応援コメント

俺は出会った 6」への応援コメント

  • あん様 御侍史

    最近、水を得た魚の様に存分に才能を開花させていらっしゃいますね。
    本日もこの上ないメッセージを有難うございました。
    毎日文通状態で、申し訳ございません。
    私が書くのを止めればいいのに・・・これは、天が「書け」とおっしゃるのを感じるから書き続けて居りますが、だからこそ、御返信は御無用でございます。

    私は「プリマドンナ・デルモンド」を数十年ぶりに読み返してみて
    「どうして私にこんなことが分かったのかしら。」
    「どうして私にこんなことが見えたのかしら。」
    と不思議に感じることばかりで、運慶が
    「自分が仏像を創るのではない。
    木の中に埋まっているのだ。
    それを彫り出すだけだ。」
    と言った様に、この作品「プリマドンナ・デルモンド」も木の中に埋まっていたのだと感得した、と既に随所で書かせていただきましたが、私にはもう二度とその様な白羽の矢を畏れ多くも立てていただくことは無いと思って居ります。
    でも、あん様は次々に天からの声が聞える類稀な御方なので、どうかそれにひたすら耳を澄まし・・・雑念を振り払って・・・それをのびのびとお書き下さい。
    その様な作品は、必ずや多くの人々の魂を救います。
    それだけあん様は大いなる天命を帯びた御方だと感じます。

    弘法大師も伝教大師も名仏師でした。
    「一刀三礼」・・・彼らは木にノミを一度当てるたびに三度木に向かって礼をしました。
    気の遠くなる様な道のり。
    もしかしたら、木の中に仏像が埋まっている、と彼らも感じていたのかも知れません。
    「どうか仏様、出てきて下さい。」
    という祈りだったのかも知れない、一刀三礼。
    そこには雑念の芽生える余地も無かった。

    どうか、その様な思いで、御心に浮かぶままにお書き下さいませ。

    作者からの返信

    稲邊 富実代 様

    いつも身に余るお言葉をありがとうございます!  

    お気づかいいただき、お返事は不要とのことでしたが、書きたくなってしまい、少しだけすみません……💦


    「一刀三礼」のお話は、とても身に沁みました。

    いろいろな雑念にとらわれて、迷いまくりながら書いていますので、稲邊様のご忠告どおり、心に浮かぶままに書けるよう、がんばっていきたいと思います!

    いつも読んでくださり、気にかけてくださり、あたたかいお言葉を本当にありがとうございます!
    とても、とても励まされました。