第17話 大衆食堂『ディオール』

 その後、「クモイだけ行ってきなよ」「いえ、リシュが行かないなら私も行きません」という会話を何度か繰り返したのだが、結局リシュールが折れた。


 このときリシュールは、自分に仕える従者が、妙なところで融通ゆうずうかないことを初めて知ったのだが、クモイがおすすめの料理屋へ上機嫌で向かうところを見たら、指摘する気にもならなかった。


 だが、気になることはもう一つある。

 靴磨きの流行もそうだが、「クモイがこの辺りにある店を把握している」ということ。


 リシュールは去年、アルトランに越してくるときに、孤児院の先生にどういう町か尋ねたことがあった。今まで行ったことのない場所なので、町について少しでも知りたかったのである。

 すると先生は一通り町の説明をしてから、「でもね」と言った。


「私はアルトランには十年行っていないから、今の町の様子がどうなのかは分からないのよ」と。


 時が経ったら、町の様子も変わるのだということを、リシュールはこのとき強く感じた。ということは、行かなければその地の変化には気づけないということだ。だが、クモイは五十年も眠っていたという割には知っている。いや、知りすぎている。


 やはり魔法で分かるのだろうか、と思考を巡らせながら、リシュールは自分の前を歩き道案内をするクモイの後ろを、不思議な気持ちで付いて行くのだった。


「ここです」


 クモイがそう言って立ち止まったのは、大通りから一本北側に入った繁華街にある店である。入り口のドアは、下半分が鮮やかな赤い色に染められた木の板でできており、上の半分にはガラスがはめ込まれていた。


 明るい店内は沢山の人でにぎわっており、クモイが扉を開けると、人の声や、カチャカチャと食器が当たる音などがわっと聞こえてくる。


「ここって……?」

「『ディオール』という名前の大衆食堂です。主に仕事終わりの人が利用しています」

「へえ、そうなんだ」


 言われてみると服が汚れ、少し疲れた様子の仕事を終えた人たちが食事をしている。しかし、そうはいっても表情は明るく皆楽しそうだ。


「リシュ、あそこが空いています」


 店内に入ったクモイが示した場所は、壁際の二人席だった。リシュールはうなずくと、彼の後に続いて椅子の間をうように歩き、席に辿り着くと向かい合わせに座る。


「いらっしゃい、二名さまだね。注文はどうしましょうか?」


 二人が座るや否や、体型がふくよかな中年の女性店員がやってきて、賑やかなこの場所でも通る声で尋ねてきた。リシュールはよく分からずクモイを見ると、彼は「おすすめのものを二つお願いします」と言った。


「二つね。飲み物は酒を付けようかね?」

「いえ、ロフトニー(ほうじ茶のような味のお茶)を二つお願いします」

「はいよ」


 店員はさらさらと紙にメモすると、また次に入って来た客のところへ行ってしまう。食事を終えて出て行く人もいるので、せわしない。


「なんかすごいところだね……」


 リシュールは辺りをきょろきょろと見回し、感心しているような、でも賑わいに圧倒されているような様子で呟く。しかしその声は周囲の音で聞き取れなかったようで、クモイは帽子とマフラーを外すと、耳を近づけ聞き返した。


「なんですか?」


 そのため少し大きい声でもう一度言う。


「すごいところだなって」

「どういうところが?」

「人が沢山いて賑わっていて、活気があるところ」


 すると彼は微笑んでうなずいた。


「こういうところで食事をするのは初めてですか?」

「うん。さっきも言ったけど、外食できるお金がないし、そもそも僕は孤児院で育ったからね。こういうところで食べたことはないんだ」


 クモイは「そうですか」と言ってから、少し間をおいて姿勢を正すと「あの、リシュのこれまでのことをお聞きしても構いませんか?」と尋ねた。


「どうしたの、改まって」

「私はもう少しリシュのことを知って、親交を深めたいと思っています。ですが、人には聞かれたくないことがあるものです。そのため、聞いてもいいかお尋ねしました。とはいえ、出会ってまだ一日も経っていない人間に話したくないかもしれませんが……」

「僕のことを知りたいの?」


 リシュールは驚きながら尋ねた。自分のことを知ろうという人はこれまでいなかったし、いたとしても気遣うような聞き方をされたことなど一度もなかったからである。

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