第25話 マントの中の世界①

「それより、部屋を調べられるとは思わなかったよ。もしクモイじゃなかったら、僕は部屋を追い出されていたかも」


 リシュールは、可笑おかしそうにふふっと笑う。クモイならば絶対に見つかりっこないと思っているからだ。それを見たクモイが表情を和らげた。


「今後も見つからないように気を付けますね」

「よろしくお願いします」


 そう言って二人で笑い合うと、リシュールはぐっと伸びをして服を着替え始める。

 クモイはまた目のやり場に困っている様子だったが、孤児院では普通のことだったので、何故彼がそのような態度を取るのか、リシュールには不思議なのだった。


「今日はもう寝よう」


 着替え終わったリシュールはベッドに座って言った。


「はい」


 だが、自分がベッドに入り、椅子に座ったままのクモイを見て、リシュールはハッとした。


「あ、そういえばクモイのベッドがないね。どうしよう……」


 ベッドの上で起き上がると、クモイは彼の側に寄り、横になるよううながす。


「私のことはお気になさらず。マントの中に戻って寝ますから、大丈夫です」

「どういうこと?」


 リシュールは枕に頭を載せると、顔だけクモイのほうを向けて聞いた。


「靴磨きのためにこの服に着替えた際にも申し上げましたが、マントの中は人一人生活できるような空間があるのです。ですから、ベッドもございます」

「へえ、そうなんだ……。すごいんだね」


 リシュールは感嘆の声をあげる。


「それほどのことではございません」

「ねえ、ベッドはどんな感じ? ふかふか?」


 興味本位で聞いてみる。すると、クモイは困ったような笑みを浮かべて「そうでもないですよ」と答えた。それを見たリシュールは、何となくそれ以上聞かない方がいいような気がして、「そっか」とだけ言った。


 クモイはリシュールのことを知りたがるが、自分のことはあまり話そうとしない。

「主人」と「従者」の立場上の違いなのだろうか。はっきりした理由は分からないが、リシュールは彼のことを知るには、まだ時間がかかりそうだなと思った。


「さあ、お休みください。ランプの火は私が消しますので」

「うん、ありがとう」

「おやすみなさい、リシュ。良い夢を」

「クモイもね。おやすみ」


 そして目を閉じると、まぶたに感じていた柔らかなランプの光がふっと消える。

 リシュールは暫く目をつむっていたが、やはり気になってちょっとだけ目を開けた。すると月明かりの光で青白く浮かび上がった部屋には、すでにクモイの姿はなかった。マントの中に戻ってしまったのだろう。


 しかし、彼の姿が見えなくなっても、傍にいることは分かる。マントに呼びかければ、またクモイが出て来ることを知っているからだ。


 リシュールにとって一人ではない夜は久しぶりだった。そのため、何か贈り物をもらったような喜びの気持ちを胸に抱き、明日の朝が楽しみになりながら眠りにいたのだった。


*****


 主人に就寝の挨拶をした後、クモイは一人マントの中に戻っていた。

 マントは入ってすぐは真っ暗闇である。とりあえず地面の上に立っているので、かろうじて上と下は分かるが、右と左はさっぱり分からない。目を開けていても、一筋も光がないので、開けていないのではないかと錯覚するほど何も見えないのだ。


 一七〇年程前、初めてこの中へ入ったときは、この左右が分からない感覚に恐怖を覚えたが、数え切れないほど出入りしているうちに、いつの間にか全く気にならなくなった。自分の感覚が慣れてしまったのだろう。


 クモイはその世界に光が出てくることを待った。光が出てくる時間まではそう長くない。初めは暗闇に現れる光を早く捉えたくて目を開けていたが、すぐに見ると眩しさで目がくらんでしまうため、目を閉じて静かに待つことを覚えたのだった。


 そんなことをしているうちに、瞼の辺りに淡い光を感じる。


 クモイは、ゆっくりと目を開いた。自分はまだ「暗闇」にいるが、その先には光に照らされた背の低い草花が咲き誇る、穏やかな雰囲気の大地が広がる。


 しかし、ここはマントの中。そのため、本物の太陽はない。

 大地を照らしているのは、「太陽に見せかけたもの」から光が放たれているだけである。


 だが、「暗闇」の中にいてもただってくる草花の瑞々みずみずしい香りや、遠くで聞こえる川のせせらぎの音は違う。それらは実際に存在しているのだ。

 何故本物があるのかといえば、ここが使作られているからである。


「……」


 クモイは歩いて明るい大地に出る。気温も程よく暖かい。

 それを感じるや否や、彼がほんの少し前までいた「暗闇」は無くなった。その代わり「暗闇」があった場所を振り返れば、目の前にある「草花が咲く大地」と同じ光景が遠くまで広がっているはずだ。


 だが、彼は振り返って確認はしない。わざわざ見ずとも、ここに入るたびに間違いなく起こっている現象であると分かっているからだ。

 幾度いくどとなく見てきて、別の事象が起こることはなかった。そのため今も、これまでと同じことが繰り返されていることを彼は知っている。


 草花が風に揺れる地に出たクモイは、左手を見上げた。するとそこにはとんがり屋根の、石を積み上げて出来た家がある。


「……」


 彼はその家を見て小さくため息をつくと、木でできた重い玄関の扉を引き、気だるそうに中へ入った。

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