第33話 クモイの得意なこと

 引っ越しの話を決めた一週間後の夜のこと。

 クモイはマントの中に入って眠る前に、ベッドに入った主人にそっと声を掛けた。もちろん、住人にクモイの存在を気付かれないようにするためである。


「リシュ」

「うーん?」


 リシュールは、ベッドの傍にひざまずくクモイに視線を向けた。窓から差し込む青白い月明かりが、彼を幻想的に浮かび上がらせている。


「お部屋のことなのですが、気に入っていただけそうなところを、三つに絞ってきました。もし明日の予定が空けられるようでしたら、一緒に見学に行きませんか?」

「えっ」


 ひと月以内に見つけると宣言していたとはいえ、まさか一週間で部屋を見つけてくるとは思ってもみなかった。リシュールは驚いて体を起こす。


「すごく早いね。僕がこの屋根裏部屋を見つけるまでにひと月はかかったのに。どんな手を使ったの?」

「調べるのが得意なだけですよ」


 威張いばるでもなく、得意そうにするでもなく、ただそう言ってクモイは柔らかく笑う。


「ふーん?」

「それで、見学はいかがでしょう?」

「行ってもいいの?」

「もちろんです」


 彼はうなずいた後、少し表情をくもらせた。


「ただ、リシュに一つだけ謝っておかなければならないことが」

「何?」

「不動産屋と話をする際、同居者との関係を聞かれたので、リシュのことを私の『年の離れた弟』ということにしてしまいました。申し訳ありません」


 クモイがしゅんとする。一方のリシュールは、何故そんなことを気にするんだろうと思いながら、あっけらかんと答えた。


「そんなの全然いいよ。謝ることでもないし」

「それなら良いのですが」


 クモイがほっと安堵あんどした表情を浮かべる。


「だけど、不動産って住む人の関係性も聞くんだね。聞かれるのって人数だけかと思った」

「借りる場所にもよると思いますが、できるだけトラブルを避けたいのでしょう。見ず知らずの人間が出入りすると、問題が起きやすいのは確かですから」

「そっか」

「では明日、行きましょうか?」

「うん! 楽しみだなぁ」


 気持ちがたかぶるのを感じながら、リシュールは再び毛布の中にもぐった。冬になる前に毛布を買い足しておかなくてはいけないと思っていたが、この分だと引っ越してから買ってもいいかもしれないとぼんやり思う。


「私は少し緊張しております」


 一方のクモイは、立ち上がって、椅子の背もたれにかけてある自分のマントをいじっていた。


「どうして?」

「気に入っていただけるか心配なのです」


 リシュールはクモイのほうを見て、目をしばたたかせた。


「大丈夫だと思うけど」

「そうでしょうか」

「クモイが一生懸命に調べて、三つに絞ってくれたんだもん。逆にどれもよくて、選ぶのが難しいかもしれないよ」


 すると彼は顔をほころばせた。


「そうなることを祈ります」

「きっとそうなるよ……。おやすみ」


 リシュールは目をつむる。


「おやすみなさい」


 クモイの声が部屋の中にとけて消えたあと、そっと目を開ける。

 先程までクモイがいたところには、すでに彼の姿はなく、マントの中へ戻ったことが伺えた。


「……」


 リシュールは、緊張気味だと言っていたクモイがよく眠れるように、と祈りながら自分も眠りにくのだった。


*****


 次の日、リシュールは靴磨きの仕事は休みにして、クモイが候補をしぼったという部屋へ向かうため準備をしていた。

 だがリシュールは、珍しく不服そうに唇をとがらせていた。


「……」


 それは小奇麗こぎれいな服を着せられたためなのだが、その服というのは、孤児院から出るときにもらったもので、身長が伸びたために着られなくなっていたものなのだ。それにもかかわらず、今のリシュールにぴったりなのである。

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