始まりの国のはぐれ者③
次の日、ルフランはいつも通り予備校で講師の職務に励んでいた。
頭の包帯と頬の絆創膏について生徒に聞かれたが、階段から落ちたと嘘を付き、生徒からは笑い者にされた。
それでいい、自分の立場を今一度確認するように、今日も黒板に文字を綴る。
(あと一人、ここにいれば何も問題は無いのだけれど……)
目線の席は空いている。今日、エルクは初めて予備校を休んだ。
あの後、約束の湿地湖に出向いたが、彼の姿はなかった。
(当たり前だ。五時間も遅刻したんだぞ)
そう自分に言いつける。
(仕方ない、後で謝りに行こう)
ルフランは放課後の予定を頭で組みながら、今いる生徒たちに、いつもと変わらぬ授業を行った。
――――――――――
スラムの隣にある住宅区。そこのボロいアパートに、エルクはひとりで住んでいる。
「ここだったな」
エルクの部屋は二階。丁度プランターが置いてある部屋が、彼のいる部屋になる。
外にいた大家さんから、エルクは部屋にいると聞いているため、ルフランは二階の木製の窓に向かって石を投げる。
「あれ、いるんじゃないの?」
全然反応がない窓に、ルフランは何個も石をぶつけた。
すると、勢い良く木製の窓が開く。
「うるさいなー! 誰だよ」
怒った顔でエルクは外を見渡すと、そこにはルフランが鞄を持って手を振っていた。
エルクは急いで外に向かう。
「先生⁉ 何で⁉」
「何でって、休んだ生徒のお見舞いだ」
そう真面目に答えるルフランの姿に、エルクの方が心配になる。
「お見舞いって、先生の方がヤバイんじゃないの⁉ どうしたんだよ、その怪我……」
「あーこれか……。これはだな……その、階段から落ちたんだ」
苦笑いで嘘を付くルフラン。
「落ちたって……、何で?」
「階段から落ちる理由なんてたかがしれてる。私だってたまには考え事をするんだ」
そう言ったルフランは、エルクに頭を下げる。
「すまなかった。昨日はこれのせいで病院にいた。お前さえ良ければこれから付き合うが……、病人にはキツイかな」
エルクは首を横に振り、「二分で着替えてくる」と言い、自室に戻った。
「なんだ、仮病だったのか」
息を切らせたエルクが戻って来る。学校を休んだ原因が、病気ではなく一安心……。まぁそんな事ひとかけらも思っていなかったが。
ふたりは訓練場に指定した、湿地湖に向かう。
――――――――――
「よし、ここにしよう」
倒木の上に仕事用の鞄を置く。周りは森と湖に囲まれており、仮に魔力が暴発しても人的被害が出ないよう、最低限の配慮は出来ている。
「エルク、今できる最高の属性魔法を見せてくれ」
「う、うん」
エルクは湖の前に立ち、練習用の木剣を突き出す。
そして眼を閉じ、魔法の詠唱を行う。
「アーススパイク!」
…………何も起こらない。いや、起きてはいるが地面がモコモコと少し盛り上がっただけだ。まるでモグラが穴を掘った形跡にしか見えない。
分かってはいたが、ここまで酷いとは。
いや、それ以前の問題か。と、頭を掻く。
「おいおい、何で詠唱しない?」
「えー、だってこっちの方がかっこいいじゃん」
はぁ、とため息を付くルフラン。
今エルクがやったのは
「エルク、無詠唱のメリットとデメリットは?」
フルランは無詠唱の原理を問う。
「えーと、メリットは、詠唱時間が短縮出来る分、早く撃てる事です。デメリットは、口にしない分魔力調整が不安定になりやすく、威力が落ちる事だったかな」
「そうだな」
ルフランはエルクの側に近付き、もう一度問いかけた。
「じゃあ、もう一度聞くぞ。何で詠唱しない?」
「……かっこいいから」
ルフランは自分の上着を捲り、お腹の部分から分厚い本を取り出す。それ以降はお約束だ。
「イデェ――――! しがもにがい――――!」
今回はいつもより一発多い。ルフランの問いに対して、「かっこいいから」とふざけた事を続けて言ったからだ。
「バカタレ。まともに出せない奴が、無詠唱なんて使うな」
「うう……」
頭を押さえながら、衝撃で落とした木剣を拾うエルク。
今回彼がやったテクニックは、出来ても卒業検定で点数にはならない。しかし、失敗した場合は大きな減点になる。やるだけ無駄なのだ。
「大地に眠る数多の精霊達よ、我の声に示せ――」
エルクの詠唱が始まると、少しだけ空気が振動し始めた。
「アーススパイク!」
すると地面から棘上の突起物が一本勢いよく生えてきた。先端は鋭く尖っており、刺さったら痛そうだ。
よし、とガッツポーズをするエルクは、ルフランの方を向く。
「どう、先生⁉」
「どうって……、全然駄目だろ。こんなタケノコサイズの棘で何になるんだ」
ルフランは首を横に振り、否定する。
エルクが出したアーススパイクは、見た目の可愛いサイズの棘であり、とても何か負傷させられる代物ではない。
「じゃあ先生が手本見せてくれよ」
「ああ、いいぞ」
ルフランは湖に向かって手を伸ばす。
すると湖から、濃い茶色の巨大な棘が無数に姿を現した。その内の数本に、美味しくなさそうな魚が串刺しになっている。
ルフランが手を降ろすと、茶色の棘は崩れていき、水面の色を泥色に変色させた。これにより、棘の正体は湖の底にあった泥であった事がわかる。
「これがアーススパイクだ」
「す、すげぇ……」
レベルの違いを思い知らされる。エルクは思わず生唾を飲んだ。
「よし! 俺も……」
「待て、エルク」
エルクも負けじと練習を再開しようとしたが、ルフランがそれを静止する。
「お前『ロックショット』は使えるよな?」
「うん。属性魔法の最初の方で習ったやつだよね」
ロックショット、朱魔法の基礎中の基礎だ。ちなみに朱魔法とは、攻撃性のある魔法の事を言う。
「なら、ロックショットであの木を倒してみろ。ただし――」
そう言うと、ルフランは魔法で木の前に大きな岩を出現させた。
「あの岩を避けながら倒木させてみろ」
「はぁ? そんなのどうすればいいんだよ⁉」
ルフランはその場でロックショットの魔法を使う。
岩にぶつかると思いきや、土の塊は軌道を変え、横をすり抜け後ろの木に命中する。
するとあまりの衝撃に、木からは大量の葉っぱが落ちる。これでもかなり力をセーブしているのだ。
「こんな感じだ。わかったか?」
「わかりません!」
だろうな、と思いエルクに魔法のコントロール技術を教える。
魔法はただ放てば良いだけではない。対象物は動かない物もあれば、動く者もいる。
コントロールしていない魔法は、垂直に飛ぶか目の前に出るだけなので、それだけでは三流以下なのだ。
「どうだ?」
「何となくわかったけど、こんな基礎魔法練習して、本当に他の属性魔法使えるようになるの?」
予備校でここまでは教えている。しかし、基礎というものは単純でやりがいが無いことから、意外と軽視されがちだ。
そこには先人の知恵と工夫がたっぷり詰まっている事を、ほとんどの人は知らないのだ。
「ああ、それが出来れば卒検も大丈夫だ。ただし、出来るまでさっきの朱魔法は使うなよ」
「うん、わかった。じゃあ、やってみるよ」
そこからエルクの倒木訓練が行われる。
――――――――――
毎日、毎日。雨の日も風の日も。エルクは基礎魔法を木に放った。
最初は当たらなかった魔法も、今ではある程度揺らすまで出来るようになった。
しかし、卒検まで二週間を切ったある日。
会議で遅れてしまったため、数時間遅れで湿地湖に向かうルフラン。雨が降っているため、手には傘を持ちながら走っている。
「まったくあのクソ教頭、あの話は前々回したじゃないか。無駄な時間を……」
ブツブツ言いながら、ようやく目的地に到着する。
そこで見たのは意外な光景だった。
「アーススパイク!」
それは基礎練習をしないで、使うなと言った朱魔法を放つエルクの姿。身体をびしょ濡れにし、息を吐きながら、ひたすらに詠唱する。
「何をやっている」
「……先生」
エルクの側に近づき、傘の中に半分入れる。あまり大きい傘ではないため、ルフランの背中を雨水が濡らす。
息を切らす少年の眼は、何かに焦っているのか、余裕のない怒りの眼をしていた。
「基礎練習はどうした。見た感じ倒れているようには見えないが……」
「……もういいよ」
エルクは下を向き、そう小声で答える。
「何?」
「先生は俺を卒業させる気なんてないんでしょ? こんな基礎訓練で時間を無駄にして、後一週間とちょっとしかないのに」
エルクは唇噛み、ルフランを睨みつける。
何か誤解をしているようだが、この怒り、失望の様子は相当だ。
「見てよ、先生。魔力があり余ってるせいか、棘もいっぱい出るようになったよ。やっぱり最初っからこっち練習しとけば良かった」
「…………」
確かに初めて見た時より、数倍良くなっている。ただ、それは魔力があり余っているから……ではない。
「なぁ先生。はぐれって何?」
「⁉」
何故それを知っている、とそう思ったが、エルクがすんなり話してくれた。
「学院で噂になってるよ。ルフラン先生ははぐれらしいって。俺は最初信じなかったよ」
「…………」
「だからハイゼル様の所に行ったんだ。みんなハイゼル様が言ってたって言うから」
「そうか……」
それ以降は聞かなくてもいい。
あの男の事だ、ベラベラとエルクに言ったのだろう。あいつはそういう奴だ。
「はぐれって犯罪を犯した人に付く汚名だろ?」
「そうだな」
「じゃあ、先生は犯罪人って事かよ?」
「エルク……」
泣いているのか……。そっと顔に触れようとした手を、エルクは自分の手ではじき返す。
涙を流す青年の顔は、信頼していた人に裏切られた、そんな絶望に駆られた惨めな表情をしている。
「楽しかったかよ⁉ 落ちこぼれの俺が地面を這いつくばる姿が……」
「…………」
「笑ってたんだろ⁉ 才能の無い俺が、自分の玩具みたいに動く様を……」
「…………」
「何とか言えよ!」
そう叫ぶと、エルクは街のほうに走って引き返して行く。すれ違う際に肩が触れ、ルフランが持っていた傘が地面に落ちる。
どんどん小さくなる少年の姿を、ルフランは消えるまで無意識に見続ける。
「私はやっぱりはぐれ者だな」
そう呟くと、落ちた傘を拾い、ルフランも湿地湖を後にした。
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