化生の国の舞姫 ~生贄に捧げられたワシ、土地神に死ぬほど鍛えられた結果、知らん間に天下無双になっとった!?~

前森コウセイ

第1話 1

 ――あの日と同じ、空を覆うような紅い月が出ていた。


 ワシは巨石の上に立つ大猿を見上げる。


 ……ようやくだ。


 この日の為に、ワシは生きて来たと言っても良い。


「――小娘、ヨグ逃ゲズニ来ダナ。

 バ食ウ日ヲ楽ジミニジデダワ……」


 月光の紅を受けて、白銀の体毛を血色に染める大猿は、ワシを見つけてそう言った。


 この辺りの獣達を統べる、猩猩しょうじょう達の王。


 師匠が言うには、アレは瘴気を浴びて獣から生じた妖異なのだと言う。


 七年前――この山を縄張りにしたあの大猿は、麓にあるむらを襲った。


 始めは蓄えていた穀物倉が襲われ、やがて鳥や牛が襲われるようになった所で、奴は人々に告げたのだという。


 ――年に一度、生贄を差し出せば、邑を襲わずにおいてやろう。


 そうして……親を亡くして長に引き取られていたワシは、生贄に捧げられる事になった。


 三つの頃の事だ。


 今、こうしてワシが生きているのは、師匠が助けてくれたからだ。


 ――こんな童女わらわめなど食い出がなかろう?


 拳ひとつで大猿を黙らせた師匠はそう告げて、ひとつの取引を持ちかけた。


 ――この娘が十になったら、再びこの場に立たせよう。それまでは大人しく待っているが良い。


 それは取引というより、圧倒的な力を背景にした脅しだったのだと、今ならわかるのだが、ともかく師匠の言葉に大猿は渋々ながらも従った。


 そうしてワシは師匠に引き取られ――


「――抜かせ。あの頃のワシと思うなよ……」


 この七年、奴に打ち勝てるよう鍛え上げられた。


 ワシの言葉に、大猿が率いる猿――猩猩しょうじょう共が、興奮したように吠えた。


 七年前のワシは、あの声だけで竦み上がったものだ。


 ……だが、今、ワシは笑えておる。


 師匠の本性に比べたら、大猿も猩猩しょうじょう共も、小物も良いところだ。


 ガサリと背後の藪が鳴いて。


「――シノっ!」


 ワシの名を呼ぶ女の声。


 目線だけをそちらに向けると、護衛の武士らを引き連れた女児の姿があった。


「……アメ、来るなと言ったろう」


 今日の為に師匠がワシに拵えてくれた水干に緋袴。


 藪から飛び出してきたアメの格好は、それをさらに金糸で縫い上げた豪華なもので、とてもではないが山歩きをするようなものではない。


 武士のひとりが背負子を背負っているから、恐らくあれに担がれて来たのだろう。


「――嘘ヅギ! 一人デ来ル約束ダッダロウ! ナンデサブライガイルッ!?」


 大猿が吠えて、猩猩しょうじょう達が石を投げつける。


 武士達が腰に佩いた剣に手をかけて。


「――待て! ヤツらは見届人だ! 手は出させない!」


 ワシは声を張り上げて、大猿に告げた。


「……見届人? ワガラネ。、ワガラネ言葉デ騙ゾウドシテル!」


「ハッ! 多少、知恵はあっても所詮は猿か。

 良く考えてみろ。

 おまえらを騙す気なら、あんな小娘達じゃなく、師匠を――アカメを連れて来てると思わねえか?」


 ワシの言葉に――師匠のその名に、猩猩しょうじょう達が怯えたように、手にしていた石を取り落し、悲鳴をあげてその場に身を縮こまらせる。


「――アガメ! 忌々ジイ、マヅロワヌ神ッ!」


 大猿が空を覆う紅月に吠えた。


「アイヅ、言ッダ! ガ十ニナッダラ、食ワゼルド!」


「ああ、そういう約束だったな」


 ワシの答えに、大猿は長い舌でべろりと口の周りを舐め回す。


「――シノっ! ダメ! やめなさい!」


 アメがなおも叫ぶけれど、ワシはもうそちらを見ない。


 月夜に赤い眼をギラつかせる大猿を見据えて、ただ無造作に身構える。


 胸の奥に眠る魔道の源――士魂を強く意識すれば、大気が鳴いて笛の音を奏でた。


 周囲に色とりどりの燐光が湧き立ち、笛の音に合わせて踊り出す。


 ――魔道の基礎たる『舞台』の構築。


 この場において、ワシはもはや人の身の外に足を踏み込んでいる。


「――ナ、ナンダ!?」


 戸惑いの声をあげる大猿に、ワシは右手を振って煽ってやる。


「さあ来いよ、エテ公! ワシを食らうのだろう!

 ――まさか、ビビってんのかぁ!?」


 瞬間。


 大猿は咆哮をあげて、大岩を蹴った。


 紅月を背後に飛び上がった大猿に、ワシは笑みを浮かべて呼気を放つ。


「――猛れ!」


 それは世の理を捻じ曲げる、力あることば


 襲い来る大猿の動きがひどくゆっくりになり、ワシはこの七年でこの身に叩き込まれた動作そのままに両手を頭上へ。


 それだけでワシを一掴みにできそうな、大猿のその右手が触れた瞬間――


「――フッ!!」


 その丸太のような中指を両手で引っ掴み、半身を引いて身体を回す。


 弧を描くように大猿の巨体が宙を舞って。


 ――激震。


 そして甲高い大猿の悲鳴。


 地面が割れて、土砂が高く噴き上がる。


「――なぁっ……」


 武士達が驚愕の声をあげた。


 ワシは油断なく後に跳んで、大猿の反撃に備えたのだが……


「――んん? あれ?」


 大猿の奴め、目を回してノビておった。


「おい!」


 脇腹を蹴りつけたが、ウンともスンとも言わん。


「……まっさかぁ……」


 これで終わり?


 大岩の上の猩猩しょうじょう達に目を向けると、奴らは悲鳴をあげて逃げ出した。


「ええぇ~?」


 こんな終わりのために、ワシ、あの辛い修行をしてきたの?


 朝から晩まで、死ぬような――いやいや、死んだ方がマシと何度も思った、あの辛い修行を……?


「ちょ……まだなんかあるだろ? 本性晒すとかできるんだろ? おいって……」


 ワシ、思わず大猿の胸に馬乗りになって、ゲンコツを食らわせたよ。


 途端、大猿は目覚めて。


「ヒイイイ――ッ!!」


 胸の上のワシに気づくと、奴は跳ね起きた。


 ワシは後に跳んで、再び構えを取ったのだが。


「――モウジマゼン! ゴメンナザイ! 許ジデ! 殺ザナイデ!」


 まさかの土下座っ!?


「えぇ~?」


「だから言ったのです。シノ……」


 脱力するワシに、アメが駆け寄って来て、呆れたように告げる。


「あなたの魔道は、すでにこんな小物を凌駕しているのです」


「いや、小物って……」


 この七年、こいつにむらはずっと脅かされて来たんだぞ?


 師匠が目を光らせてたから、被害は出てなかったみたいだけど。


「とはいえ、無益な殺生をしなかったのは良かったですよ。良い子です」


 と、ワシの隣に立って、頭を撫でてくるアメ。


「んん? それってワシに、こいつを殺すなって言ってるのか?」


「――オ願イ! 殺ザナイデ!」


 ワシの言葉に反応したのか、大猿は割れた地面に頭を埋めて悲鳴じみた声をあげる。


 その姿は、先程までの大妖めいた雰囲気なんて微塵もなく、ひどく憐れみに満ちていて――なんか、弱い者いじめでもしているかのような、罪悪感まで湧き上がってくる。


「元々、わたし達の目的はこの妖異の調伏であって、殺生ではないと伝えましたでしょう?

 土地神様――アカメ様が望まれるので、先手をあなたに譲りましたが――あなたの目が本気だったので、わたし、ヒヤヒヤしました」


「いや、本気で殺すつもりだったんだが……」


 まさか投げ技一発で戦意喪失するとは思わんかった……


「あんだけイキっておいて、この猿……」


 憤るワシに苦笑を漏らし、アメは大猿に一歩を踏み出す。


「ねえ、おまえ。殺されたくないのでしょう?」


 アメの問いかけに、大猿はブンブン頭を振ってうなずく。


「――ならば調伏を受け入れ、我らがマツリベの式鬼シキとなりなさい」


 ニコリと笑みを浮かべるアメに――大猿は恐らくそれがなにを意味するのかもわかっていないだろうに――、命惜しさに即座にうなずく。


「では、みなさん。調伏式の用意を」


 その言葉に応じて、武士達が慣れた手付きで大猿の周囲に縄を張り巡らし、酒を撒いて陣を築いていく。


 ワシはあまりにも呆気ない終わりに脱力して、その場に座り込んでしまったよ。


「――終わったようだな?」


 と、不意にかけられた声に頭上を見上げれば、紅い着流し姿の美しい女――アカメ師匠が立っていて。


「……これ、終わったって言うのかなぁ? なんか拍子抜けだ」


 そう応えるワシに、師匠はクツクツと笑う。


 白銀の髪が夜風に乗って大きくなびく。


「まあこの七年というもの、おまえはアレを倒す為だけに生きて来たものな」


 頭を撫でる師匠の手が心地よくて、ささくれだった心がわずかに安らぐ。


「なあ、師匠。ワシ、これからどうしたら良いと思う?」


「邑に帰って只人として生きるのも良かろうが……」


 生贄に捧げられてからずっと、ワシは師匠の庵で暮らしてきた。


「いまさらあんなトコに?」


 師匠のお遣いで麓の邑には何度か行ったが、皆、ワシを奇異の目で見おる。


 生贄に出した娘がのうのうと生き延びているのだから、連中にとっては良い心地はせんのだろうってのは師匠の言葉だ。


「ならばシノよ。良い機会だ。アメらと一緒に都に行ってみるか?」


「都? そんなトコ行ってどうすんのさ?」


「あのマシラのような、人の世を脅かす妖異はまだまだおる。

 アメのように、マツリベ氏はそういった存在を鎮めて回る任を負っておるのよ。

 ワシに鍛えられたおまえなら、その力を役立てられるだろうて」


 ……ふむ。


 童の頃のワシのような者を救えるということか。


 師匠がそうしてくれたように。


「……それは、ちょっと良い気分かもしれんな」


 笑うワシに、師匠は再び頭を撫でてくれる。


「ならば都の知り合いに、おまえの世話を焼くよう文をしたためよう」


 そう言って師匠も笑って。


 空を覆うような紅月の下、アメの柏手が大きく響き渡る。


「――常世の女神に乞い願い奉る……」


 唄うようなアメの口上に応じるように、周囲に燐光が舞い踊り始めた。


 調伏の儀が始まった。


 燐光は大猿を包んで輝きを増し、組まれた陣を覆うような光の柱となって立ち昇る。


 そんな光景を見上げながら、ワシはふと不安になって、師匠に顔を向けた。


「……なあ、師匠」


「なんだ?」


「都に行ったら、ワシもああいう……妖異を式鬼にする儀式覚えなくちゃいけないの?」


 それはなんとも面倒臭そうだ。


 ぶっ飛ばす方がよっぽど手っ取り早いと思う。


 そんな内心を見透かしたように、師匠はワシの頭をガシガシとかき回して。


「人には向き不向きがある。

 ――おまえにアレは向かんだろうさ」


「だよなっ!」


 力一杯応えるワシに、師匠はなぜか苦笑して、またワシの頭をかき回した。

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