第10話 可哀そうな貧乏人

「……分かった、そうする。でもその前に、掃除をしてくるよ」


「お掃除でしたら、私がいたします」


 クモイは早速主人の役に立とうと申し出る。だが、リシュールは首を横に振った。


「いや、いいよ。掃除する場所は下宿屋の調理場なんだ。誰かに見られたらまずいから、いつも通り僕がしてくる」


「そうですか……」


 残念そうにしているクモイに、リシュールは準備ができると掃除をしに行く前に、もう一度だけくぎを刺した。


「とにかく、僕が戻ってくるまでここで大人しく待ってて。いいね?」


「はい」


 それからリシュールは、毎日の仕事だという下宿屋の調理場の掃除を済ませてくると、仕事道具を持ち、「クモイが入っているマント」を羽織って外に出るのだった。


*****


「何も面白いことなんてないと思うけど……ほら、着いたよクモイ」


 秋晴れの空の下、リシュールは人気のない路地に入ると、靴磨きの道具を置いてその場でマントを外し地面に置く。


 すると、マントのなかからクモイがひょいっと出てくる。人間が一人出てくるなんて、マントの中はどうなっているのだろうと思わずにはいられない。


 だがリシュールは、クモイのせいで別のことで頭を抱えることになった。

 彼は「接客をお手伝いしますね」とさも当たり前に宣言したが、その格好がまずかった。


「ちょっと待って! それはお客さんの姿だ……!」


 リシュールは、自分よりも背の高いクモイを眺めると額に手を当てた。


 連れて来るときに、何故気づかなかったのだろう。黒の礼服というのは、どう考えても路上で靴磨きをする貧乏人が着るものではない。


「そうは申されましても、これが私の仕事着でございます。リシュに失礼な態度を取るなど、ありえません」


 クモイの主張に、リシュールは声を強めた。


「駄目だって! 身なりのいい人が接客をする靴磨きなんて、誰も頼まないんだから!」


「どうしてでしょうか?」


 クモイは本当に意味が分からない様子で首を傾げる。マントの中で長く眠りすぎていたせいなのか、それとも「魔法使い」であるせいなのか、どこか常識がずれている。


 そのためリシュールは、内心呆れながら説明した。


「僕の仕事は路上でやるんだ。貧乏人の仕事ってやつ。そして貴族とか金持ちが靴磨きをお願いするのは、僕たちみたいな貧乏人を可哀かわいそうだなあって思っているから頼むんだよ」


 クモイは「ふむ」とあごに手を当てて考える仕草をする。


「『博愛の精神』というものですか?」


「は、はくあいのせいしん?」


 難しい言葉だったので、首をひねりつつ聞き返す。


「弱い者や困っている者に援助の手を差し伸べることです」


「ああ、そういう意味か。うーん、近いけど、あの人たちのしていることは、『いいことしたなぁ』って思うためにしているだけだと思うけど。あとは――」


 ――自分よりも不幸な人間を見てほっとしているんだ。


 そう言おうとしたが、口を閉じた。わざわざいうことでもない。


「あとは、何でしょうか?」


 急に押し黙った主人を見て、少し心配そうな表情で尋ねた。リシュールは嫌な気分を振り払うように笑みを浮かべる。


「ううん、なんでもない。この辺りの道はまだ整備されていなくて、靴が汚れやすいから、有り難いことに結構仕事があるんだ。だからお客さんが逃げないように、クモイは……そうだな、マントの中にいてよ」


「いえ、お傍におります」


「だから! 傍にいたらお客さんが来てくれないって言ってんの! ここで着替えもできないでしょ。だから、マントの中に戻って大人しくしていて」


 そう言ってマントを差し出す。だが、クモイはすぐに入ろうとしなかった。

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