第27話 楽しみな朝

*****


 次の日、リシュールは「何か楽しみがある」という、わくわくするような気持ちを感じながら目が覚めた。


 しかし、最初に目に入ったのは見慣れた薄汚れた天井で、現実に引き戻されたような心地になった。


 リシュールの現実とは、靴磨きの貧乏人である。この生活に幸せがないとは言わないが、起きる直前まであった、わくわくするような気持ちはそう現れるものではない。そのためこの気持ちは、寝ている間に見ていた夢が楽しかったせいだと思った。


 だから、きっと今日も変わらない一日が始まる、と思ったのだが、朝日で照らされた部屋の中に、自分以外の人がいるのに気づいてはっとする。

 その人は、リシュールが起きたことに気づいて微笑むと、「おはようございます、リシュ」と言った。途端にリシュールの心の中に、夢じゃない、という強い否定感と、わくわくするような気持ちが戻ってきた。


「おはよう、クモイ」


 礼服を着たクモイが、リシュールの傍に近づいてから小さな声で言い、灰色の瞳を細めて笑う。

 彼の亜麻色あまいろのさらさらとした髪は、窓からの朝日を浴びてきらきらと光っていて、彼が動くのと同時にきれいに揺れた。


「よく眠れましたか?」


 リシュールはその問いを聞きながら、嬉しい気持ちがあるのは、昨日彼と出会ったからだったということを思い出し、夢ではなかったことにほっとする。


「うん」


 リシュールが体を起こすと、布団の上には濃い灰色のマントが掛けられていた。


「これ……」

「申し訳ありません。朝方こちらに出てきた際に、リシュが寒そうに縮こまっておりましたので、勝手ながらかけさせてもらいました」

「……ありがとう」


 リシュールは苦笑しながら礼を言うと、言葉を続けた。


「でも、気にしなくていいよ。近いうちに、毛布を買ってくるから」


 何のためにマントを買ったのだ、という話である。

 もちろん外套がいとうのかわりと、眠るときの隙間風の寒さに耐えるためだが、外に出て行くときに羽織るのはクモイを連れて行くため百歩譲っていいとしても、寝具として使うのは複雑な心境だった。


 例えるなら、孤児院にいたころ、腹の上に小さい子が重なって寝たことに近い。それだって自分より小さい子ならまだいいが、大人であるクモイが自分の上に重なっているのは、何となく重そうな気がするのだ。

 クモイがマントに入ったからといって、マントの重さは全く変わらないのがまた不思議なのだが、理屈と気持ちは別物である。


 今朝けさのように、クモイがマントの中に入っていなければまだいい。しかし、彼のベッドがその中にあるのだから、「マントに入らないで」と頼むわけにはいかないだろう。

 毛布を買うのは財布には痛いが、致し方ない。


「どうかなさいましたか?」

「ああ……ううん。何でもないよ」


 リシュールは、ベッドから出ると急いで着替えを始める。今日は急がなくても調理場の掃除には間に合うが、部屋が寒いので温もりが消えないうちに着替えてしまいたかったのだ。そしてクモイはというと、昨日と同じように目のやり場に困っているようだった。


「じゃあ、掃除に行ってくるから、静かに待っていてね」


 支度を済ませると、リシュールはクモイに言った。リシュールの一日の始まりは、下宿屋の調理場掃除から始まる。


「かしこまりました。いってらっしゃいませ」


 クモイが小さな声で答えた。昨夜のように、「誰かを一緒に住まわせている」とおかみに疑われるのを避けるためである。


「うん、いってきます」


 クモイと話すことは何でもいいし、こうやって話すのが楽しい。

 だが、もう少し人目を気にせずに話せたら、とは思う。リシュールは、何か方法はないかと思いながら、いつもよりも気持ちをはずませて掃除へ向かった。

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