第5話 来客対応
「ご馳走さまでした。ありがとうございます。先輩」
「いや、構わない」
昼休み、会社の食堂。国枝先輩から食事に誘われ、何故か先輩に昼ご飯をご馳走になった。更に不思議なことは、食べるメニューの決定権が僕にはなく先輩が決めたことだ。向かい側に座った先輩にお礼を伝えた。
「奢って頂いてあれですが……何故ご馳走して頂けたのですか?」
つい数日前に給料日前だから、先輩は金欠だと口にしていた。実際に目の前で先輩は、家で作ったおにぎりを頬張っている。僕に昼ご飯をご馳走してくれる理由が見当たらないのだ。
「聖川、午後から取引先の社長が来る。その出迎えを頼むぞ」
先輩はおにぎりを包んでいたラップを丸めると、回答の代わりに午後の予定を伝えた。
「え? は、はい……。え!? 待ってください! 僕、餃子定食を食べましたよ!? 臭いですって!」
「大丈夫だ。問題ない」
今日に来客があることや、その対応に僕が任されたことに驚きつつ声を上げた。先輩が奢ってくれた昼ご飯は大蒜が良く効いていたのだ。来客がある前に食べる料理ではない。慌てる僕にとは対照的に、彼は冷静に水筒のコップを傾けるとお茶を飲む。
「いやいや、何でもっと早く言ってくれなかったのですか? あ、コンビニに行って来ていいですか?」
「十三時丁度に、地下駐車場だ。早く行け」
人と会う時には最低限、身嗜みを整えるべきである。加えて出迎える相手が社長となれば、些細な事にも気を配らなくてはならない。しかし先輩から無情にも時間と場所を告げられた。
「えっ……わぁ! あと五分じゃないですか! お先に失礼します!」
慌てながら時計を確認すると僕はトレーを持ち、席を立った。
〇
「はぁ……はぁ……間に合った……」
約束の三十秒前に、地下駐車場に到着した。自動ドアを出ると、黒塗りの高級車が停まるのを出迎える。
午後の始業時間が迫り混雑するエレベーターは使用することが出来なかった。階段を駆け下りたが、何とか時間に間に合うことが出来たのだ。深呼吸をし、息を整える。
「お、お待ちしておりました。案内役の聖川です」
「聖川くんですね。宜しくお願いします。私は九傑と申します」
高級車からプラチナブロンドの髪が綺麗な女性が降り立つ。彼女は掛けていたサングラスを外すと宝石のように輝くターコイズブルーの瞳を細め、爽やかな笑みを浮かべた。
「入っても宜しいですか?」
「……あ! 失礼致しました。どうぞ、お入りください」
「ありがとう」
九傑社長の笑みに見惚れていると指摘をされた。僕は慌てて自動ドアを開けると、彼女を招き入れた。そして応接室に案内するべく、エレベーターに乗り込んだ。
〇
「聖川くん、お昼は摂られましたか?」
「あ、はい……すいません。臭いますよね……」
唐突な質問に僕は冷や汗を掻く。エレベーターという閉鎖空間において、匂いほど気になるものはないだろう。なるべく九傑社長から距離を取る為に、主操作盤に張り付いているが、 顔を見ずに会話をするのは失礼だ。僕はハンカチを口に当てると、社長の質問に答えた。
「お気になさらずに。聖川くんはそういった料理がお好きなのですか?」
「そうですね、好きです。あ、でも今日は先輩にご馳走して頂いて……」
九傑社長は柔らかく微笑む。社交辞令だとは分かっているが、優しい対応に胸をなでおろす。基本的に僕は食事の好き嫌いはなく、中華料理は好きである。しかし今日の食事を選んだのは、国枝先輩であったことを思い出した。
「……成程、君は良い先輩を持ったようですね」
「はい、何時も良くして貰っています!」
納得したように頷く彼女に、僕は元気よく返事をした。先輩をはじめ、この会社の人達は親切で優しい人達ばかりである。
「それでも、油断大敵というのに……」
「? 九傑社長?」
彼女は何か呟くと、僕の方へと歩いて来る。ハンカチで口を塞いでいるとはいえ、やはり口臭が気に障ったのだろうか。文句や苦情はエレベーターを降りてからにして頂きたい。照明の加減により、彼女の瞳が赤く見える。僕は距離を取ろうとしたが、エレベーターの壁に背中がぶつかりこれ以上後退することが出来ない。
ポーン。
「九傑社長。商談場所が変更になりましたので、お迎え参りました」
到着音が響くと、エレベーターの扉が開き国枝先輩が姿を現した。
「おや……国枝くん。少々、過保護過ぎるのでは?」
目の前で止まった九傑社長に、ほっと胸をなでおろす。如何やら二人は知り合いのようだ。この後は先輩が担当するのだろう。僕は九傑社長の横を通り抜けると、エレベーターから出た。
「教育担当者ですから。聖川、これ俺が帰るまでにデータを纏めておけ」
「え? あ、はい! ありがとうございます!」
僕の代わりにエレベーターに乗り込む先輩から、ファイルを受け取る。ファイルの上には口臭ケアのガムがクリップで止められていた。先輩のさり気ない優しさに、嬉しくなる。
「またね、聖川くん」
九傑社長が柔らかい笑みを浮かべながら手を振った。彼女の後ろにある鏡には、先輩の姿だけが映っていた。
「……え?」
ゆっくりと、エレベーターの扉が閉まった。
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