第36話 まったく、下民なんて本当に度しがたい存在だね


「はぁっ、はあっ……どうしちゃんだろう私?」


 かなり遠くまで逃げてきた。

 見覚えのない森の中でようやく足を止める。


 息は切れているが疲労はほとんどない。健脚になっただけでなく、体力もかなり底上げされていることに気づく。


 不思議だったが――おかげでユーバー王子たちから逃げ延びることができた。

 安堵はしたが、あんな横暴な騎士たちがいるのでは村も心配だ。これからどうしたものかと途方に暮れていると、


「――アンタなにしてんだい」

「ひっ!?」


 背後から掛かった声に肩が跳ねる。

 まったく物音もしなかったのに、すぐ背後に人が立っていた。オリーブ色の綺麗な髪をした大人の女性だ。


「誰ですかあなたは……って、ああっ!? その瓶は!?」

「?」


 女性が手にしていたのは、あのエナドリが入った小瓶だ。


「知ってるのかい?」

「あなたもなんですか!?」

「行きつけって――」

「気持ちいいですよね!」


 同志を見つけた気分になってテンションが上がる。


「き、気持ち……まあ、いいけどさ……」


 擦れた雰囲気のお姉さんだったが、言いよどんで頬を染める様子はちょっと可愛らしかった。

 この人にとってもあそこは大事な場所なんだろう。


「そうだ。あの場所だけは守らないと……」

「どういうことだい?」


 女性の目がふたたび鋭くなる。

 話してもいいものだろうか? あの騎士たちの手先だったらどうしよう?


(ううん。エナドリを好きな人に悪い人はいないよね、あの『看板さん』も言ってたし!)


 ダンジョンに潜るたび、足を気持ち良くしてもらってエナドリを飲ませてもらっている。看板での会話ではいつもエナドリの素晴らしさを語られているので、次第に思考も染まっていた。


 それにさっきはそのおかげで貞操まで守れたのだ。

 目の前の女性は頼りになりそうな雰囲気も醸し出しているし、


「実はですね――」


 思い切ってユーバー王子たちのことを話してみた。


「……もうここまで来ていたか」

「?」

「いやこっちの話さ。助かったよ」


 何やら深刻な顔をする女性に事情をたずねようとしたとき、


「どしたのー、姉御?」


 連れらしき少女がひょこっと現れた。


「キア。このお嬢さんを村まで送ってやってくれないかい。アタシは例の場所へ王子どもを誘導する」

「それウチがやる!」

「危険だ。そうでなくてもアタシらはお尋ね者なんだよ」

「でもさ、やっぱ姉御よりウチのほうが相手も油断すると思うんだよね」

「……分かった。気をつけるんだよ」


 いまいち村娘には理解できなかったが、話はまとまったみたいだ。


「まかしてよ! いつもアイツには世話になってるんだからこのくらい!」

「フッ。そうだね、想い人のことは守りたいだろうからね」

「ち、ちがうし!? 違うからね!?」


 顔を真っ赤にしながら少女はすっ飛んでいった。


「じゃあ行くよ。あんたを村まで届けてやる」

「ありがとうございます……あ、あそこのお話します? 最高ですよね。私なんて最近お口でパクパクされちゃって――」

「く、口で!?」


 なんだかんだ、村までの道のりで女性とは盛り上がった。



 ■ ■ ■



「くそッ、さっさと探せよ!」


 ユーバーは苛ついて怒鳴り散らす。


「さっきの女がそれらしい場所を口走ってたんだろ!? そう遠くないところにアイツが潜んでるに違いないんだ!」

「落ち着いてくださいユーバー王子」


 エグモントは感情を押し殺した声で、


「確証はありません。そういう反応をしていたというだけで。それにあの村娘の足……馬の速度と体力を上回るような女でした。行動範囲は想像よりずっと広い」

「戯れ言はいいんだよッッ! 僕は、早くアルトの首を取らなきゃ気が治まらないんだ!」

「…………」


 ため息をつくエグモントに、向こうから声が上がる。


「エグモント様こちらへ! 怪しい娘が!」


 報告を聞き、ユーバーたちは部下のところへ向かう。

 逃げた村娘ではなかった。それより幼い、12~13歳くらいの少女だ。乗馬した騎士が3人で取り囲んでいる。


「な、なんだよオマエらっ!」


 追い詰められた野良猫のような健気な威嚇など、歴戦の騎士たちに通じるはずもない。

 だが部下の1人が下馬して捕らえようとすると、


「来んなっ――!」


 目を見張る俊敏で、すぐ背後にあった木の幹を伝い、樹上へと避難した。まさに野良猫だ。


「村の人間……ではなさそうですな」


 少女の風体と動作とを吟味してエグモントが言う。


「王国内を騒がせている盗賊団が、最近この辺を根城にしていると聞きましたが」

「ああ。あの義賊なんて名乗ってるクズ集団か」

「ウチらはクズじゃないっ!」


 正解のようだ。


「クズじゃなければ、救いようのないドブ鼠だ」

「救う気なんてないだろ、オマエたち貴族はさ! だからウチらが――」


 何かをわめく前にユーバーは宝剣を抜き放ち、横薙ぎにふるう。


 ――ザシュッッ!


「うわぁっ!?」


 ユーバーは魔法剣士だ。少女の登っていた木の幹を魔法の斬撃が両断する。突然の落下にも身軽な野良猫娘は、危なげなく着地した。ユーバーは少女へと剣先を向けて、


「うるさいんだよコソ泥風情が!」


 ここで痛めつけ、さっき出来なかったぶんまでしてもよかったが――まだ股間がズキズキと痛む。


「王子。ここは私が」


 エグモントが前に出る。


「おい娘。心当たりを答えろ――」


 先ほど聞き出した『怪しい場所』について問うが、


「し、知るか。知ってても教えないし! くっ――」

「待て」


 背を向けて逃げようとする。しかしエグモントは抜け目ない。呼び止めると同時、小さな革袋を取り出していた。

 ジャラ、と硬貨の音。


「――――っ!?」


 少女の動きが止まり、首だけで振り向く。こちらもさすが耳ざとい。


「情報を買ってやる」

「…………」

「前金だ」


 革袋から銀貨を1枚出して指で弾く。


「っっ!……教えたら、残りもくれるのか?」

「恵んでやる」

「――――」


 まだ警戒した顔をしているが、目線は革袋に釘付け――義賊だなんだと吠えていてもやはり所詮はコソ泥だ。


「……いいよ。たぶんあそこのことだから。着いて来れば」


 プライドも持たず目先の欲に従うしか能がない。


(まったく、下民なんて本当に度しがたい存在だね)


 ユーバーは嘲って鼻を鳴らした――後ろを向いたその少女が、人知れずニヤリとほくそ笑んだことも知らずに。


 

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