第7話 約束だからね!

「準備遅いよー」


 朝食後の時間帯。

 身支度を済ませ。

 中学校指定の制服を綺麗に着こなす妹の声が、自宅内には響いていた。


「架凛が早いだけだから」


 制服が少々ぐしゃっとしている兄は、自室を後に階段を急いで下り、妹のところへ移動する。


「そんなことないから。お兄ちゃんがただ遅いだけ」

「そうか?」

「そうだって」


 自宅玄関で、兄である将人が、妹である架凛かりんと他愛のないやり取りをしていた。


 妹は何をするにしても早い。

 将人の方が先に生まれたはずなのに、妙にしっかりとしているのだ。


「靴履いた?」

「履いた」

「じゃ、早く出て、私が鍵を閉めるから」


 将人は架凛から急かされ、押し出されるように家を出る。


 背後から鍵が閉まる音が聞こえた。


「これで大丈夫」


 しっかり者の妹は、施錠を終わらせると、将人の方へクルッと正面を向けてきた。


「お兄ちゃん、ボーッとしてないで。行くよ」

「分かってるけど」

「それより、制服のボタン、一個ずつズレてるけど?」

「……え……?」


 よくよく自身の制服を見やると、妹の言う通り、ズレているのだ。

 急いで着替えてきたからこそ、変なヴィジュアルになっている。

 少々着心地が悪いと思っていたら、そういう事かと納得がいった。


 将人が制服のボタンを付け直していると、妹の架凛はすでに歩き出していた。

 将人は妹に追いつくように駆け足で移動する。


「お兄ちゃん、そんなにボヤッとしていると、色々と先を越されるかもよ」

「どういう意味?」

「それはお兄ちゃんもわかってるんじゃない?」


 冷静沈着な架凛は、左隣を歩く将人を確認するように目を向けてくる。


「……そうだな」


 架凛が言おうとしているのはわかる。

 だから、それ以上、将人の方から追及するような言い方はしなかった。






 幼馴染の羽生沙織はにゅう/さおりとは小さい頃からの仲である。

 今まで色々な経験を共にして生活してきた。

 良かったことも悪かったこともある。

 けど、今は高校生。社会人に近い存在であり、どんなに親しくても最低限の礼儀は必要だろう。

 それが少々欠如していたからこそ、幼馴染との心の温度差に亀裂が入ってしまったのだ。


 今日こそは、言い訳なんてせず、幼馴染に誠意を伝えようと思う。






 二人が歩いている通学路は、将人が通っている高校と、架凛の中学とほぼ同じ方向性なのだ。

 途中で別れることになるが、今日のように、たまには兄妹揃って通学する事もある。


 今の時間帯的に、それなりに通学路には人がいる。自分らと同じ学生なだけではなく、スーツを身に纏った社会人や、自転車で幼稚園児に連れていく主婦も見かけた。




「ねえ」

「なに?」

「あれ、沙織さんじゃない?」

「え⁉」


 通学路の、どこにいるのかと驚きつつも、辺りを見渡していると数メートル先を幼馴染が歩いていることに気づく。

 普段はそこまで接点のない架凛が、彼女の後ろ姿だけで、よくわかったなと思う。


「チャンスじゃない?」

「そうだな」


 佐藤将人さとう/まさとは足がすくんでいた。


「どうしたの?」

「いや……何となく」


 将人は妹から視線を逸らす。


「そういうところだから。お兄ちゃんのよくないところ。いいから早く行って!」

「え⁉ 俺にも心の準備が」

「お兄ちゃん、しっかりとしなよ」

「けど」

「お兄ちゃん!」


 二人が通学路で声を出し、やり取りをしていると、先を歩いていた彼女の動きが止まった。


 刹那、将人の心に衝撃が走る。


 このタイミングで沙織に気づかれるのは――


 そうこうしている間に、その場に立ち止まっていた沙織は振り向く。

 そして、しまいには、将人と視線がバッチリと合ってしまったのだ。




「……」

「……」


 将人は突然のシチュエーションに口ごもる。

 沙織からの反応もなく、次第に気まずくなっていく。




「――ん⁉」


 刹那、背後から妹から押し出された。




 転びそうになったものの、気が付けば沙織の近くに辿り着いていた。


「……お、おはよう……」


 急な展開に脳が追い付かなかった。


「なに」


 今、正面にいる幼馴染からは黒い覇気が放たれていた。


「ごめん」

「は?」

「いや、なんでも……」


 急に何謝ってんだよ、俺。

 意味不明な状況になりつつあるじゃないか!


 将人はチラッと、沙織の頭上を確認するように見やる。


 昨日と比べ、恋愛指数は微妙に変化していた。


 マイナス11から、マイナス14になっているのだ。


 これ、怒っている証拠だよな……。


「私、行くから」


 沙織が背を向けた。

 そして、歩き出そうとしていた。


 このままじゃ、ダメだ。

 何とか声を出さないと。


「……昨日の事はごめん。不快な思いをさせてしまって。自分がハッキリとしないせいで……」


 その言葉に、沙織は進む足を止めた。


「両親から紹介された婚約者の件とか。転校生の件とか。何とかするから、だから、ごめん……」


 沙織から放たれていた覇気が薄っすらとだが、鎮火しているような気がした。


「……本当に?」


 疑いの眼差しを見せてはいるが、ゆっくりと彼女は振り向いてくれた。


「本当?」


 将人と正面から向き合った彼女は、さらに距離を詰めてきたのだ。




「……本当だ」

「じゃあ、あの二人の婚約は断ってくれるんだよね?」

「……う、うん。そのつもりで」


 勢い任せにはなったが、現状の彼女の期待する笑みを崩したくないという一心で、思い切ったセリフをはいてしまった。


「信じてもいいって事?」


 沙織は突然、将人の右手を両手で包み込んできた。


 目を輝かせている。

 引くに引けない事態になり、首を縦に動かす事しかできなかった。


「じゃぁ、許そっかな」

「……本当に?」

「まあ、そういう意思があるなら。今回は別にいいかなって。でも、次はないからね」


 沙織は敵意のない、はにかんだ笑みを見せてくれる。


 彼女の頭上に浮かんでいる恋愛指数は、マイナス14から1になっていた。


 将人は嬉しかった。




 嬉しさと同時に、右手に感じる温もり。

 それは、幼馴染の両手だった。


「手は?」

「え? ……きゃッ、ごめん、そんなつもりはなくて」


 沙織は、将人の手を両手で触っていたことに、今更ながらに気づいて頬を紅潮させていた。


「別にいいんだけど」

「……え?」

「い、いや、なんでもないよ。それより、そろそろ学校に行こうか。時間的にも」


 将人も照れ笑いをし、自身の感情を少しだけ隠した。


「そ、そうだね……あれ? それより、架凛がいたような気がしたんだけど」


 将人も背後を確認するのだが、すでに、そこには妹の姿はなかった。

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