姉弟②

 ルフランと別れて、ひとり交易地区に来たエルク。

 お昼時ということもあり、露店で軽く昼食を済ませ、広場を満喫する……予定だった。


「ごめんなぁ、今は間に合ってるんだ」


 話しかけられた男に断りを入れる。さっきからこんな事を何回も行っているのだ。


「あーもう、次から次へと……」


 ボヤキながら露店の脇で休憩を取る。表情は何だか疲れ切っている様子だ。


 それもその筈で、エルクはひとりになってから沢山の冒険者から雇わないかと声を掛けられていた。

 これらの冒険者は皆、集会所にいた連中だ。旅狩りという大物を倒した事により、エルクを名のある冒険者と勘違いして声を掛けてくるのだ。


 最初は有名人になったようで気分が良かったが、次から次に来る冒険者に嫌気がさしてきた。

 今はルフランとふたりなので雇っても良いのだが、お金は大半没収された挙句、勝手に雇ったら何を言われるかわからないと思うと断るしかない。


 エルクは気分を変えようと、海が良く見える港まで移動した。


「んー、気持ちいい……。本でしか見た事無かったけど、やっぱり海って広いなぁ……」


 港にある屋根付きのベンチに身体を預け、全身を伸ばす。

 朝あった船舶は既に出航しており、小さな手ごきボートのみが数船脇に待機している。


 この海の向こうには知らない世界が広がっている。

 波の音と潮風を感じながら、エルクは静かに目を閉じた。


「親……かぁ……」


 親じゃないんだから……。ルフランに言った言葉を思い出す。


 ――――――――――


 エルクには昔の記憶が無い。

 正確には思い出せないのだ。当初は自分の名前すらも分からなかった。


 気付いた時には、ベッドの中だった。アステリアガーデンに住む少女の部屋のベッド。

 熱があったのか、少女は濡れたタオル絞り、エルクの顔に滴る汗を拭き、おでこに置いてくれた。


 紫色の髪の毛に、透き通った水色の瞳、温もりを感じる安らかな香り。

 目にはクマを作り、必死に看病してくれたのを今でも鮮明に憶えている。


 少女は何度も笑顔で「エルク」と声を掛けてくれた。

 そこで初めて自分の名前がエルクであると認識出来たのだ。


 安心した。初対面のはずなのに、不思議と嫌な気持ちはなかった。

 まるで母親のような……、そんな安らぎを感じさせる少女だった。

 

 ある程度熱が下がり、声も出せるようになった頃、少女に名前を聞いた。


 少女はルフランと名乗った。自分の家族なのかと問うと、少女は首を横に振る。

 用事で外の世界に出た際、ボロボロの少年が倒れているのを見つけ、自身の住む国に連れて帰ったらしい。


 職業は講師をやっていると言った。通りで部屋中が本で埋め尽くされ、女の子らしい部屋ではないと思った。


 その後も少女はいろいろと世話を焼いてくれたのを憶えている。時間がある時には、嫌な顔せず勉強も教えてくれた。

 その他にも年上の先輩、筋肉質のバーのマスター、学院の偉いオバサン。みんなが助けてくれた。


 正式に学院に入ってからは絡む機会が減ったが、終わってからは予備校へ通う事にした。

 成績が悪いという事もあったが、本当はもっと教えて貰いたかったのかもしれない。


 最も家族へ近しい彼女に……。


 ――――――――――


「…………」


 エルクはゆっくりと瞼を開ける。

 そこは見慣れたアステリアガーデンではなく、外の世界に繋がる果てしない海。

 自分は巣立ったのだと、再認識するには十分な情報だった。


「そういえば、先生っていつから前髪上げてるんだっけ?」


 ルフランのチャームポイントである前髪上げ。本人は髪を切るのが面倒だからと言っていた。

 そのおかげか年齢より若く見られたり、ボーイッシュ感が出て女子からも人気だったのを憶えている。


 そんな事を考えていると、ベンチの後ろから肩を叩かれた。


「よっ! 少年」


 話しかけてきたのは赤髪の男。服装から見て冒険者か、背中には大きな大剣を担いでいる。

 そして何よりデカイ。筋肉質ってのもあるが、アステリアのバーのマスターと良い勝負をしている。


「お前さん、さっき集会所にいた少年だろ。旅狩りを倒したっていう」

「…………」


 この男もか、とため息を付く。

 さっきからこの調子だ。流石に説明するのも面倒になってきたのか、エルクは適当にあしらう事にする。


「おじさん、雇ってくれってんなら間に合ってるよ」

「ん、なんだ。わかっていたのか」


 男はベンチの前に移動すると、背中の大剣を横に置き、エルクの隣に腰を下ろす。


「隣座っていいか、少年?」

「いや、もう座ってるじゃん……」


 気にすんなよ、と笑顔で背中を叩かれる。

 なんてマイペースな男なんだ、とエルクは思った。


「って事は、俺の他に何人も?」

「おじさんで十人目だよ」


「なんだ、そりゃ嫌になるわな」


 エルクの方を見ながら笑顔を絶やさない。不思議とこの男は他の奴等とは違う、そうエルクは思った。


「少年、名前は?」

「……エルク」


「エルクか、良い名だな。俺はロジャーってんだ、よろしくな」

「……うん」


 悪い奴ではないな、とエルクはこれまでの会話からそう感じたのか、堅かった表情が徐々に崩れていく。

 少しずつ口数が増えるエルクに、ロジャーのテンションも上がってくる。


「お、やっと緊張が解けてきたな。まぁ初対面のこんなゴリゴリの男に声かけられれば、そりゃ警戒もするわな」

「ご、ごめん。俺あんまりこういう機会が無くて、どう反応したら良いかわかんないから……」


 エルクはロジャーにここまでの旅路について話をした。


「なるほど……。アステリア出身って事は、エルクは魔導士なんだな」

「まぁ一応ね。俺はてんでダメだけど、先生は凄い魔導士だよ」


「先生? もしかして一緒に集会所へ入ってきた、前髪上げてたねーちゃんの事か?」

「そうだよ、ルフラン先生ってんだ。ちょっと前まで予備校の講師やってたんだけど、今は俺の用心棒やってくれてる」


 ほぅ、と顎を擦りながら、興味津々に話を聞くロジャー。

 歳も近そうだったため、姉弟か同僚かと思っていたらしい。ルフランが若く見られるのはいつもの事だ。

 ついでにまだ独身なのも話しておいた。


「もったいねーな、あんな美人なのに。ずっと一緒にいたらお前もモヤモヤしちゃうんじゃねーか?」

「ハハ、先生をそんな目で見た事ないなぁ。昔っから面倒見の良いねーちゃんっていうか、そんなんだから……」


 血の繋がっていない姉弟みたいなもの。エルクがルフランに抱いている感情はこれぐらいだ。それ以上でも以下でもない。

 

 学校で居眠りしても。落ち込んでいても。

 揶揄っても。酷い事を言っても。

 ずっと側にいてくれる。本当の姉のように思っている。


 だから、そういうのではないのだ。と、心の奥にそっと閉まった。


「なぁなぁ、ロジャーは何でこの街にいるの?」

「ん、俺か? 俺はな……」


 興味本位でロジャーの話を聞き出そうとした時、エルクの背中に何かが触れる。


「うわっ!」


 後ろを振り向くと、そこら辺にいそうな特徴の無い男が立っていた。


「ごめんな、兄さん。よそ見してたらぶつかっちまった。許してくれ」

「ん、ああ。大丈夫だよ」


 頭を下げ、ぶつかった男は走ってその場を去る。


 エルクは違和感を感じ、急いで腰周りを確認する。


「あっ、無い! お金を入れてた袋が無い!」

「袋?」


 逃げる男の手には、エルクがお金を入れていた袋が握られていた。

 エルクはやっと自分がスリにあったのだと理解する。


「あの野郎っ! ごめん、ロジャー。話はまた今度!」

「お、おい」


 ロジャーに挨拶を済ますと、エルクは勢いよくベンチから飛び出し、男を追いかけた。


 ――――――――――


「はぁはぁ、ここまで来ればもう大丈夫だろ」


 お金の入った袋を盗んだ男は、ボロボロの民家の裏で上がった息を整える。


「や、やったぜ。二十万パル、大金だぁ!」


 男は盗んだ袋の中身を確認する。大金が男の眼を眩ませる……はずだった。


「あれ? 二十万パルってこんなに少なかったっけ……ん?」


 中身を確認していると、男の頭上からパラパラと砂のような物が落ちる。

 頭上を確認すると、そこにはエルクが屋根に立ちながら覗いていた。


「やっと追い詰めたぞ、この盗人!」

「ひ、ひぃぃぃ!」


 袋を抱え逃げ出す男の背中に、エルクは屋根から飛び降り、蹴りを入れる。

 衝撃で男は数メートル先に吹き飛び、その場に倒れ込んでしまう。


 エルクは背中に背負った大斧を盗人に向ける。


「もう逃げられないぞ! ……ん?」


 エルクの足元に投げられる袋。お金の入った袋だ。

 盗人を見ると、土下座をしながら手にはお金を数枚握っている。


「すまねぇ、兄さん! 金を盗んだのは謝る。だがこれだけ……、これだけ恵んでくれ!」


 手に握られている金は数えても数百パル。男はそのためだけに土下座をする。


「子供が腹空かせてるんだ! これだけあればパンを買ってやれる。頼むよ、兄さん!」

「……え?」


 大の大人が少年に金を恵んでくれと、土下座までして頭を下げる。

 その姿に、エルクは一瞬だけ怯んでしまう。


 さっきの動きから、こいつは窃盗慣れしている。今言っている事は嘘である、俺を騙そうとしている。

 と、正気の心がエルクを動かした。


「嘘つけ! だったら盗みなんかする前にお願いすれば良いじゃないか! お前は初めから盗む気マンマンだったんだろ⁉」

「恵んでくれって頼んで、誰がくれるんだ……。そんな神様みたいな奴いねーよ。頼む兄さん、この通りだ……!」


 ぐぐっ、とエルクは歯を食いしばりながら表情を歪ませた。

 

 その理由は、土下座する男は眼から涙を流し、地面を湿らせていたからだ。演技でここまで出来るのだろうかと、気持ちが揺れてしまっている。


 エルクは小さい頃に、ルフランにパンを買って貰った事を思い出していた。

 昼食で満たされず、パン屋の前でお腹を鳴らしながら眺めていたら、ルフランは「今日だけだぞ」とパンを買ってくれた。


 だとすれば俺はなんだ。あの時パンを食べなくても死にはしなかった。

 でも、この男の子供は何日も食べてないかもしれない。今もお腹を空かせて帰りを待っているのかもしれない。


 たった数百パル恵んでやればいいじゃないか。それで子供たちが助かるなら……。

 と、考えたエルクは男に向けた大斧を降ろす。


「……けよ」

「え?」

「行けよ。それでパンでも買ってやれよ」


 男は下げた顔を上げ、エルクを見つめる。


「良いのかい?」

「良いよ。その代わり、子供達には腹いっぱい食わせてやってくれ。後、アンタも盗みなんて辞めて働けよ。そうじゃないと子供が可哀そうだ……」


 男は「ああ、ありがとよ!」と一言残し、その場を去って行った。

 身なりは割とまともなのになぁ、と去る男の後ろ姿を見ながら残念に思う。


「んー! お金も取り戻したし、俺も帰ろっと」


 身体を伸ばし、エルクは宿舎が並ぶ繁華街に向かって歩き出す。

 途中階段を登り、大きな看板の横を通り過ぎる。そこには不吉にもと書かれていた。

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