第35話 可哀想じゃないか、こんなところで



 ■ ■ ■



 それは、村娘が麦畑で農作業にいそしんでいるときだった。


「おい、そこの娘」


 ふいに、背中に声がかかった。


「え――」


 振り向くと、鎧の騎士が馬上からこちらを見下ろしていた。陽光をギラギラと反射する、一目で高級だとわかる立派な甲冑。ヒゲを生やした武人らしい顔つきの男――そのどっしりとした眼差しが村娘のことをめつけている。


 他にも3人、同じように馬に乗った騎士が付き従っている。


「な、なんでしょう」

「この辺りで怪しい人物を見たか、あるいはウワサを耳にしたことがあるか?」


 怪しいと言われても。漠然としていて心当たりも探しようがない。

 さすがに男もそこは考慮したのか、


「探しているのは国家反逆者、もと王子のアルト・レイモンドだ。こんな辺鄙へんぴな村でも話くらいは聞いたことがあるだろう」

「それは、はい……」


 確か、処刑前に脱獄してどこかに姿をくらませたのだとか。しかし――


「だいぶ前に捜索に来た人たちはいましたけど……最近は何も。王子様のお顔なんて見たことありませんし」


 王都からも離れたこんな小さな村に生まれれば、王子なんてもはや別世界の人間だ。関わり合いになることなんて、一生ないだろう。


「では怪しい場所はないか? 人が隠れ住むのに適したような」

「怪しい……場所?」


 足しげく通っているをつい連想してしまう。騎士の男は村娘の表情を目ざとく捉えて、


「――知っているな? どこだ、それは」

「い、いえ私はなにも……」


 騎士たちのあいだで不穏な空気が流れるのを見て、後じさる。


「捕らえろ」


 ヒゲの騎士が指示を出すと、部下の2人が馬から下りて、麦を踏み荒らし近づいてくる。


「知りません、いやっ……!」


 怯えているうちに両腕をガシッと掴まれてしまう。抵抗しようとするのを力尽くで押さえつけられて、仰向けに引き倒される。


「いやぁっ!」

「なにをやってるんだい?」


 そこへ、馬に乗った別の人物が現れた。目の端で見ると、それは騎士たちより明らかに身分の高そうな青年だった。


「ユーバー王子」


 ヒゲの騎士が口にしたのは、レイモンド王家の第2王子の名だ。下馬したユーバー王子がこちらに歩み寄ってくる。


「可哀想じゃないか、こんなところで」


 陽光と青空に映える金色の髪。切れ長な美貌。

 ただ表情は――慈悲深さとは無縁のように思えた。歪められた口元には、軽薄さと残忍さが色濃く浮かんでいる。


「あっちにみすぼらしい掘っ立て小屋があるだろう? 遊ぶなら、そこでだ」

「っっ!? やめてくださいっ!」


 叫んでも近くには誰もいない。左右から拘束する騎士に立たされ、値踏みするような王子の視線にさらされる。

 屈強な男たちだ、敵うはずもないが力の限りに暴れる。


「ぐっ、この大人しくしろ娘!」

「なんだこいつ、意外と力が……魔力持ちか!?」

「? そんな小娘さっさと――」


 手を伸ばしてくる王子に対して、村娘は咄嗟に、


「来ないでぇっ!」


 右足を蹴り上げた。

 ちょうど、王子の股間に向けて。


「――ほぐぉおッッ!? おッ、ふぅ!?!?」


 金髪王子の体がに折れ曲がって、


「ユーバー王子!?」

「この娘っ、――うわぁっ!?」


 2人をふりほどいて逃げ出す。

 麦の穂をかき分け、畝道うねみちを突っ走り、全力で疾走する。


「なッ、なにをしてるッ、あのクソ女を捕まえろっ! う、うぐぅ……」


 苦しげにわめく王子の指示で、ヒゲの騎士が馬の腹を蹴り追ってくる。懸命に走っているとはいえ所詮は村娘の脚力。軍馬の速度で追われてはひとたまりもない。


 ――はずなのだが。


「っっ!? なぜ追いつけん!?」


 ヒゲ騎士の声は、遠くなるばかり。


(なんでっ、私――?)


 必死で逃げながらも思考する。

 こんなに足が速かっただろうか? 夢中だったとはいえ騎士2人を力任せにふりほどけるほど、筋力があっただろうか?


 魔力持ちだなんて騎士は言っていたけれど――そんなたいそうな能力なんてないはずなのに。


(足、軽いっ!)


 あのダンジョンに通い詰めていたおかげで確かに足腰は強くなった気がするけれど。でもそれにしたって調子が良すぎる。


(魔力……エナドリ?)


 ダンジョンでドロッとした液体。あれもすっかり癖になってしまっている。飲むと体の奥から活力が沸いてくる。

 今はその感覚に似ていて、走っても走っても疲れを覚えることはなく、地平線にまでだって届きそうだ。


「お、おのれっ待たんか……ッ!」


 そしてとうとう、騎士の声と蹄の音は聞こえなくなった。



 ■ ■ ■



「申し訳ありませんユーバー王子……」


 苦痛に悶えるユーバーのもとに、ヒゲ面の騎士団長・エグモントが戻ってきた。だが、当然捕獲していると思っていた村娘の姿が見えない。


「あの女はどうしたっ!?」

「……取り逃がしました」


 と、渋面を浮かべる。

 エグモントは幼少期からユーバーに仕える忠実な部下。ユーバーの母である王妃が見繕った男で、ユーバーの命令であれば相手が女子供でも容赦などしない。それなのに――


「どういうことだ!?……うッ、うぅう……!」

「信じがたい速度で――あれは普通の娘ではありません」

「そんな馬鹿な言い訳が通用すると思うかッ!?」

「…………」


 股間の痛みで脂汗が止まらない。

 戦闘装束ではあるが、股間部は簡単な被せものを装着しているだけだった。しかし、これすら無かったらどうなっていたかと思うと――ゾッとする。


『アルト狩り』のついでにつまみ食いをしようとしただけなのに、まさかの仕打ちだ。


「ゆ、許さないぞ……ッ! あのクソ女を捕まえろ! それが出来ないって言うなら村の連中を根こそぎ見せしめにしてやれっ!」

「それは――」


 エグモントが渋る。


「王子。ここは僻地とはいえ、ディートリヒ公爵の領地です」

「それがどうしたッ!?」

「小娘ひとりを手込めにする程度ならともかく、そこまでの蛮行はいくら王子でも許されますまい」

「ふざけるなッッ! じゃあ僕にこのまま泣き寝入りしろと!?」

「……本来の、アルト捜索に向かいましょう。それとも王都へ戻られますか?」

「じょ、冗談じゃないッッ!!」


 アルトを見つけられずに帰還するならまだしも、まさか村娘に返り討ちにあったからおめおめ引き返すなどと――そんな惨めな真似が出来るはずもない。


 なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。誰のせいで――


「アルトっ……! お前を八つ裂きにして晴らしてやるッ、待ってろよ……!」


 ユーバーは騎士たちに支えられながら、そう吐き捨てた。




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