第82話 話したいこと

 リシュールは春の陽気を感じる日差しの中を歩き、シルヴィスの店である「ユフィ」へ辿たどり着くと、玄関のドアを引っ張った。だが、くはずのドアはひらかない。


「もしかして早すぎたかな……」


 初めてクモイとここに来たときは、営業時間外にもかかわらず開いていたので、大丈夫だと思ったが、あのときは例外だったらしい。


「……」


 ドアが開いていないとなれば引き返すしかないのだが、できればシルヴィスに会いたくて、リシュールは駄目元でドアの呼び鈴を鳴らしてみた。


 誰かいるだろうか。いたとしても気づいてくれるだろうか――。


 そんなことを思って待っていると、呼び鈴に気づいた赤いドレスを身にまとった女性店員が、店の奥からこちらに近づいてくるのがドアのガラスから見えた。


 彼女は、玄関の前に立っているのがリシュールだと分かると、軽く手を振る。

 リシュールがそれにこたえるように、手を振り返すと、妖艶ようえんな化粧を顔に似合わぬ、面倒見のいいお姉さんのような明るい笑みを浮かべた。


 彼女はドアの前まで来ると少しかがむ。そして、ガチャリ、という音がしたかと思うと、さっとドアを開けてくれた。


「リシュじゃない。いらっしゃい、どうしたの? こんな朝早くに」


 そう言うと、羽織っていた肩掛けを首元に寄せる。明るい茶色い色をした長い髪を、ひとまとめにして結っているので、首の辺りに外の冷気を感じたのだろう。


「おはようございます。すみません、シルヴィスさんはいらっしゃいませんか……?」


 尋ねると、女性はリシュールが入りやすいように体を少しずらしてくれた。


「いるわよ。さ、入んなさいな」

「すみません、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 女性はにこりと笑うと、手慣れた様子でシルヴィスの部屋まで案内してくれる。


 店のほうは、まだ営業時間前ということもあって閑散かんさんとしていた。事情を説明せずともシルヴィスのところに案内してくれるのは、だろう。


 螺旋階段らせんかいだんを上り、シルヴィスの部屋の前に着くと、リシュールは女性店員に礼を言った。


「ありがとうございました」

「どういたしまして」


 彼女はにこりと笑うと、来た道を戻っていく。

 リシュールはそれを見届けたあと、ドアをたたく。すると中からシルヴィスが開けてくれたが、リシュールの顔を見るなり少し驚いた顔をした。


「……リシュ!?」

「おはようございます、シルヴィスさん」

「おはよう。珍しいな、こんな時間に来るなんて」

「朝早くにすみません。ちょっと話したいことがあって……、あれ?」


 リシュールはシルヴィスを見るなり、小首をかしげた。

 彼は黒っぽい三揃みつぞろいの背広を着ており、少し伸びた白銀の髪を後ろに流している。シルヴィスがすきの無い、格好いい恰好をしているときは、大抵接待か会食があるのだ。


 そしてその場合は夜なのだが、朝から準備している彼を見て、リシュールは目をしばたたかせた。


「もしかして、どこか出かけるところでしたか?」


 するとシルヴィスは、肩をすくめ、ため息混じりに答えた。


「貴族の御令嬢の誕生日会なんだよ。いつもお世話になっているからと、招待状を送りつけられてね……。仕方なく行くところさ」

「そうだったんですね……。じゃあ、今日は帰ります。日を改めて――」


 残念だが、駄々だだねるわけにはいかない。

 そう思ってきびすを返したが、そのリシュールの手首をシルヴィスがつかんで引き留めた。


「待って。まだ一時間くらい余裕はあるから、少し話そう。入って」


 シルヴィスに言われ、リシュールは迷った末に部屋に入らせてもらうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る