第二話 追放と始まりと①
「マスター……、もう一杯……」
「はいよ」
アステリア内の飲食店が並ぶ道並み。そこにある一軒のバーにルフランはいた。
雨はまだ降っていて、ジメジメした空気が店内に残る。
それでも心地よいクラシックの音楽が耳を癒し、気さくで人気のマスター作る酒がここの売りである。
片手でロックグラスの氷をカラカラ鳴らしながら、何かにふけっている様子のルフランに、マスターが話しかける。
「らしくねーな。どうしたんだ、今日は」
「べつに。こういう日もあるの」
こういう日ねぇ、とグラスを拭きながら小声で呟く。
ルフランは残りの酒を一気に飲み干し、マスターに向かってグラスを差し出す。
「もう一杯……ヒィク」
「おいおい、飲み過ぎじゃねーか?」
少し心配しながらも、新しい酒を作るマスター。今日は雨ということもあり、客足は少なかった。
「大丈夫。いつまでも子供扱いしないでよ……」
「いや、金払えるか心配してるんだよ。俺は」
ルフランが毎度金欠なのは、身内では有名な話。
いつもはレブナンドとレインで良く来るが、その時はいつも奢られている。
ひとりでもたまに来店するが、あらかじめマスターにお金を渡し、その分だけ飲む貧乏スタイルを取っている。
「俺も飲んでいいか?」
「いいよ、一緒に付けといて」
明らかにいつもと違うルフランに動揺する。何だか不気味だったため、付けるのはやめておいた。
マスターは自分のコップにビールを注ぎ、ルフランの隣に座る。
「とりあえず、お疲れ」
「お疲れって……、客私しかいないくせに」
厳しいねぇ、と笑って済ます。マスターはビールをグイッと飲むと、ルフランに顔を向ける。
「何があったんだ?」
「何にもないよ」
「お前、昔っから嘘が下手だよな」
「……そうだっけ」
ルフランは顔には出ないが、態度には出てしまうタイプの人間だ。
普段見慣れたマスターには、ひとりで酒をガツガツ飲むルフランなど、雹が降ってくるぐらい珍しい。
「今日生徒を怒らせちゃって」
「お前がか? 珍しい事もあるもんだな」
ルフランが他人と揉めるなど聞いた事がない。って顔をしている。
それもその筈で、ルフランは教師になってから生徒と揉めた事など一度もない。
予備校の教師という立ち位置もあるが、魔法に関してだけなら、そこらの上級魔導士より教え方が上手い。
そういう所は非常に人気であり、とても揉める奴には見えないのだが。と、マスターは思いながらビールを胃に流し込む。
「私って、つくづくはぐれ者だなぁって……」
「⁉」
ルフランの顔はポーカーフェイスを保っているが、どこか寂しそうな雰囲気を醸し出す。
マスターはルフランの言葉に反応したのか、身体ごと彼女に向ける。
「おい、誰がそんな事を⁉」
「学院内で流行ってるらしいよ。私も有名になったもんだ」
酒の入ったグラスに口を付けようとした時、マスターがルフランの両肩をガッツリ掴む。
反動でグラスから酒が飛び出し、ルフランの太ももにかかる。
「ハイゼルか⁉」
「…………」
黙るルフラン。マスターの握る手の力はどんどん強くなる。
「痛いよ、ロイド」
「あっ……。すまない、つい」
掴んだ手を離すマスター。ルフランは体をクルリとカウンター側に戻す。
「あの野郎、許せねぇ……」
そう呟くマスターの手からは血管がびっしりと浮かび上がる。
元々筋肉質な体型なため、見た目だけならめちゃくちゃ強そうだ。
「別に嘘は言ってないからね」
「何言ってやがる! 少なくと俺は――」
何かを言いかけたが、ルフランが手を顔の前に出し静止させる。
「それ以上、キミが言ってはいけない」
「だがよ! お前だけが罪を背負う必要はないんだよ。だってあれは――」
「ちーす! マスターまだやってる⁉」
話を割るように入って来たのは、この店の常連だ。何処かで飲んで来たのか、顔は茹蛸みたいに真っ赤になっている。
「お! 今日はルフランがいるのか。こりゃあ酒が旨いぜ!」
「残念。もう帰るとこだよ」
なんでぇ、と悲しい声を出す常連。ルフランは「また今度ね」とあいさつを済ます。
「ルフラン、帰るのか?」
「うん、明日も仕事だから。マスター心配かけてごめんね」
そう言うと、そそくさとお店を出るルフラン。
すると、入れ違いでレブナンドとレインがお店に入ってくる。
「いやはや、凄い雨だねマスター。お邪魔するよ」
「ってマスター、さっきの子ルフランじゃない。あの子飲んでたの?」
「そうなんだよ、レインちゃん。マスターの奴泣かしてやんの」
そうケラケラと笑う常連の話に、眼を尖らせるレイン。
誤解だ、と二人に説明すると、さっきまでのやり取りを話した。
「ハイゼル卿ね、間違いなく」
「まったく、困ったお方だよ」
腕を組みながら、怒りまくるレインと呆れるレブナンド。
何とかならないか、と相談するマスターにレインは元気に答える。
「まかせなさいな。可愛い後輩のために、お姉さん一肌脱いじゃうわ」
そう言うと、常連から「脱げ脱げ」コールが始まる。
レインは履いていたハイヒールを、常連の口に放り込んだ。
「あとレイン。もうひと肌脱いでもらいたいんだが……」
マスターは金を払わないで出て行ったルフランの会計も、レインに土下座で願い出るのであった。
――――――――――
それから一週間と数日が経過する。
(明日卒検だというのに、今日も来なかったな……)
授業を終えたルフランは、教室で一人エルクの机を見る。
あの日以来、ルフランは湿地湖には出向いていない。どんな顔して接したら良いかわからないからだ。
(あの子にとって、私は邪魔者にしかならなかったな)
そう思いながら、帰る足は不思議とルフランの宿舎に向かっていた。
「え? 今日はまだ帰って来ていない?」
宿舎の大家はそう話す。ここ連日早朝に飛び出し、帰ってくるのは夜中だそうだ。
(エルクの奴、学校にも行かないで何をしてるんだ)
もしやと思い、歩く足は湿地湖に向かう。
到着すると、ルフランは木の陰からこっそり湖の方を覗く。
すると、木に向かって次々と基礎魔法を打ち込むエルクの姿があった。
(アイツ、今日もずっとあんな事を⁉)
岩の後ろにあった練習用の木は既に倒されており、さらにその後ろにある木も数本倒れている。
今打ち込んでいる木も倒してしまうと、力尽きたのかその場に倒れ込んでしまう。
「エルク!」
思わず身体が木の陰から動き出す。気付いた時にはエルクの上体を起こし、身体で支えていた。
魔力の使いすぎで疲労困憊ではあるが、意識はちゃんとあるようだ。
「せん……せい?」
驚いた表情を見せるエルク。
絶対来ないと思っていた人が目の前にいる。それだけで涙が溢れた。
「先生ごめ……グスッ。俺……先生の事何も知らないで……はぐれって……」
涙でせっかくの男前がグシャグシャだ。
ルフランは首を横に振り、笑顔を見せる。
「いいさ。基礎訓練、やってたんだろ?」
「俺ぇぇ……バカだった……。ちょっと成長したら……つけあがって……」
エルクは次の日から練習を一人で再開したが、それ以上の成長はなかった。
その時、ルフランの基礎練習が如何に大事だったのかを気付かされたのだ。
「私も、エルクが短時間であそこまで成長するとは思わなかったな」
「だがら……あの木倒して……。もっと倒して……ぜんぜいに見てもらおうっで……」
ルフランがはぐれになった話は、レブナンドとレイン、そしてエレクシアから聞いたそうだ。
三人は詳しく話さなかったが、ルフランはとある事故がきっかけではぐれになった事。
今もそれを引きずっている事。
そして、それを利用しようとしている者がいる事。
それらをエルクに話したのだ。
「先生……俺ぇぇ……、上手く……できだがな……?」
「……ああ、合格だ。バカタレ……」
首を縦に振り、うっすらと涙を浮かべるルフラン。
その言葉を聞いて安心したのか、エルクはルフランの身体に寄りかかりながら眠ってしまった。
「疲れ切って、眠ってしまうとは。こんな奴初めて見たぞ」
そっとエルクの前髪を優しくなぞりながら、静かで光り輝いている星空を眺める。
いよいよ明日、エルクの卒検が始まる。
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