第19話 リシュールの過去②

「両親はそんな感じだったんだけど、住んでいる場所はとってもよかったよ」

「どういう場所でしたか?」


 クモイの問いに、リシュールは遠い記憶の中にある場所を思い浮かべる。孤児院にいたときも、時折思い出していたので、そう難しいことではない。


「小さい川が近くにあってせせらぎの音が聞こえるんだよ。庭には木が植えてあって、その周りに草花が生えていてさ。鳥のさえずりも聞こえるんだ。父さんは、腹の虫の居所が悪いと、うるさいって怒鳴りつけてたけど。僕は、とても好きな場所だった」


 リシュールの生家は、庭と水車小屋が付いた小さな家だった。水車に流れて来る小川のせせらぎの音が優しく、春になると庭には草花が沢山咲く。


 その穏やかな風景は彼にとって好ましいものだったが、家の中では、生活がままならなくて泣き叫ぶ母と、それに対して言い返す父のみにくい争いが繰り広げられていた。リシュールはそれを止めるすべを知らず、ただ、父の怒りの発散の道具として使われたのだった。


 リシュールにとって一番幸いだったことは、怒っている父と泣いている母の顔を忘れたこと。もし覚えていたら、自分はもっと苦しんでいたのではないか、とリシュールは思う。


「そうだったんですね……。孤児院にはどれくらいいたのですか?」

「僕が孤児院に来たのは、確か七歳のときで、去年十五歳になって出てきたから……」


 リシュールは指を折って、年を数える。


「六年くらいの間お世話になったみたい」

「長いですね」


 クモイの一言に、リシュールは小首を傾げた。


「どうだろう。生まれてすぐに孤児院に預けられる子もいるから、最長ではないよ」


 そうなれば十五年は孤児院にいることになる。その半分の年数もいないのだから、リシュールは短い方なのかもしれなかった。


「孤児院は、十五歳になると出なければならないのですか?」

「大体はそうだね。長くても十六歳だと思うよ。毎年、孤児院に入る子どもが次々に来るんだ。保護しなくちゃいけないのは、やっぱり小さい子たちでしょ? だから、僕らのような年長は外へ出て自立しなくちゃならない」

「十五歳もまだ子どもですよ」

「それはお金持ちの子たちの話しだよ。僕らみたいなお金のない子は、働かなくちゃ。法律でも働くことを認められているしね。それに、靴磨きの仕事ができるくらいまで育ててもらったんだから、感謝しないと」


 リシュールは笑ってそう言う。そうでもしなければ自分が可哀かわいそうだと思ったのだ。

 その様子を見ていたクモイが、何か言いかけたときである。二人の間に人が現れた。


「はい、お待たせ。『おすすめ』のフォッチャとロフトニーが二つずつね」


 先ほど注文を取っていた女店員だった。持ってきた料理とスプーン、フォーク、ナイフをテキパキとテーブルに並べると、「追加の注文も受け付けているから、そのときはまた呼んでちょうだい」と言い、伝票をテーブルに備え付けてあった小さな木のつつに入れた。


「どうも」


 クモイが店員に返事するや否や、すでに彼女は別の注文を取りに行っていたが、クモイは気にした風もなく「さあ、食べましょう」と言った。料理からは湯気が立ち、それと一緒においしそうな香りが食欲をそそる。


「おいしそう!」


 出された料理は、深めの皿の中心にこんもりと山が出来ており、その上にこんがりと焼き色が付いた、カーゼオス(チーズのこと)がとろけていた。


「フォッチャって言ってたね。この料理、初めて見たよ」

「この辺りの郷土料理で、大きめのフォン(丸い固いパン)に、スープを染み込ませるのです。その上にスライスしたタラパラン(玉ねぎのような野菜)を散らし、カーゼオス(チーズのこと)を載せて焼いています」

「へえ、そうなんだ」


 リシュールは説明を聞きながら、皿の上をじっと見つめる。

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