最終章

第81話 春を迎えて

 季節はうつろい、ウーファイア王国の城下町アルトランの景色は、冬から春へと変わっていた。


 町を真っ白におおい尽くしていた雪が、暖かな日差しによって徐々じょじょけ、建物や石畳いしだたみの色とりどりの色が戻ってきている。


 また、人々の心が暖かな天気に浮き立っているのもあって、町の雰囲気そのものが明るく、穏やかだ。

 リシュールは居間にある南側の窓から見える、朝日に照らされた外の様子を、手元の紙に鉛筆で素描そびょうしながらそんなことを思っていた。


「リシュ、申し訳ありませんが、今日も夜まで帰れないと思います。食事は用意しておきましたので、よかったら食べてください」


 クモイは窓辺に座る主人にそう言って、暗色あんしょくのコートを羽織る。日差しが春らしくなったとはいえ、風は冷たい。


「うん、ありがとう」


 リシュールは素描の手を止め、クモイを見る。寝不足なのか、朝だというのに疲れた顔をしていた。


「……」


 クモイがマリの話を打ち明けてから、ふた月がったが、彼はこれまでと変わらず、マントの中で眠っている。それどころか朝早くに家を出て、夜も深まったころに帰るという日々を過ごすようになっていた。


 クモイがどこに行って何をしていて、家にいる時間が少なくなっているのかは分からない。だが、リシュールは自分からクモイに尋ねなかった。

 これまで通りと言えばそうだが、その一方でリシュールもクモイに秘密にしていることがあったからだ。


 とはいえ、クモイのことである。きっと、勘づいているに違いない。

 詳細を調べたければ、魔法具であるマントを使えば簡単に分かるだろう。


 それでもリシュールが秘密にしている限り、クモイは知らないふりをしなければならない。魔法で調べて、心配だからと口出しするのは公平ではないし、そもそも自分が主人に聞かれたくないことがあるので、聞けないのだ。


 リシュールはそれを分かっていて、自分もクモイに対して「どこに行っているの?」とは聞かなかった。


 クモイは暖かそうな毛糸の帽子を被ると、じっと主人の顔を見る。


「何? どうしたの?」


 リシュールは何食なにくわぬ顔をして、クモイに尋ねた。彼は主人に何か言いたそうにしていたが、開いた口を閉じて、出かかった言葉を飲み込んだ。


「いえ……、何でもありません。行ってまいります」

「うん。気を付けていってらっしゃい」

「はい」


 クモイが玄関のドアを開けて、バタン、と閉まる音がする。

 リシュールはそれを聞き届けると、立ち上がった。

 今日は仕事が休みである。そのため、リシュールは出掛ける準備をするため自室に向かった。


「そろそろ、片付けないとな……」


 自分の部屋のドアを開けたリシュールは、はあ、と小さくため息をつく。部屋の中が、盗人ぬすびとでも入ったのか?」というほど散らかっていたからだ。


 部屋がれているように見える要因は、辺り一面に散乱した紙で、それらには景色を素描そびょうしたものもあれば、挿絵のために描いた魔法具の下絵もあった。特に、魔法具の意匠いしょうはいくつものパターンを構想していたため、あちらこちらに如雨露の絵やら、かんむりの絵などがある。


 だが、挿絵の絵の中でも特に多かったのは、ウーファイアの姿を描こうとしたものだ。


 きりりとした顔立ちのものもあれば、柔らかい雰囲気をまとった面立おもだちのものもある。

 また、髪も長かったり短かったり、真っすぐだったりくせ毛があったりと、沢山の種類があり、中には何度も、何度も顔の輪郭りんかくや体つきを消しては描くを繰り返したために、紙に穴が開いてしまっているものもあった。


 さらに、同じ姿をしたものが数枚あっても、髪の色や瞳の色も様々に試したため、それらの色が異なっているものも、そこら中に散らばっている。


「……」


 リシュールは、自分が通るところに落ちている紙を回収しながら、部屋の奥にある作業用の机の元に移動した。

 そこだけはきれいに片付かれており、黄灰色こうかいしょくの丈夫な紙で作られた、二三五にみご(縦二十センチ×横三十センチ×高さが五センチのサイズのこと)の四角い箱だけがぽつんと置かれていた。


「……」


 リシュールはその箱に触れたあと、集めた紙を机の空いているところに置き、作業台の引き出しを開ける。


 色鉛筆や筆、色固しょくこがきれいに整えて入っている中に、仲間外なかまはずれのように紙袋が入っていた。


 リシュールはそれを手に取って、出し入れする口をひっくり返すと、あの日買った亜麻色あまいろの色固が、ころん、と右手に載る。それは買った日から何も変わっておらず、相変わらず表面がつるりとしていた。


「……」


 リシュールはそれをしばらく眺めたのち、ぎゅっとにぎると、再び紙袋に入れて引き出しにしまう。


 そして次に、四角い箱を水にれてしまっても大丈夫なよう、油紙で包むと、古びた布製の白いかばんに入れ、出かける準備をした。


 リシュールは、濃い灰色のマントを羽織って、帽子と手袋を付けると、箱の入った白い鞄の肩紐かたひもを肩にかける。


「……よし、行こう」


 気持ちを入れるようにそう呟き、シルヴィスの店に向かった。

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