第50話 重い扉

「どうぞ」


 リシュールは玄関のドアを開けると、シルヴィスを招き入れた。


「お邪魔します」


 挨拶をして入ったシルヴィスを、リシュールが先に立って居間のほうへ案内する。

 部屋は常にクモイがきれいにしているので、誰が来てもいい状態だが、リシュールは自分の靴下などを置きっぱなしにしていないかだけ視線を動かして確認する。だが、特にそういうものはなかった。


 一方のシルヴィスは着ていたコートを脱ぎ部屋に入ると、周囲をゆっくりと見回してほほ笑んだ。


「いい部屋だね。穏やかで、落ち着く」


 リシュールはマントを、料理場にある椅子の背もたれに掛けながらうなずいた。


「僕も気に入っています。クモイが探してくれたんです」

「そっか」


 他愛ない話をしつつ、リシュールは暖炉に火を点けお茶を用意すると、シルヴィスには調理場にあるクモイが普段使っている椅子に座ってもらい、テーブルを挟んだ向かいの席にリシュールが座った。


「さ、食べようぜ」


 紙に包まれたリルサを取り出すと、シルヴィスは言った。


「はい」


 リシュールがこのお菓子を食べるのは初めてだ。わくわくしながら、薄い生地に包まれているクリームとトレッサ(甘さと酸味がある赤い果実で、表面に種がある)をぱくりと頬張る。すると柔らかな生地とふわふわのクリームが口の中でとろけ合い、後からトレッサの酸味と甘みが追ってきて、丁度良い加減になる。


「おいしいです!」


 リシュールが目をきらきらと輝かせながら絶賛すると、シルヴィスは一瞬目を丸くしたかと思うと、すぐに声を出して笑った。


「何で笑うんですか!」


 リシュールは急に恥ずかしくなって、顔を赤らめる。するとシルヴィスは「ごめん、ごめん」と謝った。


「食べさせがいがあるなぁって思っただけだよ」


 リシュールはきょとんとする。


「どういうことですか?」

「人っておいしそうに食べている人を見ると、幸せな気持ちになるんだよ。それが自分にとって好ましい相手だったらなおさらだ」

「好ましい相手……?」


 シルヴィスが言ったことを咀嚼そしゃくし、意味を考える。

 だが、よく分からなかったので、「シルヴィスさんは、僕のことが好きなんですか?」と聞いてみた。


「うん。人としてとても好まく感じる」


 そう言って笑うシルヴィスだが、どこか哀愁あいしゅうにじんでいた。


「僕と今日会ったばかりですけど……。それともクモイみたいに、魔法で僕の素性が分かるんですか?」


 リシュールはいぶかしげに問うと、シルヴィスはふっと笑う。


「魔法なんて使わなくても見れば分かるさ。一九〇歳も生きているんでね」

「そう、なんですね……。すごいなぁ……」


 リシュールはそう言って、無理矢理笑った。

 だが、心の中はもやもやとした感情が渦巻いていた。

 シルヴィスが年の功で相手の良し悪しが分かるのであれば、何故クモイは自分のことを魔法で調べたのだろうかと、思ったからである。


 リシュールは悶々もんもんとした気持ちのまま、リルサを食べてしまい、最後のほうはどんな味だったのかよく分からなかった。


 リルサを食べ終わって一息ついたときのことである。シルヴィスがロフトニーを一口飲んだ後、次のように切り出した。


「なあ、リシュ。俺たちの過去を知りたくはないか?」


 聞き間違いかと思い、リシュールは「え?」と聞き返した。


「俺たちの過去を知りたくないか、と聞いたんだ。特にクモイのこと」


 リシュールは目を大きく見開く。


「どちらかといえば、知りたいですけど……」

「じゃあ、俺が話そう」

「いいんですか?」


 驚くリシュールに、シルヴィスは肩をすくめた。


「クモイは勝手にリシュの過去を調べていたんだ。リシュだって、あの人のことを知る権利はあるだろ」

「でも、クモイはこれまで自分のことを語ろうとしませんでした。言いたくないことだとしたら、聞いていいものなのか……」


 リシュールはうつむけて、太ももにある拳を握った手をじっと見た。

 どうしてクモイが、リシュールの生活を支えるほどのお金を持っているのかも知らなければ、魔法を使いたがらない理由も詳しくは知らない。「聞かない」と決めたのはリシュールだが、それはクモイが話そうとしないものを無理に聞きたくないと思っていたからでもある。


 すると、シルヴィスがリシュールの気持ちを察したように、「そうだな」と言ってから言葉を続けた。


「確かに、あの人が自分のことを語るっていうのは、暗がりにある重い扉を開けるようなものだ。だから自分から話せない。でも、リシュに話したいと思ったから、俺のところに来たんだよ」


 その言葉に、まるで心の中に希望のような小さな光が灯ったような気がした。リシュールはゆっくりと顔を上げる。


「え?」

「あの人は、リシュに自分の過去を話すつもりで来たのさ。自分で話せないものを俺が代わりに話すために」


 リシュールは目を大きく見開いて、じっとシルヴィスを見た。それはまるで、彼の後ろにあるクモイの意図を捕まえようとするかのようだった。


「本当に……?」

「本当だよ。そうじゃなかったら、わざわざ『魔法具』のことを話す必要も、俺のことを『魔法使い』と打ち明ける必要なんてなかった。単純に、欲しい絵を描いてもらうだけでよかったんだから」

「……」


 シルヴィスはリシュールの様子を見て、悲しみの浮かぶ優しい笑みを浮かべた。


「でも、最初に言っておく。はっきりいっていい話じゃない。だから、リシュが気の進まなければ話さないよ」


 引き返すなら今のうちだよ、と言われているような気がした。

 だが、気持ちはすでに決まっている。リシュールは口をきゅっと結んだあと、シルヴィスに頭を下げた。


「……お願いします。どうか教えてください」

「分かった、話す」


 シルヴィスは真剣な声で言って、リシュールの頭を上げさせると、昔話をし始めた。

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