第九話 狂気①

 パトロラの集会所を出て丸一日たった翌朝、赤紙『行方不明者の捜索』の依頼を達成するため、私達は目的地であるニーゴエ村に到着した。

 

 辺りは濃霧に包まれ、視界を制限すると共に、朝とは思えないほどドンヨリとした空気になっている。


(……これは酷いな)


 約十年放置された村から生気は感じられない。

 私達が見た光景。それはもはや生活圏としての役割を留めていない、荒れつくされた廃村だったのだ。

 

 私達は二手に分かれ、廃村の調査を始める事にした。

 私とアイサイトは建物の中を、ロジャーとガモウは外を中心に調べる事とした。


 焼け崩れたレンガの家、悪臭を放つ井戸、胴体が半分に千切れている子供用の人形。

 最近まで瘴気に侵されていたせいだろうか、人工物の外壁には濁った黄色いシミのような汚れがあちらこちらに付着している。


「ん? これは……」


 アイサイトの目の前に落ちていたのは一着のローブを手に取る。何年も放置されていた割には綺麗に原型を保っている。

 ただ、私には見覚えがあった。


「……間違いない。これはアステリア製のローブですね。それもかなり上等なので、上級魔導士以上の方の物かと」


 物自体も傷んではいない。ここに放置されて左程時間は経過していないようにも見える。

 何か理由があって脱いだのか、それとも……。


「って事は行方不明者の物なのかな?」

「可能性はありますね。他にも何か痕跡があるかもしれません、探してみましょう」


 私達は調査する建物を変えた。

 別の建物を調べていると、そこでも奇妙なものを発見する事が出来た。


「これは……血?」

「うん、血だね。人の血だ。それもかなり腐敗の進んだ匂いがする。こんな少量じゃ君にはわからないだろうけど」


「わかるんですか?」

「こう見えて僕は山の出だからね。ンーその割にはイケメンだろ?」


 アイサイトの住んでいた所は山岳地帯であり、狩りなどを仕事とする民族だったため鼻が利くと言っていた。

 獣ほどではないが、山民は普通の人間より匂いを嗅ぎ分ける技術に長けていると聞いた事がある。


 そのため山民は自然と身体が大きくなりやすいとも聞くが、彼はどちらかというと細身である。

 イケメンと言っているのもナルシスト……というより、今のはイモっぽくないという意味が強いのかもしれない。

 

「例えばこんな事も分かるんだよ。ルフラン、キミは出発前お肌がスベスベになるミルクの入ったお風呂に入ったね」

「――ええっ⁉」


「それに口周りからは少し甘い香りがする。チョコレート……だね、それもとびっきりビターなやつ。甘いのは苦手なのかな?」


 歯を輝かせ、自信満々に私から香る匂いを推測するアイサイト。


 その推測は見事に当たっている。

 確かに私は出発前にミルク入りのお風呂に入ったし、馬車の中では皆が仮眠を取っている中、ひとり読書をしながらチョコレートをつまんでいた。


 まるで私生活を覗かれているみたいで恥ずかしい。っていうよりこれはある意味プライバシーの侵害なのでは?

 私は反射的にローブを内側に丸め込み、身体を隠してしまう。


「わ、私の調査はしなくていいんですよっ!」

「ハハハッ! ごめんごめん、つい癖でね。僕はどうしても手を出すより、先に鼻が動いてしまうんだ。それに……」


「……それに?」

「いや、何でもない。それよりこれをもう一度見てほしい」


 何かを言いかけたようだが、まぁ大した事ではないのだろう。


 アイサイトは床に落ちている血を指先で触れる。

 そのまま手を上げると、指先に付いた血は雫のようにポタリッと垂れてしまった。


 驚くことに、血は固まっていなかった。

 アイサイトは先ほどこの血から腐敗臭がすると言っていた。ということは、外に漏れてから大分時間が経過しているはずだったのだ。


 血液は外気に触れると固まる作用を持っている。

 それが固まっていないとなると……、他の要因が考えられる。


「原因はわからないけど、面白い痕跡だね。そのような病気持ちだったのか、はたまたのか。どちらにせよ調べ甲斐がありそうだ」


 アイサイトは腰を上げ、他の建物を調査するためその場を離れる。

 が、私はその場に立ち止まって動けなかった。


 確かに出血すると血が止まらない病気は存在する。だが今の魔法医学なら治せない病気ではない。

 私はその論文をアステリアで呼んだことがある。


 いや、問題はそこではない。


(死体が……動く……? フッ、まさかな……)


 仮に魔法の仕業だとしたら、そんな非人道的な事が出来るのは闇魔法しかない。イコール魔族の仕業だ。

 他にも日ノ国の呪術師が使う『憑依』という術でも可能だとも聞いた事はある。あくまで又聞き程度なのだが。


 ここで考えていても仕方が無い。

 邪念を振り払うかのように首を左右に振ると、私はアイサイトの後を追った。


 ――――――――――


 村に到着して約一時間が経過した。

 私達は合流し、各々の調査した結果を報告していた。


 上級魔導士のローブに妙な血液。

 他にも痕跡っぽいものはあったが、私とアイサイトが見つけた有力な痕跡はこのふたつだ。


「なるほどな……。俺達も冒険者が持っていたであろう装備品やら見つけたぜ。……後はこのガモウのおっちゃんが説明してくれる」

「…………」


 重要な事を発見したのか、ロジャーがガモウの背中を叩く。

 

「……狂気。この村には、僅かながら狂気の痕跡が残されている」


 口数の少ないガモウが、珍しくそう話した。

 彼は僧侶のため、悪魔などが好む邪気には敏感のなのだ。


「狂気……? 人が常に持っているものではなくてですか?」

「……欲まみれの狂気ではない。意図的に生き物の本能を駆り立てる、……奴等悪魔が得意とする狂気じゃ」


 この世界に狂気が二種類存在する。


 ――ひとつ目は『生物の持つ特有の狂気』

 

 これは生物の持つ様々な欲が引き金となり、自ら発症するもの。

 誰もが持っているものであり、決して消し去ることが出来ない、人として、知識を持っている生物としてのさが。主に物欲や意欲に反応する。


 ――ふたつ目は『悪魔が生み出す狂気』


 悪魔によって狂気を植え付けられた生物は、我を忘れてその欲のままに動く機械となる。

 正確にはその生物が持つ一番の欲を駆り立てる……が正解だろう。物欲が一番高ければ盗みや強奪を平気で行うようになるなど、自身のコントロールが全く機能しなくなるのだ。


 もっとシンプルに言えば、欲に対するリミッターが外れ、暴走状態になるのだ。


 そして何よりも厄介なのは、生物のとって一番の欲とは生欲である。

 と、いう点だ。


 生きたいという欲望は周りを敵にみたて、己の闘争本能を刺激する。

 結果、生物同士争い、ただ生きるための暴力や戦争に発展する。最悪な結末と言っていいだろう。


「じゃあこの辺りに悪魔がいるってことかい?」

「……少なくともいたと考えていい。奴らは気配を消すのが上手い、簡単には見つけられん」


 ロジャーは一冊の本を私に手渡す。


「これは?」

「他の冒険者の物だと思う。殴り書きっぽい所もあったから多分日記なんじゃねーかな?」


「多分?」

「いや、亜人語で書かれてるからわかんねーんだよ。ガモウのおっちゃんも分からないってよ」


 私はアイサイトに日記を見せたが、返ってきたのはノーだった。

 それよりも「言葉は通じなくとも、心が通じてれば良いじゃないか」と決め台詞を吐く自分に心酔している。


「魔法で翻訳とか出来ねーの?」

「アステリアで学んだ翻訳魔法はあるんだが……」


「なら使ってくれよ」

「……うーん。いや、あんまり使いたくないんだよなぁ……。どうしても使わないとダメかな?」


 私は歯切れが悪くしながらそう言った。

 アステリアで学んだ翻訳魔法にはひとつ特徴があるのだ。


 出来れば使いたくない。私にとっては威厳、イメージの問題なのだ。

 と目で訴えるが、アイサイトとガモウも説得に加わる。


「何だい、ルフラン。キミにしか翻訳出来ないのだからやってくれよ!」

「もしかしたら失踪の手がかりが書いてあるかもしれん。……頼む」


 私は顔を歪ませたはずなのだが、期待の眼差しが消える事はなかった。

 

 仕方ない、依頼のためだ。割り切るしかない。

 と、私は日記に魔術をかける準備を始める。


「……いいか、絶対にんじゃないぞ!」


 私は三人にそう言うと、渡された日記に『アステリアの解読リーディング』の魔法をかけたのだった。

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