第34話 魔法と服

「似合っていますよ、リシュ。サイズも丁度いいようですね」


 黒い背広を着たクモイは、満足そうに笑う。彼は最近、この服を着て不動産屋へ出掛けていた。

 身に着けているものもそうだが、芯のある立ち姿も相まって、どこかの紳士に見える。礼服のときとはまた違った意味で良く似合っていた。


「……」


 リシュールはクモイの格好いい姿を見たあと、手鏡で自分を見る。似合っているかどうかは別として、服は間違いなく丁度良い。素直に喜びたいところだが、リシュールは納得いかない顔をする。


「それはいいんだけどさ、いつの間に服を直したの……?」

「許可はいただきました」


 どうやらクモイは、主人が直してよいかどうかの約束を忘れていると思っているらしい。だが、リシュールはそのやり取りをはっきりと覚えている。一昨日おとといの夜のことだ。


 そのときクモイは、リシュールに着る物に困ってはいないかとか、欲しい衣類はあるなどを聞いてきたのである。


 だが、ここで欲しいものを口にしてしまうと、彼が買ってこないとも限らない。


 そのため「穴が空いていてわなくちゃいけない」ということと、「孤児院でもらったまともな服は身長が伸びて着られなくなった。一回しか着ていないからもったいない」ということだけ話したのである。


 すると、今のリシュールが着られるように、仕立て直されて返ってきたのだ。


「そう言うことを言っているんじゃないって。まさか修理に出したの?」

「いえ。失礼ながら私が……」

「クモイがしたの? 職人技じゃないか」


 リシュールは目を丸くし、そですその継ぎ目を確認する。どこからどう見ても素人の出来ではない。


 彼は節約のため普段からいものをしているが、大体真っすぐ縫おうと思っても上手くいかない。そのため裁縫の難しさは身にみて分かっていた。


 それなのに、クモイが繕ったものといえば新品のようで、つぎはぎしたような部分がまるでない。


「おめいただき光栄です。新しいものをご用意してもよかったのですが、リシュが大切にしていらっしゃったので穴をつくろい、お体に合っていないものは調整いたしました」

「すごいや。でも……こんな短時間でできるもの?」


 一昨日の夜に聞いたということは、作業ができたのは昨日と今日だけ。しかも彼は午前中に部屋を探しに出ており、午後からは靴磨きに従事している。いつ繕い物ができる時間があったのだろうかと、リシュールははなはだ疑問だった。

 するとクモイは申し訳なさそうに答えた。


「お恥ずかしながら、これだけは魔法を使いました。できるだけ、使わないようにしているのですが……」


 その言葉に、魔法を使ったんだ、とリシュールは内心驚いていた。

 出会ってから、彼が魔法らしい魔法を使ったのはマントの出入りぐらいのときだけである。その上「魔法は得意ではない」と言っていたので、使うと思っていなかったのだ。


 しかし、魔法を使ったことを恥じている様子のクモイと、新品同然の服の状態を見る限り「得意ではないから使っていない」のではなく、「使いたくないから使っていない」という風に思えた。


「もしかして、魔法を使うと何かまずいことでもあるの?」


 何げなく聞いてみたつもりだが、クモイは見るからに表情を固くする。


「それは、あの……そういうわけではないのですが……」

「あっ、いや……無理に答えなくていいんだ」


 リシュールはすぐに弁解する。普段穏やかな表情を浮かべている彼にこういう顔をされると、責めているような気がして居心地が悪い。


「ただ、こんなに早く仕上がるのに、使わないようにしているのは何故かなって思っただけで……。嫌なことを聞いたんなら、ごめん」

「いえ、そんなことは……。それにリシュが謝ることは何一つありませんよ」


 クモイはそこまで言ってから目を閉じると、気持ちを切り替えて「――それより、準備ができましたらまいりましょう」と言った。


 彼がいつもの顔に戻り、話題を変えてくれたことにほっとすると、リシュールは自分の服のシャツを少し引っ張って尋ねた。


「そうだね。あ、でも待って。一つだけ聞きたいんだけど、なんでこれを着なくちゃいけないの?」


 何故小奇麗な服を着なくてはならないのか。

 リシュールが聞くと、クモイはにっこりと笑ったが、珍しくどこか人が悪いような印象が見え隠れしていた。


「これから行く先では、少しいい恰好をしていたほうが相手の態度が良くなるのです。いつものリシュの姿も素敵ですが、外見でしか判断できない相手のために、見た目に気を使っているだけでございます。お気になさらず」


 言い方にもとげを感じながら、リシュールは「そ、そう?」と曖昧あいまいに答えた。これも詳しく聞かないほうがいいだろう。


「では、行きましょうか」

「そうだね」


 リシュールはうなずくと、下宿屋のおかみに余所よそ行きの格好をしていることがばれないよう、濃い灰色のマントを羽織って、こそこそと下宿屋を出たのだった。

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