第36話 城下町アルトランの南側
馬車に揺られて、十五分程経ったころである。一生踏み入ることがないと思われた城下町の南側に、リシュールたちは降り立った。
「うわぁー……まるで別世界だぁ」
落ち着いた雰囲気の場所、というのもあるが、整われた石畳の路上が美しく、どの建物もレンガ造りになっていて大きい。
北側のほうは、せせこましく小さな建物をこれでもかと密集させて建てられいるので、この場所が、自分が住んでいる屋根裏部屋と同じ「アルトラン」という城下町に位置していることが不思議だった。
「ここは静かだね」
感心して呟くと、クモイが同意した。
「そうですね。リシュが住んでいるところからくると、特に感じるかもしれません。あの地域は小さいお店が多いですし、郊外からの出入りも激しいですから、いつでも
「うん」
うなずくとクモイと共に、程近い建物へ向かう。すると入り口には焦げ茶色の背広に身を包んだ背の高い男が立っており、彼はクモイの姿が見えるとこちらに近づいてきて挨拶をした。
「クモイさま、お待ちしておりました」
待っていたということは彼が不動産屋なのだろう。クモイよりも少し背が高いので、リシュールはいつもよりもさらに視線を上げた。
「早速だけど、案内してもらえる?」
「もちろんでございます。――あの、失礼ですが、そちらの方は?」
不動産屋がクモイの後ろに立つリシュールに向けて手のひらを向ける。クモイは、「弟のリシュールです」と予定通りに答えた。
ここへ来る前に、リシュールはクモイから「昨夜も申しましたが、不動産屋にはリシュは私の弟であると伝えているので、申し訳ありませんがその間だけ兄弟を演じてください」と言われている。
受け答えのほとんどはクモイがすると言っていたので、嘘がバレてしまうことはないだろうが、それでも気を付けなくてはならない。印象が良くなければ、部屋を貸してもらえないことを、リシュールはよく分かっている。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
リシュールが緊張気味に挨拶をすると、不動産の男は「こちらこそよろしくお願いします」という。
そして彼は愛想のいい笑顔を向けつつ、さりげなくリシュールの頭からつま先までを見た。リシュールはその視線に気付いて、どきりとする。見られているほうは、まるで品定めをされている気分だ。
あまりいい気分ではないが、その代わり、クモイが何故自分にこの服装をさせたのか、合点がいった。
もしいつもの服でこの男と対峙していたら、この視線に耐えられず委縮していただろう。自分の中身はどうかは別としても、とりあえず見目のいい服に、頼りになるクモイがいれば、リシュールは堂々としていられた。
確認が終わった不動産屋は、笑顔を向けたまま「では、ご案内いたします」と言って、建物の中に向かって歩き出したので、リシュールはほっと胸を撫でおろした。
「ええ」
短く答えたクモイの一歩後ろで、リシュールは彼をちらりと見上げる。するとその視線に気が付いたクモイは、主人のほうを向くと、「どうしましたか?」と強い小さな声で尋ねる。
不動産屋がこちらに気づいていないからだろう。「兄弟の設定」のはずなのに、いつも通りの対応である。
リシュールは、正直演技でなくても、クモイには「兄」のような態度でいてもらってもいいなと思っていた。
だが、クモイはきっと「いいですよ」とは言ってくれないだろう。リシュールとの間にある、主人と従者の一線を越えないようにするために。
リシュールは笑うと、小さく首を横に振った。
「ううん、何でもないよ」
「そうですか。では、行きましょう」
クモイは笑う。きっとリシュールがこんなことを考えているなど、少しも思っていないのだろう。
「うん」
リシュールもいつも通りに答えると、二人は不動産屋に続いて、建物の中に入っていくのだった。
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