哺乳綱有毛目ナマケモノ亜目
母キャロルは、意外にも長兄や次兄に接するときに比べると、俺に対してはほんの少しだけ厳しい人だった。ただ、長兄や次兄に対して激甘だったが俺に対しては普通に甘い程度、甘いことには変わりなく、もちろん【威圧】を使ったりもしなかった。
前世の記憶を取り戻す前は自分がだらしないから兄たちほど愛されてないのかもしれないと子供らしく悩んだこともあった。しかし今、俺のことを引くほど甘やかしてくれる母の姿を見ればわかる。前までは父が俺のことを甘やかしていたから少しは厳しくしないといけないと責任感を感じていただけだろう。
それにしても―――
「辛くなったら周りの大人にいうんですよ。無理しなくていいですからね。それと絶対大人とはぐれないようにしなさいね。外の町はこの町と違って危ないですから。それとそれと、できるだけたくさんお手紙を書いてくださいね。」
今日から例のイベントのために隣国へと旅立つ俺に対して、母はなんだか暴走気味である。美しい金髪に碧い瞳、見た目は聖母のような我が母に思わず甘えたくなってしまう。
もしかしたら「ママー!やっぱり行きたくないよー!」なんて言えば出発を取りやめにしてもらえるかもしれない。・・・いや、後ろに立つ父に怒られる時間が増えるだけだろう。
父が息子に指導しているときは邪魔しない、それ以外のときは甘やかす。これが我が母の教育方針である。過去、家庭教師から母のもとに逃走したときも「ソア君ならできるわ。頑張って!」と抱き上げられて笑顔で突き返されたものだ。
「あー、キャロル、二週間ほどで戻ってくるのだから手紙は一通で勘弁してやってくれ。ソア、そろそろ出発するぞ。」
しばらく経って少し遠慮がちに父はそう言った。父は母に対してはあまり強く言えない。俺と同じ【威圧】スキルを持っている母は、本気で怒らせたら物凄く怖いのだ。
この間も怖かったなあ。なんて思い出しながら俺は魔導船に乗り込んだ。いよいよ出発である。あーーー行きたくない。
俺が今住んでいるハイドラ王国のある大陸には、我が国を含めて三つの大国が存在する。これから向かうランタナム商国はそんな3つの大国に南以外を囲まれていながらも、外交上上手く立ち回ることによって独立を保っているしたたかな国である。
陸からでも海からでも商国に行くルートはあるが、今の時代、馬車よりも船の方が圧倒的に速い。さらに南側の海は比較的穏やかで陸地に近いルートを進むため安全度も高い。余程の悪天候でもない限り海路を選ぶのは当然であった。
さらに言えば、俺が住んでいるシャルーズの町は非常に栄えている港町であり、そこに拠点を構える大きな商会である我が家は、当然のごとく立派な船をたくさん所有している。
今回乗っているのは魔導船と呼ばれる船である。魔物からとれる魔石を動力として動くのだが、前世で乗ったことのある船よりも断然速い気がする。体感でしかないが。
折角の船だし、展望デッキに出てあたりを見渡してみる。展望デッキは船の後部にあり、屋根がついていて、船の進行方向からは風があたらないような設計になっていた。もしかして風圧がすごいのだろうか?
周りには同じく商国に向かうであろう船がポツポツといて、少し遠くには漁船がいくつか停泊している。そして、陸地には箱型の倉庫が並んでいて、多くの人が荷を運んでいる。当然そこにはうちの商会の従業員たちも含まれている。
もうすぐ行われるイベントの名は『天下一品評会』。ラーメン屋みたいな名前だが、商人たちの祭典である。
高位の鑑定スキル持ちや【神の舌】を持つ美食家、その道の専門家などが集まり、商国の国王の前で商品を評価する。
ここで高い評価を受けた商品は商国の中だけに留まらず、周りにある3つの大国でも飛ぶように売れる。商人にとっての戦場であり、最もわかりやすく夢を掴む場でもあるのだ。そして、有用なスキルを持たない人間の成り上がりの場でもある。
「坊ちゃん、初めての魔導船はどうですか?」
ぽかぽかと照ってくる日差しにうつろうつろしていると、商会の護衛であるダンが話しかけてきた。
ダンはうちの傘下の商会の五男に生まれ、大したスキルを持ってないにも関わらず、王国騎士という叶うわけもない夢を追い求め、40年間努力をし続けたやばい男だ。もし許されるなら一生ダラダラしていたいと思っている俺とは対極の存在である。
ダンは面倒見がいい上に、他人に努力を強制しないタイプの努力家なので意外と馬が合う。
世の中には「なんで自分はこんなに頑張ってるのにこいつはだらだらしているんだ!」と怒る人が多い。それが普通かもしれない。だが俺は他人が頑張ってようと関係なくだらだらしたい!怒るくらいなら一緒にサボらないか?(悪魔のささやき)
一方、ダンは他人がどうであろうと関係なく努力を続ける狂人だ。もはや俺とダンは違う生物だと言われた方が納得である。チンパンジーとナマケモノくらい違う気がしてきた・・・。
「思っていたより安定感があっていいね。もっと揺れるものかと思ってたよ。」
「・・・初めて魔導船に乗ったら大人でももう少しはしゃぐものですぜ。」
魔導船は初めてだが停泊している帆船には乗せてもらったことがある。停まっているのにも関わらず結構揺れていたし、船酔いした記憶がある。だが今回は船酔いしなくて済みそうだ。
そんなことを考えていると、ダンが突然真剣な顔になり、目線を俺に合わせて語りかけてきた。
「坊ちゃんが俺と同じような道を選んだと聞きました。俺は王国騎士にはなれなかったけど、心の強さ、応援してくれる人との繋がり、本来見ることができなかったであろう景色など、多くを得ることができました。苦しかったけど後悔はありません。」
「ん?」
ん?同じような道?いきなり何を言ってるんだ?
俺はあんたと真逆で引きニートになりたいんだ。縁起でもないことをいうのはやめてほしい。
そう言おうとしたのに口を開いて出たのはまったく違う言葉だった。そう、
「ふふ、経験者であるダンに引き留められなくて安心したよ。ただね、僕も君と一緒で既に覚悟が決まっているんだ。いわれなくても大丈夫さ!」
なんだよ覚悟って?決まってねえよ!
しかし、ダンは俺の顔を見て、納得したような顔をして去っていった。なんだったんだ・・・。
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