狂気⑧

 ピタリッとリッチロードの動きが鈍くなる。

 身体を震わせ何とか動こうと試みているようだが、ピクピクと小刻みに震えるだけでその身体は言うことを聞かない様子だ。


「間に合ったようだね」


 私達は声のする方に視線を向ける。

 そこにいたのはガモウと弓を持ったアイサイトだった。片方の手には弓矢も握られている。


 アイサイトはすかさず弓矢を上空に放つ。

 放物線を描いた弓矢は重力の力を借りると、真っ逆さまにリッチロードの身体を……否、リッチロードの真横を掠める。


 カランッとリッチロードは持っていた杖を地面に落とした。

 今度は両腕も動かなくなった事で、リッチロードはようやく異変の正体に気付いたようだ。


 アイサイトの放った矢は本体を狙ったのではない。影を狙ったのだ。

 リッチロードの影を確認すると、後ろには胴体に一本、両腕両足にも一本ずつ、合計五本の弓矢が影を射止めていた。


「さあ! トドメを!」


 アイサイトの言葉に押されるように、私は動けないリッチロードに向かって突進し、槍に変形させた自分の杖を胸元に突き刺した。


 どす黒く濁った冷たい血液を全身で浴びる。

 と同時に、不気味な視線も同時に浴びるのだった。


 恨みとか痛みとか、そんな悲痛を感じさせる視線ではない。

 同じだ。こんな状況にも関わらず、最初と同じ生気を感じさせない不気味な視線で私を見るのだった。


 リッチロードは最後までその口を開かなかった。

 聖水の効果で不死の力を失った身体が徐々に消えていく。天に塵となって飛んでいく。


 結局、この魔物は何だったのか。私達は最後の最後まで分からずに戦闘を終えてしまったのだ。


 ――――――――――


 その後私達はリッチロードに操られていた死体達を集め、写真を撮り、護送ペリカン達を呼びそのすべてを渡した。

 大量の死体すらも丸呑みにする大きい嘴。中は一体どんな造りになっているのだろう。


 そんな事を考えつつも、護送ペリカン達は嫌な顔ひとつせず、その場をバッサバッサと飛び去って行った。


「あー疲れたぜ! 早く馬車の中でゆっくり眠りてー」

「フフッ、さっきまで仲間の死を悼んでいた人間とは思えないセリフだな」


「死を悼むなんて表現がオーバー過ぎるぞ。俺はただアイツ等に「お疲れ」って言ったまでよ。他に特別な事なんて何もしてねー」


 と、いつもの口調で話を返すロジャー。

 お疲れ、か。短い言葉だが、肩の力がスッと抜ける、開放的な言葉。呑気で楽観的な性格なロジャーらしい言葉だ。


 それだけ騎士の死というのは常に付き纏っている事でもあり、彼にとっては見慣れた風景のようなものなのかもしれない。

 エルゴエハールの習いに沿った別れの言葉なのか、元騎士であるロジャーとして言葉なのか、それは私にはわからない。


 ただ、死体を運ぶペリカン達を見つめるその瞳には、どこか人間臭さを少しだけ感じる事が出来た。

 それに比べ、私はもう『死』という悲しみを理解など出来ないと思う。

 

 だって私は『死』という名の解放を自ら望んでいるのだから。


「……動くな」


 不意だった。私とロジャーが帰りの馬車に向かおうと脚を動かそうとしたその時、男性の声が私達に静止を求める。

 正確には私に……だ。同時に後ろから殺気と鉄の矢尻を突きつけられる。


「――テメー等……いったい何のつもりだ⁉」

「黙って。キミには関係ない」


 ロジャーは先に後ろを振り向いた。

 その言い方だとロジャーの知る人間という事になる。まぁここには私を含めしかいないのだから当然か。


「答えてもらうよ、ルフラン。何故キミから狂気が……、悪魔と同じ臭いがするのかを!」


 アイサイト。確か山の出と言っていたのを思い出す。

 最初に彼は、私がここへ来る前ミルク入りお風呂入った事に気付いていた。そのプライバシー皆無の鼻で嗅ぎ分けたのだ。忘れるわけがない。


 そしてこの村に操られた死人がいる事も少量の血液から見破ってみせた。大した鼻である。


「おい、ガモウ! お前もコイツと同じだって事か⁉」

「……いや、儂は小僧からさっき聞いただけだ。あくまで付き添い、結果を見に来ただけよ」


 と、ガモウはあっさりとロジャーの問いに答える。


「さぁ、答えろ。何故キミから悪魔の臭いが……、僕の里を襲った悪魔と同じ臭いがするんだ⁉」


 と、アイサイトは声を荒くして私にそう言った。


 何を勘違いしているのだろう、私のどこが悪魔なのだろうか。

 そもそも私は彼の山里なんて知らないし、行ったことない。何処にあるのかもわからない。


 悪魔の臭いとはそんなに臭うものなのだろうか。

 私はそっと自分の服の臭いを嗅いだ。


 分からない。自分の匂いしか感じる事が出来ない。

 そうなると私の匂いって悪魔と同じ臭いなのかな、と思うと何気にショックだった。


 とりあえず誤解は解こう。このままではらちが明かない。

 私はゆっくりと後ろを振り向いた。


 アイサイトの顔が一瞬だけ変化したのを私は見逃さなかった。

 血の気が引き、青ざめ、まるで目の前に化け物がいるような、そんな表情を私にしたのだ。


 いや、その顔は流石にショックだ。傷ついた。女性を見る眼ではない。

 アステリアにいた時もそんな眼で見る人はいなかった。どちらかというと、寧ろ慕われていたほうなんだが。


 いや違うな、ひとりだけいた。私を虫のように見る男が。

 表情は違えど今のアイサイトの顔は、何だかハイゼル卿の顔を思い出させる。忘れていた過去を彷彿とさせる。


 だけど、さっきも言ったが一瞬だけだ。

 アイサイトは表情を強張らせると、右手に握っていた弓の弦を更に強く握るのだった。まるで何かに怯えるように。


「私が……悪魔……? ア――ハハハハッ! 面白い冗談だ。キミには私がそんな風に見えるのか?」

「見えない! 見えないけど、僕の鼻がそう言っている。キミからあふれ出ている、隠しきれない狂気が僕の里を襲った悪魔だとそう告げているんだ! だから答えるんだ。キミは……僕の里を襲った悪魔達と関係があるのか⁉」


 里を襲った悪魔?

 私とロジャーが疑問に思っていると、そこにガモウが割り込んで話してくれた。


 アイサイトの故郷はとある山里になるのだが、約十年前に魔王軍によって滅ぼされているらしい。

 アイサイトはそこの生き残り、簡単に言えば戦災孤児だ。


 そんな彼をたまたま見つけたのが、別の仕事で通りかかったガモウだった。

 ガモウは幼いアイサイトを保護すると、知り合いの孤児院に預けたそうだ。


 そのため、ガモウとアイサイトは元々顔見知り。

 ただし、一緒に旅をしているわけではなく、今回は偶然集会所で一緒になっただけらしい。


「さぁ、言え! 言うんだ! これは脅しじゃない。僕は本気で――」


 やめておけ。同時にふたつの声が重なる。

 ロジャーはルフランを庇い矢尻の前に身を乗り出し、ガモウは震えるアイサイトの右手に優しく触れる。


「な、何のつもりだ⁉」

「武器向けられてんだ、当然だろ」


「ふーん、女だから庇っているのかい? それとも――」

「いや、仲間だからだよ」


 頭に血が上り、冷静さを欠いているアイサイトに、ロジャーはそう真剣に答える。


「……これ以上は駄目だ、アイサイト。とりあえず、武器を降ろしてくれんか?」

「ガモウさんまで……」


 アイサイトの顔から熱が引く。

 ふたりに諭されたからなのか、妨害されたからなのかはわからないが、アイサイトは弓を引く右手をゆっくりと戻した。


「何で……⁉ ガモウさんは僕の戦う理由を――⁉」

「……知っている。だからこそ、もうやめておけ。儂はそうも言っているんだよ、アイサイト……」


 あのガモウがアイサイトだけは名前で呼んでいる。

 保護して孤児院に預けただけとか、集会所でたまたま会ったって感じの薄っぺらい付き合いではない。会話からもふたりの関係は意外と深そうだ。


「……あの娘にはお前と戦う意思はない。感じられない」

「だけど、僕の鼻は――!」


「……それも何となくだが分かった。娘は魔物の血液を浴びている。恐らく、それがお前の鼻を過剰に反応させているのだろう。……それにあの娘は儂の作った聖水を渡してある。どうやら使用したみたいだし、仮に悪魔なら消滅はしなくても拒否反応ぐらいは出るだろう」

「――でも、僕は⁉」


「――アイサイト!」


 一喝。あの冷静な僧侶であるガモウが声を上げた。まるで我儘を言う我が子をしつけるように。

 本人も落ち着いたのか、ひと言「ごめん」と呟くと、降ろした武器を仕舞う。


 誤解が解けたのかは分からない。

 しかし、この場でこれ以上血は流さないで済みそうだ。仲介に入ったロジャーとガモウには感謝しなければならない。


「……娘、悪かった。さっきも言った通り、アイサイトは鼻が利く。恐らくその服に付いている血の臭いと、里を襲った魔物達の臭いを重ねてしまった。アイサイトの過去を考えれば仕方がない事なのだ。許してくれ」


「いえ、私の方こそ誤解が解けて良かったです。気にしないでください。寧ろ助かりました」

「……そう言ってくれると助かる」


 私は庇ってくれたロジャーにも礼を言った。

 「おう!」の二文字で返すと、さっそく気まずい空気になっているアイサイトへ絡みに行く。うざそうにしてはいるが、意外とこういう気遣いは嬉しいものだ。


 それにしても――。

 

(悪魔……か)


 エルクを鍛え上げ、自分を殺させようと企んでいる私は確かに悪魔だ。教師が教え子に望む願いではない事ぐらいはわかっている。私のエゴだ。

 でも、その行為はエルクを解放する事にも繋がり、彼の願いを叶える事にもなる。エルクにしか出来ない事なのだ。


 そして私はようやく……。

 いや、やめておこう。これ以上は考えても無駄な事だ。


 私は出そうになった涙をグッと堪えて、一足先に帰りの馬車に脚を動かした。

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