第8話 名前と理由

「どうかなさいましたか?」


 小首を傾げつつも笑う青年の瞳は、灰色をしていた。


「……あの……、『クモイ』っていうのはどう?」


 リシュールは何度か迷った末に、青年に聞いてみた。


「『クモイ』ですか? 理由をうかがっても?」


「何でもいいんじゃなかったの?」


 理由を尋ねられると思わなかったので、リシュールは不服そうに唇をとがらせた。しかし青年はめげない。


「もちろんでございます。しかし、やはりどういう意味で名を付けてくださったか気になります。それに、名前としては聞きなれない言葉でしたので、由来があれば聞きたいなと」


 にこっと笑う青年に、リシュールは何となくこそばゆい気持ちを感じながら、「クモイ」という名前の理由を、頭をかきながら語る。


「……前に、孤児院の先生が言っていたことを思い出したんだ。大陸の西側に伝わる古い言葉らしいんだけど、『クモイ』って雲のある場所のことを言ったり、雲そのもののことを言うときに使うんだって。それで……」


 リシュールはちらりと青年の瞳を見て、すぐにらす。


「君の瞳の色が灰色で、なんだか雨が降りそうな雲を思い浮かべたから『クモイ』……」


 どういう反応をするだろうか待っていると、青年は「『クモイ』……」と噛みしめるように発音する。


「素敵な名前ですね。とても良い名をいただきました。大切にいたします」

「そう? それならよかった……」


 ほっと胸を撫で下ろす。それと同時に心の奥が柔らかいものでくすぐられているかのような、温かな心地がしていた。


 リシュールは照れくささで視線を彷徨さまよわせながら、「あのさ」とクモイに言う。


「はい、何でしょう。主さま」


 笑顔で応えるクモイに、リシュールは少し身を引いた。どうやっても「主さま」はおかしい呼び方なので、変えさせなければならないと思ったのである。


「その……えっと、僕のことも『主さま』なんて言わなくていいよ。リシュールだから、リシュって呼んでよ」


「では、リシュさま」


「その『さま』ってのもいらないって」


「ですが……」


 戸惑うような表情を浮かべる彼に、「主の言うことは聞いてくれるんじゃないの?」とすねたような口調で言う。


 するとクモイは困ったように笑った。


「分かりました。主さまがそうおっしゃるのであれば、リシュとお呼びします。ですが、それ以外の言葉遣いにつきましては、私も従者としての取るべき態度というものがございますので、どうかお許しください」


 リシュールは誰かに仕えたこともなければ、仕えられることも初めてなので、よく分からなかったが、これ以上は譲歩できないということは伝わってきた。リシュールは諦めて小さく笑う。


「本当はその敬語もやめてもらおうと思ったのに……。でも、そう言われたら仕方ないね……。受け入れる」


「ありがとうございます」


 クモイはほっとした様子でお礼を言った。


「うん。――よし、じゃあ、よろしく」


 リシュールは手を出して握手を求める。するとクモイは少し驚いたような表情を浮かべたのち、柔らかな笑みを浮かべると、両手でそっとその手を握った。


「はい、よろしくお願いいたします」

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