第八話 辿異解放①

「ハァ……ハァ……!」


 暗い森の中を少女はひたすらに走る。迫り寄る実体のない何かに怯えながら、救済を求めてひたすら脚を動かした。


 ここがどこの森なのかは分からない。ただ、この走る脚だけは止めてはならない、と少女の脳が危険信号を身体に送り続ける。


 すると少女の前方に微かな光が現れる。助かった、と少女は安堵の表情を浮かべながら全力で光の下に走った。


 しかし、その光は希望ではない。その正体は森を焼く獄炎。少女の希望を焼き尽くす絶望の炎だった。


 明るくなった事で少女は後ろを振り向くと、そこには黒く巨大な影が彼女を呑み込まんと同じ速度で迫っていた。


「ヒッ!」


 少女は知っている、この影の正体を。

 

 少女は怯えている、この影の力に。


 少女は思い出した。この影から逃げるのは初めてでないと。


 彼に伝えなくてはならない。まだ終わっていなかったのだと。


 少女が辿り着いたのは獄炎に吞み込まれた小さな村だった。


 焼けた家が崩壊の音を轟かせ、逃げ遅れた人たちが炎を纏い窮愁きゅうしゅうのダンスを踊る。


「あ……あ……」


 少女はその場に崩れ落ち涙を落とす。


 間に合わなかった。救えなかった。と、自身の無力さに絶望する。


「●●●●●」


 自分を呼ぶ声。少女はゆっくりとその顔を上げた。


 目の前にいたのは黒髪の男。少女が良く知っている、この村の生まれの男だ。


 男は涙を流す少女にゆっくりと近づく。


 少女は男に手を伸ばした。


「――――!」


 声が出ない。少女は首を押さえ、必死に何かを訴えようとしている。


 助けて。助けて。助けて。


 男にはそう伝わったのだろう。


 だけど違う。少女は自分に近づいて欲しくなかった。「逃げて!」と叫びたかった。


 少女は知っている、この後の結末を。自分のとった行動が、この世界から希望を奪い取ってしまったことを。


 男が一定の距離に近づいた時、少女の後ろからゆっくりと巨大な影が姿を現した。


 その影は少女から伸びている。人型ではない、竜の姿をした禍々しい怪物の影であった。


 森の中で少女が逃げていたのは自分の影、自身の中に巣食う正体不明の脅威から逃げていたのだ。


 そうとも知らず男は少女に手を伸ばす。希望に満ちた、優しい手を。


 手と手が触れる瞬間、少女に与えられたのは優しい希望ではなく、生暖かい鮮血。


 男の上半身はいつの間にか無くなっており、辛うじて立っている下半身から噴水のような飛び散る血が少女の顔を真っ赤に染める。


 喰った。


 少女の影から伸びた竜の姿をした怪物が、待っていたと言わんばかりに男の頭上からかぶりついたのだ。


 一瞬の出来事に少女は無言の悲鳴を上げる。


 肉と骨を断ち切る音だけが少女の耳に響き渡る。まるで自分が食べているかのように――。

 

 ――――――――――


「いやだぁぁ――!」


 ベッドから勢いよく起きるルフラン。

 呼吸は乱れ、身体中は汗でビッショリに。隣のベッドにはハルが驚いた顔で横になっている。


「ハァハァ……。ゆ、夢?」

「ビックリしました。ルフランさん、いきなり大きな声出すんですもん。怖い夢でも見たんですか?」


「……いや、ちょっと昔の事を。すまない……起こしてしまって」

 

 ルフランは起き上がると下着姿を隠すよう薄い掛け布団を身体に巻き付け、部屋のカーテンを片側だけ開ける。


 鉱山の町 パトロラ。ギオルグ山洞から北東へ進んだ所にある大きな町で、その名の通り鉄鋼業が盛んな所だ。

 パトロラで作られた金属は非常に質が良く、大量の鉄を必要とする聖都エルゴエハールは大事なお得意様でもあった。


 ルフラン達はギオルグ山洞でホップ達と別れた後半日かけてここパトロラに到着したのだが、ここ数日足止めを食らっている。

 ルッサネブルクで路銀を盗まれた事によって資金不足となっており、現在はルフランが持っている残りのお金で何とか凌いる。


 とはいえ仕事の依頼を受けようにもこんな田舎町で十分な依頼など中々なく、集会所で待機をする状態が長く続いていた。


「今日もここで足止めですかね……」

「そうかもな。早朝の授業をしてくる、ハルはゆっくり休んでいてくれ」


 ルフランは着替えを済ませるとエルクを叩き起こし、早朝授業のため町の外へ向かった。


 ――――――――――


「グググ……」

「…………」


 大斧を構え、エルクは力を込める。身体から光が少しだけ溢れ空気を揺らすが、そこから一向に発展しない。

 力みを解き、大斧を地面に突き刺し肩で息をする。


「ハァハァ……。だ、駄目かー……」

(まぁこんなもんだな……。それにしても、ここ最近この子の成長には毎度驚かされる)


 学園の時もこれくらい真剣にやっていれば良かったのに。と、思うルフランだったが、それだけ学園の環境が悪かったのだろうと考えを変えた。

 留年の月日は勿体ないが、おかげで今のエルクに出会えたのだと考えれば逆に感謝している。


「いや、トリガー無しでよくここまで引き出していると思うよ」


 エルクはトリガーの意味をルフランに問う。


「その力を出した時、エルクは何を思って戦っていたか。それを思い出すんだ。」

「何を思って戦っていたか……」


 しばらく考えたのち、エルクは光の力が解放された時の記憶を呼び起こす。


 認められたい。守りたい。他にも色々な感情が湧き出てきたが、それが一番であるとエルクはルフランに話す。


「なるほど。もしかしたら、それはエルクの優しい心。言い方を変えれば『欲』から来ているのかもしれないな」

「欲?」


 エルクは人より魔法が上手く扱えず、魔法学院時代に落ちこぼれと蔑まれた過去を持つ。そのため人一倍承認欲求認が強いのだろう。

 

 自分の欲のためならその身を削る事すらいとわない。それが今のエルクの原動力なのだ。


「優しさと欲って全然違わない?」

 

 確かに言葉の意味は違う。だが、優しさという概念は元を辿れば欲に行き着く。と、ルフランは説明する。

 

 人は何故他人に優しくするのか。

 共感。繋がり。自己満足。見返り。


 探すとキリがないのは、それだけ人間が欲に動かされる生き物だということなのだ。


「エルクがあの力を使いこなしたいと思うなら、欲というトリガーを付けてやればいい」

「……どうやって?」


「力を解放したい時にイメージを持て。レモンを見たら唾液が出る、それぐらいシンプルで良いんだ」


 わかった、とエルクは大斧を再度構えると、目を閉じてルフランに言われた通り、力を解放した場面を強くイメージする。

 身体の奥底にある何かが光り輝くと共に、エルクの髪は根元から徐々に白く染まり始めていく。


 まだ足りない。そんな表情を浮かべながら、大斧を握る手と額からは汗がにじみ出ている。


「うおおおぉぉ――!」


 雄叫びと同時に大斧を地面に叩き付けると、半分まで染まっていた髪が毛先まで一気に染め上げた。


「――!」


 突風が一瞬だけ周りに放たれ、ルフランの黒いローブをバタバタと靡かせる。

 髪を真っ白に染めたエルクはゆっくりと瞼を開ける。瞳は鉛色の入った青色から透明感のある緑色に変わり、今回は両目共に変化していた。


 エルクは大斧を鏡代わりに自分の変わった姿を確認すると驚きの表情を見せる。


「で、出来た⁉ 見てくれよ先生、俺出来たよ!」

「フフフ、見てるよエルク。お前はやっぱり凄い子だ」


 エルクの達成感のある眩しい表情に、ルフランは自分の欲を満たしたような笑顔で返す。

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