第71話 素朴な疑問

「『ルベ』?」


 突然途切れたので、リシュールは小首をかしげる。


「あ、いや……、何でもない」


 シルヴィスが珍しく誤魔化ごまかす。

 理由は気になったが、聞いてはいけないこともあるだろうと思い、リシュールはあえて追求ついきゅうしなかった。


「とにかく、これまでに気づかれたことは一度もないよ」

「すごい魔法なんですね」

「でも、この魔法は話し相手になってくれる人には使いたくない……かな」


 シルヴィスは言葉を続ける。


「相手をだました気分になってしまうっていうのもあるんだけど、どっちかというとどちらかというと俺の我儘わがままかもしれない。自分のことを話すときに変装をしてしまうと、今の自分でいられない気がするんだ」


「今の自分ではない……?」


「うん。……といっても、俺やクモイの『今の姿』というのは、二〇〇年前から変わっていないから、『今の姿』というと語弊ごへいがあるかもしれない……。でも、だからこそ自分を語るときは、『今の姿』でいたいって思うんだ。自分を見失わないように」


「……それなら、どうしてお店を経営しているのですか?」


 素朴そぼくな疑問だった。店を経営しなければ、変装をしなくて済む。


「働かなければ、生きていくために必要なお金がかせげないだろう」

「ですがクモイは、どこかに行ってお金を稼いでいるようですけど……」


 クモイの行動を見る限り、店を持っているようには到底とうてい思えない。

 するとシルヴィスは小さくため息をついて、「クモイは例外」と言った。


「何故ですか?」

「『情報を集めるマント』があるだろう。それを使っているんだ」


「情報を集めるマント」とは、リシュールが外套がいとうとして使っている、魔法具のマントのことである。


「クモイは魔法具で集めた情報から、人手を必要としている仕事に従事じゅうじすることはできても、俺や他の仲間はそうはいかない」

「クモイから、情報を得ることはできないんですか?」

「できるけど、前にも言ったように魔法具が集める情報は膨大ぼうだいで、向き合うのが大変なのさ。自分の面倒だけならまだしも、そこからそれぞれに合った仕事を見つけるのは難しい。俺たちに、色んな仕事を転々としてもやっていけるクモイのような器用さがあると、調べる負担も減るんだろうけど……。そうもいかない」

「なるほど……」


 リシュールは、クモイに靴磨きをしてもらったときのことを思い出しながらうなずいた。


「そういう色々な事情と、俺が変装が得意なこともあって、店を構え、仲間の分の生活費を含めてお金を稼いでいるのさ。だけどここに定住するってことは、年老いた変装をしないといけなくなるってことでもある。だから、ほとんどの人と必要最低限しか関わらない」


 シルヴィスにかけられた呪いは、「魔法具がこの世から消えるまで、年老いず、死なない」というもの。

 つまり、魔法具が無くならなければ、シルヴィスの姿は永遠にこのままということだ。

 リシュールは表情をくもらせ、ぽつりと言った。


「それは……、寂しくないですか?」


 シルヴィスはこれまでもそうだったように、自身が魔法使いであることを隠し、これからも生きていく時代に合わせて変装していくのだろう。

 逆に言えば、彼が魔法を秘密にしていく限り、新しい時代に生きるものたちと心を通わせることは限りなく難しいということだ。


 するとシルヴィスは、おもむろまぶたを閉じたあと「これまではね、そうだった。でも、今は違う」と言う。


 リシュールはどういうことだろうと思いながら、シルヴィスの次の言葉を待っていると、「リシュがいる」と短く、だが、どこか嬉しそうな声で呟いた。


「……僕、ですか?」


 リシュールは、驚きをふくんだ声で聞き返した。

 一方のシルヴィスは閉じたときと同じように、ゆっくりと目を開けると、水色の瞳でリシュールを静かに見つめた。


「そうだよ。一緒にご飯を食べたり、何気なにげない話をしたり。リシュは絵本の件で、魔法使いの事情も知っているから、俺の過去を隠さなくてもいいしね。でも、それだけじゃない。リシュがいるとおだやかな気持ちになる」

「穏やか?」

「うん。だからリシュと一緒のときだったら、クモイといるのも悪くない。俺とクモイだけなら喧嘩けんかになるけど、リシュがいるとそういうこともあまり起きないからね」


 リシュールはこのときになって唐突とうとつに、なぜシルヴィスが「友達でいたい」と言ったのかが、悲しいほどにはっきりと分かった。


 この時代に生まれた中で、シルヴィスが魔法使いであり、悲しい過去を持った人であることを知っているのは、リシュールだけなのだ。

 そして唯一、自分の『今の姿』を見せることのできる相手なのである。


 ――だから、「友達」なんだ。


「それなら良かったです」


 リシュールの返答に、シルヴィスはぱっと明るく笑って応えると、「さて、お腹もいっぱいになったし、そろそろ出ようか」と言いながら立ち上がった。


「はい」


 シルヴィスとの関係は、クモイのものとは少し違う。


 それでも、二〇〇年近く前に生まれ、進む時代に取り残されたようになっているシルヴィスに、せめて自分がいる間は寄り添ってあげられたらいいなと、リシュールはひそやかに思うのだった。


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