第35話 行き先

 今日の空は、すがすがしい秋晴れで心地よい。

 まだ気温が低いので肌寒いが、太陽が雲に隠れず出ているので光が差しているところはぽかぽかと暖かかった。この陽気なら歩いているうちに体も温まるだろう。


 いつも通り人気がないところまで来ると、リシュールは周囲を確認しマントを外す。そして「クモイ」と呼びかけると、彼がするっと出てくる。まだマントから人が出てくるのは不思議な心地だが、それでも一日に複数回行っているので、見慣れてはきていた。


「じゃあ、行こうか」


 リシュールが再びマントを羽織りながら聞くと、クモイはうなずいた。


「はい。ご案内いたします」


 そして横に並びつつも、申し訳ない程度に半歩ほど後ろを歩くクモイの案内に従いながら、リシュールは質問をした。


「その、探した部屋ってどの辺りにあるの? 近い? 遠い?」

「少し遠いのです。ですから、馬車を使います」

「……へ?」


 クモイはそういうや否や大通りに出ると、あっという間に馬車を捕まえ、慣れた様子でリシュールが主人であるように見えるように扱って、戸惑う彼をさっと馬車に乗せる。

 そして自分は馭者ぎょしゃに行き先を伝えると、リシュールに続いて中に乗り込んだ。


「ちょっと待ってクモイ! どこに行くつもり?」


 動き出した馬車の中でリシュールは問うた。


「アルトランの南十二番地です」


 リシュールは行き先を聞いて、目をむいた。


 城下町のアルトランは北側は貧困層がひしめき合って生活しているが、南側は裕福な人々が住んでいる。リシュールは当然北側に住んでいるわけだが、まさか引っ越し先に想定しているところが南側だとはつゆとも思わなかった。


「ちょっ、そっちは高級住宅街じゃないか……! いたっ!」


 リシュールは思い切り立ち上がってしまい、天井に頭をぶつけてしまう。


「リシュ、大丈夫ですか?」


 心配するクモイに「大丈夫……」と頭を撫でながら答えると、「まさか、すごく家賃の高い部屋を借りようとしているんじゃないよね?」と座席についてから尋ねた。


 するとクモイはきょとんとした表情を浮かべたあと、困ったような表情を浮かべる。 


「申し訳ありません……。もしや、すごく家賃の高い部屋がよかったでしょうか?」

「そうは言ってないよっ!」

「そうでしたか。その辺りの物件は調べておりませんでしたのでよかったです」


 クモイは、「主人は高級物件を望んでいなかった」という確認がとれたので安堵したのだろう。ほっと息をつく。だが、リシュールにとってはそういう問題ではない。


「よくないっ!」


 反論するリシュールに、クモイは目をしばたたかせる。


「ご安心ください。選んだところは、一般庶民が住む場所です」

「そうは言ったって、僕が住んでいるところとは雲泥うんでいの差がある場所だよ? お金はどれくらいかかるの?」

「お金のことは気になさらなくて良いと申し上げておりますのに」

「クモイは気にしなくても、僕は気にするよっ! それに馬車で移動しないといけないほど遠いなら、どうやって靴磨きの仕事をするのさ」

「その点もご心配なく。お仕事が続けられるように考えてあります」


 リシュールは、ひたいに手を当て小さくため息をつく。


「もー……」


 クモイにそのまま押し切られ、リシュールは大人しくすることにした。こうなっては何も言っても仕方ないのだ。


 一週間過ごして分かったのだが、クモイは譲れないことがあると、リシュールの問いをのらりくらりとかわしてしまうのである。痛いところをかれたり、触れてはいけない事柄に当たればしおらしくなるのに、この辺りは強気だ。そしてそれは、総じてリシュールの生活が向上することに関わっている。


 リシュールは諦めると、ゆったりと動く外の景色を眺めた。馬車は人よりも背が高いので、普段見ている町の光景を見下ろすことになるのだということを初めて知った。

 また、外から眺めている分にはさぞ乗り心地が良いのだろうと思ったが、想像より良くなかった。路面が舗装されていないというのもあるようで、砂利道の振動はひどく、座席も思ったより硬かったため、おしりが痛くなってしまった。


 だが、それもこれも、クモイに会わなければ、一生知らないままだっただろう。


 ――どうして自分なんだろう?


 ふと、その問いが胸をよぎる。

 リシュールはマントを買っただけで何もしていない。求められたこともただ「絵を描いて欲しい」だけである。それなのにクモイの主人に選ばれたことで、どんどん生活が良くなっていく。


 ――なんで自分だったんだろう?


 再び問う。

 だが、それはクモイに聞いても詮無せんないことだ。彼はいつだって「あなたが私のあるじさまですから」としか言わない。


 答えられないのか、答えたくないのか。それとも本当に「あるじだから」というのが理由なのか。


 リシュールはただ自問し、分からぬ答えを想像するしかないのだった。

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