第72話 画材屋
「じゃあ、またね」
シルヴィスは自分が営む「ユフィ」の前に来ると、寒さで白い息をはきながらリシュールに言った。
「はい。今日はありがとうございました」
リシュールが答えると、シルヴィスは手袋をはめた手を軽く振って、店の中へ入っていく。
その様子をエントランスの窓ガラスから
足元からはザック、ザックという、氷の粒のようになった雪が
だが、周囲にはそれなりに人がいるというのに、不思議と自分の足音が大きく聞こえ、他の人の音はあまり聞こえない。お陰で道に響く足音は、雪がないときよりも静かだ。
また、すでに色んな人が
雪がない日は足跡は残らないので、リシュールが面白いなと見ていると、道が急に明るくなった。空を見上げると雲に切れ間があり、日が差し込んでいる。
リシュールが再び雪道を見ると、積もった雪が日の光を受けて、きらきらと輝いていた。眩くて、目を細めてしまうほどだ。
「ふふっ」
道すがらの様子を楽しみつつ、「ユフィ」から
ガラス張りになったその店は画材屋で、中を
南側から棚の中がほとんど見えないが、ぐるりと東側に回り込むと、油紙に包まれた
「……」
リシュールはそれを、人目も気にせずじいっと食い入るように見つめたあと、ズボンのポケットに手を突っ込み、きれいに
広げてみると千セト紙幣が三枚と、百セト硬貨が五枚ある。
シルヴィスとの食事で、万が一必要になったときのためにれておいた分である。
「……」
リシュールは再び店をじっと見る。
アルトランの南側にある画材屋なので、きっと値段は張るだろうが、質はいいはずである。リシュールはそのお金を右手に握りしめると、東側にある入り口に向かった。
「……よし」
意を決してドアを開けると、付いていた鈴がちりん、ちりんと鳴った。
その音が聞こえたのだろう、奥の方から「いらっしゃい」という野太い声が聞こえる。
リシュールは中に入ると、画材屋らしい絵の具の独特なにおいがするのを感じた。
「さて、どうしようか」と思ったとき、足音がこちらに向かっているようだったので待っていると、所狭しと棚が並んだ店内には
店員なのか、店主なのかまでは分からないが、彼はリシュールを見た
リシュールには、この手のことに身に覚えがあった。
前に不動産屋から見られたときと同じではあるが、店員の眼差しは品定めをしているというよりも、「どうして子どもが?」という純粋な疑問からのようだったので、あまり嫌な感じはいない。
何故、そう思ったかといえば、リシュールが挿絵を描くにあたって絵の具を買い足そうと思ったとき、クモイが「私が買ってきます」と言い出したからだ。
クモイの話によれば、貴族の子どもたちの間では絵画を学ぶことも学業の一つになっているらしいが、色固を直接買いには行かず、使用人に買ってきてもらうのが当たり前なのだという。故に、クモイもその通りの行動をしようとしていたのだ。
もちろん、リシュールは彼の行動を止め、丁重にお断りしたのだが。
「何か御用で?」
店員に尋ねられ、リシュールは答えた。
「絵の具を買いにきました」
店員はちょっと驚いた表情を浮かべたあと、「どんな色が必要ですか?」と丁寧な口調で聞いてくれる。
「青と
「なるほど。青というと沢山の種類がありますが、具体的なイメージはありますか?」
店員はつるりとした
「晴れ渡った夏の空のような色と、爽や《さわや》かな春の空ような色……というと分かるでしょうか」
リシュールがしっかりと答えると、店員はうなずいて「分かりました。少しお待ちください」と言って、入り口から二つ目の棚を探し出す。
「多分、この辺りかなと思うのですが……」
そう言って、店員は五個の包みを出してきた。だが、油紙に包まれた状態では、色を確認することができない。
色固が紙に包まれているのは、光による
お陰で、見た目の色と中の色が違っていて後悔することもあるが、とりあえず見た目の色は確認をして買うことができていた。
だが、この店では包みにくるまれている。
こういう場合、どうすればいいのだろうと思っていると、店員のほうから「色を見たいですよね?」と言い出してくれた。
「……はいっ!」
リシュールが大きくうなずくと、店員は大きな体を動かし、店の奥にあるテーブルにそれらを置く。そして手慣れた様子で色固を包みから出すと、リシュールの前に並べてくれた。
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