第5話 魔法使い

 リシュールはしばし考えた後、おもむろにベッドから下りる。そして気がそぞろのまま、木の椅子の背もたれにかけられていた服を手に取ると、青年のことを気にすることなく着替え始めた。


「あ、あの、ご主人さま……? ここで着替えられるのですか?」


 視線を天井の方へ向け、気まずそうに尋ねる青年に、リシュールは抑揚よくようのない声で独り言を呟いた。


「マントを交換してもらわないと、冬が越せない……」


「え?」


 それを聞いた青年は打って変わり、ズボンをはくリシュールの視界に入るように立った。


「お待ちください……。何か誤解をされています!」


 すがるような、困ったような声で言う。だが、リシュールは視線を向けて冷たく言い放った。


「あなたがマント……なのかは知らないけど、冗談やめてくれる? 僕は寒い冬を越すためにやっとのことでマントを買ったんだよ。マントがあなたのものなら、僕は使えないじゃないか」


 すると青年はふるふると首を横に振る。それと同時に亜麻色のきれいな髪がさらさらと揺れた。


「いいえ、使えます」


 そういうと、青年はパッと姿を消す。するとリシュールの肩にふわりとマントが掛けられた。


「え……どこに行ったの?」


 きょろきょろと辺りを見渡すと、「ここです」と青年の腕がリシュールの肩越しからにゅっと前に出て来る。


「ぎゃっ!」


 驚いてマントを肩から引きはがすと、床に落ちたマントから青年が姿を現し、すっくと立ちあがった。


「何がどうなってるの……!」


 リシュールはその場に尻餅をつくと、青年が心配して近寄った。


あるじさま」


「わわ、来るな! 今の何? 何なんだ!」


 おびえるリシュールを見た青年は、おろおろとしながら、どうしたらいいか悩んだ末にその場にひざまずいた。


「怖がらせてしまい申し訳ありません。困らせるつもりはなかったのですが……」


 青年は項垂うなだれた。声までしょんぼりしている。


 リシュールは、なんだか悪いことをしたような気分になってしまい、気持ちを何とか落ち着かせると「……いや、その……、驚いただけだから」と補足した。


 すると青年は目を細め、ふっと笑う。彼はリシュールに聞こえるか分からないくらいの小さい声で、「お優しいのですね」と呟くと、説明を続けた。


「先程は『マント』と申しましたが、もう少し詳しく申しますと私は魔法使いなのです」


「ま、魔法……使い……?」


 リシュールは目を瞬かせながら聞き返した。


「はい。マントに出入りできるのも、魔法を使っているからでございます」


「でも、魔法使いはこの世にない架空の存在じゃ……」


「魔法使い」といえば、「人々を救う存在」として絵本やお伽噺とぎばなしにたまに出て来る。孤児院でも、時々先生たちが子どもたちに読み聞かせをしていたが、リシュールは自分を救ってくれる魔法使いなどいないと思っていたので、あまり好きではなかった。


 すると青年はゆっくりと首を横に振る。


「それは半分正しいですが、半分誤りです。数えるほどしかいませんが、魔法使いは今も実在します。そして私はその一人です」


 リシュールは唾を飲み込んだ。


 信じられないような話だが、マントから出てきたところを見る限り、「魔法使い」としか説明がつかない。彼の中で何とか納得すると、また別の疑問が浮かぶ。


「でも、それならどうして、魔法使いの存在が人々に知られていないの……?」


 マントから出たり入ったりするような、摩訶不思議まかふしぎなことができるなら、架空の存在ではなく、世の中に認められていてもいいはずである。すると青年はリシュールの疑問に答えをくれた。


「ごもっともな意見でございます。魔法使いは今から一七〇年程前まで、当たり前のように存在しておりました。しかし使があったために、生き残りはほとんどおりません」


「そうなんだ。でも……、まるで見聞きしてきたような話しっぷりだね」


 実際にいた魔法使いのことを語れる人はいない。そのため冗談のつもりで言ったのだが、青年は驚くことを口にした。


「私はその当時から生きておりますから」

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