第13話 曖昧な回答

「お水ですか?」


 不思議そうに瓶を眺めるクモイの問いに、リシュールはうなずく。


「そうだよ。フォンを食べるのにいるでしょ。それとも水じゃないと思ってる?」


 瓶は透明だが濃い緑色の着色がされているため、見た目では「水」だと分からないのだ。

 するとクモイが慌てて弁解した。


「いえ、リシュのことを疑ってなどおりません。そうではなく、どちらでお水をまれたのかなと……」


 リシュールは、そういうことね、と納得する。


 アルトランは城下町なので、水道が通っているところもある。

 だが、リシュールが住んでいる下宿屋には設備が整っていないため、生活用水は敷地に掘られている井戸水から汲むのが普通だ。見た目は透明なので、洗濯や掃除に使う分にはいい。だが、飲み水としては良質とは言えないのだ。


 そのため井戸水を飲み水として使う場合は、必ず煮沸する。だが、お湯にして茶を飲んだり料理に使うならまだしも、「水」にするためにはやらない。燃料代が無駄だし、冷ますのに時間がかかるからだ。


 そのため大人たちは、冷えたものを飲むときは水ではなく、赤酒あかざけ(赤い果実から作る醸造酒のこと)を飲む者が多い。

 安全な水を作るより、売っている赤酒を買った方が安いため、そちらを買ってしまうのだ。


 だが、赤酒は少量ならまだしも、多く、そして長く飲むことによって健康に害が出ることがある。よって貧乏人ほど赤酒を買い、体を壊し、仕事ができなくなるという、悪循環におちいりやすい。


 このような経緯があって、中々水を飲む機会はない。だが、クモイに渡した瓶に入った水だった。そのため、直接井戸から汲んだのかと思ったのだろう。

 常識からずれている人だと思ったが、こういうところはちゃんとしているらしい。

 

「ああ、そのことね。おかみさんが、煮沸した井戸水を水差しに入れて置いておいてくれるんだ」

「そうなのですか? おかみさんはお優しい方なのですね」


 下宿屋でわざわざ煮沸した井戸水を置いてくれていて、住んでいる人たちに分けてくれる点を考えると確かにそう思う。

 だが、頬がこけて目に生気がなく、いつも不機嫌そうな彼女を目にしたら、誰もそんな風に思わないだろう。

 そのためリシュールは曖昧あいまいに答えた。


「まあ、うん。そうなのかも」


 これでクモイも納得してくれただろうと思ったが、クモイは「それより」と言って、今度はリシュールのことについて質問をした。


「失礼を承知で申し上げますが、これが毎日の朝食ですか?」


 聞かれたリシュールは、一瞬きょとんとする。そんな改まって聞くほどのことではないので、少しびっくりしてしまったのだ。


「そうだけど……」


 リシュールはそう答えてから、言葉を続けた。


「がっかりしただろう? 仕える主人を間違ったってさ」と自虐じぎゃくを込めて笑う。

 一緒に笑ってくれるかと思ったのだが、クモイは笑わなかった。寧ろ、より一層真剣な表情をしている。


「そのようなことは一切思っておりません」


 はっきりと否定され、リシュールはどこか居心地の悪い感じがして身じろぎした。


「ま、まあ、そうだよね。僕に仕えたいって言ったのはクモイなんだから」


 自分が言ったことを誤魔化すようにリシュールは言う。だが、クモイは真面目に受け取ってしっかりとうなずいた。


「はい。ですから、今後は私がリシュの分の朝食もご用意いたします」

「……うん?」


 唐突な話に、リシュールは小首を傾げた。


「朝食を用意するって?」

「はい、その通りでございます」


 それはつまり、フォンと水を用意するということだろうか。もしそうなら、クモイがしなくてもリシュールがいつも通りパン屋に行って買えばいい話である。


「いや、別にいいって。だってフォンを食べるだけだよ?」

「その点も改善いたします。もう少し何か……そうですね。野菜や卵などを召し上がっていただかなくては。すぐにとはいきませんが、必ずそういたしましょう」

「でもどうやって? お金だってかかるから僕は出せないよ?」


 リシュールの朝食がここまで質素なのは、節約してのことである。野菜も卵も高いのでもってのほかだ。

 だが、クモイは「そういうことではない」と言わんばかりに、ゆっくりと横に首を振った。


「リシュのお手をわずらわせるようなことはいたしませんので、ご安心ください」

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