという約束をしたのに、どこに行ったのだろうか。


 不思議に感じていると、右肩を軽く叩くように、誰かに触られた。

 振り向こうとすると右頬に柔らかい指先が当たる。


「引っかかったね!」

「んッ!」


 驚く顔を見せる将人。

 よくよく見やると、肩を触って来たのは羽生沙織はにゅう/さおりだった。


「どこに行ってたんだよ」


 将人は不満げに言った。


「ずっと近くにいたんだけどね」


 沙織は将人の頬から指先を離す。


「え?」

「多分、すれ違いになっていたんだと思うけどね。将人が、教室を覗き込み始めた時に私が前の扉から出てたから」

「そうなのかよ。驚かすなよ。普通に話しかけてくればよかったじゃんか」

「でも、普通だと面白くないし。それに、将人の焦った顔を見てるの面白かったけどね」


 沙織から笑いながら言われたのだ。


 刹那、彼女の表情から闇を感じた。


 将人はもう一度彼女の姿を見やる。


 気のせいか……。


 けど、気のせいではないような気もする。沙織の母親も言っていたことだが、沙織は何かで悩み込んでいるらしい。


 何を一人で抱え込んでいたのだろうか。


 それが解消されたからなのか、彼女の顔つきが明るくなった気がする。その真意は不明だが、何より元気になってよかったと思う。


「どうしたの、ニヤニヤして」


 沙織から顔を覗かれ、ドキッとした。

 驚き、胸元が熱くなる。


「え? え、い、いや、べ、別にしてないけど」

「してたじゃん。動揺した口調になってるし」


 彼女から、からかわれていた。


「えっとさ、沙織って、悩みとかある感じ?」


 将人の方から話の流れを変えた。


「え? 私にもあるよ……それくらい。無いと思ってたの?」

「そうじゃないけど。今は、何か明るいなって」

「うん……少しはよくなったから……」

「それで、悩みって何だったの?」

「それ聞く? 普通は聞かないよ、そんな事」


 沙織から逆にムッとされた。

 でも、すぐに顔を緩ませ、将人から視線を逸らし、それから寂しそうな顔を一瞬だけ見せていた。


 やっぱり、悩み事か。


 幼馴染が悲しむところは見たくなかった。

 だから、今日は沙織を楽しませられる場所に連れて行こうと思った。




「まあ、そんなことより、行こうか。約束だったし」

「そうだね」


 沙織はニコッと微笑んでくれた。

 彼女が緩やかな表情を見せてくれると、将人も内心、嬉しくなる。


 やっぱり、この感情は――


 その時、この感情は大切にしたいと思った。


 二人は、廊下の端で会話をしている人らの横を素通りするように歩き出す。

 歩いていると、曲がり角のところで、将人の手が彼女の左手の甲に当たる。


「な、なに?」


 沙織は軽く女の子らしい声を出す。


「いや、なんでも……ただ当たっただけ。それだけだから」

「そう……」


 こういう時、どうすればいいんだよ。


 意識し始めると逆に気まずいんだけど。


 色々と燃焼できず、モヤモヤしてくる。




「でも……いいよ」


 沙織の言葉にハッとした。

 彼女の方を見やる。


 沙織は、将人から若干視線を逸らしているが、少しだけ嬉しそうに口角が上がっていた。


 彼女の方から言葉にして表現してくる事はないが、何となく気持ちが分かった。


 未だに、沙織の恋愛指数の変化基準はわからないが、長年の付き合いだからこそ、言葉がなくても、感覚的に伝わるモノがあるのかもしれない。




「じゃあ、繋ぐ?」


 一階に繋がっている二階の階段廊下のところで、将人は手を差し伸べた。


「でも……人がいなくなってから」

「ああ……そういう事か。学校外でって事」

「……うん、そうだよ」


 沙織はコクンと小さく首を縦に動かしてくれた。




 二人は昇降口を抜けたところで、学校の校門のところが少々騒がしくなっていることに気づいた。


 よくよく見ると、校門の近くに大きなベンツが止まっているのだ。

 ただ事じゃない雰囲気が、その場所を支配しているかのようだった。


 そのベンツ近くには転校生の高嶺六花たかね/りっかが佇んでおり、ベンツからは黒服姿の男性二人が出てきたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る