狂気④
私とガモウの予想は当たっていた。
村の中央では既に戦闘が始まっている。先程とは似て非なる魔物が武器を持ち、対象物を探していた。
似て非なる魔物とは先ほどの霊体スケルトンなどではない。もっと禍々しい、出来れば相手にするのを躊躇う、そんな魔物というか生物だった。
死人。
筋肉質な身体をした斧を持った男性に、頭にスカーフを巻いた中年の包丁を握った女性。中にはぬいぐるみを持った子供らしき者もいる。
身のこなしはとてもじゃないが戦闘をする感じではない。寧ろ日常感が前面に出ている事から、恐らくはここの村民だった人達だろう。
腕はだらしなくダランッと垂れさがり、斧のような重い物は支えきれないのか地面を引きずる嫌な音が耳に届く。
表情は下を向いているのでよくわからない。
が、露出している皮膚が灰色に変色しているため、生気が感じられない顔なのだろうと容易に想像する事が出来た。
私とガモウは物陰に隠れながら様子を伺う。
「……娘、これを渡しておこう」
ガモウは私に小瓶を手渡す。中には透明な液体が入っている。
「聖水……ですか?」
「……ああ。こんな事もあろうと作って置いた。本来なら金を貰うが、前金は既に貰っている。受け取ってほしい」
前金とは先程の護衛の事だろうか。
お互いの最適解を取った行動なのだが、どうやらガモウにとって護衛とは損な役回りとして捉えているようだ。
そんなに気を使わなくても良いのに。それでもガモウは断る私を押し切ってでも渡してくる。
そこまでされたら受け取るしかない。いや、寧ろここで断る方が逆に失礼か。
と、私はガモウからお礼の聖水を受け取る事にした。
この世界では聖水の価値は高い。
その理由は聖水を作れるのは聖職者の中でも僧侶か修道士のふたりだけであり、一日で作れる量もごく僅からしいのだ。
効果としてはアンデット系の魔物へ非常に有効な事だ。
それ以外では魔除け、呪われた装備の解呪にも効果があるらしい。
それともうひとつ。聖水には奇妙な噂がある。
僧侶と修道士にしか作れないのはわかっているが、何故一日に作れる量が少ないのか。
私はその理由をロジャーから最近聞いたのだ。
「……う、噂は本当なのでしょうか」
私は恥ずかしい感情を抑え込んでガモウに聞く。
「……何の話だ?」
「せ、聖水には……け、汚れなき乙女の体液が入ってるって――」
私の読んだ本にもいくつかそんな事が書かれていた。
が、書物という物も発行元が不明だと些か信用には欠ける。聖水について書かれていた本も発行元が不明だったので、恐らくは個人で執筆したか模写した物だろう。
だからこそ本物の僧侶であるガモウには聞かなければならない。
汚れなき乙女の体液が入っているのか、否なのか。
「……何故そんな事を聞く?」
「えっ⁉ それは……その……」
私はガモウに聞かなければならない。何故なら――。
「眠れなくなるからです!」
「……は?」
「ダメなんだ、私! 知らない事があるとモヤモヤして、考えただけで夜も眠れなくなってしまう! だからお願いだ、ガモウさん!」
ついつい目上のガモウに敬語を忘れる私だった。
そう。私は知らない事があるとモヤモヤしてあれこれ手に付かない性格をしている。
別にやらなくて良い。知識だけが欲しいのだ。やるのは材料や場所があればいつでも出来るが、知識を得る機会は限られる事が多い。
だから私は本が大好きなのだ。
本とは知識の塊。言わば著者の脳そのものである。いつでも、どこでもその知識を学ぶことが出来る。
仮に誤った情報でも私は構わない。
何故間違ったのか、何を伝えたかったのか、何を思ってこの本を書いたのか。それを考えながら読み解くのも本の楽しみでもあるからだ。
私は期待の眼差しでガモウを見つめた。
「……ふむ。若いのに探求心がある事は良い事じゃ。本来なら秘密ゆえ教える事が出来ないが、それぐらいなら娘には特別に教えてやろう」
教えてくれるらしい。
私は喉の溜まった生唾を飲んだ。
「……ゴクリ(唾を飲む音)」
「……汚れなき乙女の体液は――」
「……ゴクリ(唾を飲む音)」
「……入っとらん」
「――入ってない!」
入ってないらしい。本物の僧侶であるガモウが言うのであれば本当なのだろう。
そりゃそうだ。そもそも何故乙女の体液を入れる必要があるのか意味がわからなかったのだ。
だが、私は本の著者を責める事はしない。書いた本人も思い当たる節があったから書いたのだろう。
おかげで本物の僧侶に聞く機会を与えてくれたのだ。寧ろ感謝しているぐらいだ。
そうだ、忘れないうちにメモをしておこう。
私はローブの裏側からメモ帳を取り出すと、上機嫌でスラスラと書き残した。ガモウの呆れた視線など気にせず。
私達は再び、死人達を確認する。
目的があるのか、死人達の歩く方向は同じである。
ゆっくり、ゆっくりと。
靴の擦れる音。武器を引きずる音。隠す事無く、目的地に向かってただ歩いている。
逆に考えればそこには何かがある、という事となる。
私とガモウは建物に身を隠しながら、死人達が歩いている方向へ先回りする事にした。
すると、そこには見慣れたふたりが建物の裏に隠れていた。ロジャーとアイサイトである。
が、様子が少し変だ。どこかアイサイトは苦しい表情をしている。
私達は見つからないよう、慎重にロジャー達と合流を果たした。
「ロジャー!」
「おう、思ったより早かったじゃねーか。でも、おかげで何とかなりそうだな」
そう話すロジャー。
何とかなりそうだ、その言葉は今の状況があまり芳しくない事を示していた。
隣にいるのは呼吸を荒くしているアイサイト。
左肩は包帯でグルグル巻きにされ、赤いシミをジワリと滲ませていた。
「やぁ……、ルフラン」
苦しそうながらも、笑顔を送るアイサイト。
彼らしいと言えば彼らしい、が逆にその強がりが私を不安にさせる。
「油断したよ……。まさか……死人が魔法を使うなんて……、あまり戦った事がない相手だからわからなかったよ……」
「魔法……ですか」
ロジャーは「後ろの屋根を見てみな」と私に言う。
恐る恐る確認すると、屋根には確かに杖を持った男の死人が立っている。キョロキョロと辺りを見渡してる。
知能がしっかりとあるタイプ。明らかに対象物を探す行動をしている。
それは術者の魔力が器に大きく影響されている事も同時に意味するのだ。
「アステリアの上級魔導士……。それにあの顔はリストに載っていた人……」
最初に拾ったローブの持ち主なのかは分からないが、行方不明になっている冒険者のひとりである。
私は死人の魔導士を確認すると、身体を建物の影に戻した。
このままここに待機していては、いずれ見つかってしまう。
それに怪我を負ったアイサイトも残していけない。
私はこの場でロジャーとふたりで敵を食い止めている隙に、アイサイトを回復させる作戦を提案した。
「そんな作戦は不要だ……。僕はまだ……戦える……」
建物の壁を背に何とか立ち上がろうとするが、出血のせいでよろけてしまっている。
「そんな状態では無理です。一旦奥に退いて、ガモウさんの回復呪文を受けてください」
「でも……、あれだけの数、キミ達ふたりだけじゃ……」
確かに敵の数は多い。合流する前に見た数も加えれば二十体以上はいるだろう。
だが、ロジャーがいれば何とかなるとも思っている。
この男元エルゴエハールの騎士だっただけあって腕は確かなのだ。
「ガモウさん、治療までどれ位かかりそうですか?」
「……出血からいって五分。いや、三分くれれば動けるようにしてやろう」
アイサイトの腕から血の雫がポタポタと地面に落ちる。
ガモウはそれらから傷の度合いを判断し、私に三分の刻を要求した。
五分で完治、三分で戦闘が再開出来る程度……という事だろう。
これに関してはガモウに任せるしかない。私が使える回復魔法じゃ十分以上かかりそうだ。
「わかりました。だそうだ、ロジャー。いけそうか?」
私は隣にいたロジャーへ話しかける。
「仕方ねーな。ただし、遠距離から狙ってくる奴は頼むぜ。流石にそこまで対処しきれねーよ」
「ああ、それは私が何とかしよう。じゃあ、決まりだな」
ガモウはアイサイトの片腕を自身の肩に掛け、安全の所まで移動をさせる。
立ち去る際にアイサイトは「すまない」と、か細い声を残していった。
ふたりがいなくなったのを確認すると、私達は物陰から左右同時に飛び出した。
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