二〇章 最低の嘘

 その日の放課後。

 笑苗えないつきを屋上へと呼び出した。

 ふたりきり……ではない。笑苗えなの隣には慶吾けいごがいた。なんともバツの悪そうな、申し訳ないような、そんな表情で立っている。そして、笑苗えなは、その慶吾けいごの隣にいた。両腕でしっかり慶吾けいごの腕に抱きつき、まるで恋人のようである。

 笑苗えなは満面の笑顔でいつきに言った。

 「ごめんねえ。あたし、やっぱり、慶吾けいごと付き合うことにしたから」

 そう言って『バイバイ』とばかりに片手をヒラヒラ振ってみせる。

 そんな笑苗えないつきはじっと立ち尽くしたまま、まっすぐな瞳で見つめている。

 笑苗えなは笑顔のままつづけた。

 「もともと、新道しんどうと付き合ったのって罰ゲームの嘘告だったわけだしさあ。なんか、あんたが本気になっちゃったからかわいそうに思って彼女の振りしててあげたけど、あたしやっぱり、陽キャのスポーツマンがいいんだよねえ。あんたみたいな陰キャの農業オタクとはやっぱ、むりだわ」

 笑苗えなは不自然なほどの早口でそうまくし立てる。

 いかにも軽薄そうな笑顔といい、人を見下したような態度といい、どこからどう見ても頭も軽ければ尻も軽い性悪のギャル。男から見れば殴りたくなるような、そんな女そのものだった。しかし――。

 事情を知っている慶吾けいごからすれば、笑苗えなの態度が軽薄なものであればあるほど痛々しくて見ていられない。笑苗えなを気遣う表情で見下ろしている。笑苗えなよりも慶吾けいごの態度ですべてが芝居だとバレてしまうのではないか。

 そう思わせるような態度だった。

 「だからね、あんたとはもうお別れってこと。なにか勘違いさせちゃったようだけどしょせん、あんたみたいな陰キャとあたしたちちじゃあ住む世界がちがうってことで。もう、あたしたちによりつかないでね。下位カーストさん」

 バイバイ、と、見た目ばかりは明るく手を振ってみせる。その態度に――。

 いつきは静かにうなずいた。そして、言った。

 「わかった」

 それきり、なにも言わずに身をひるがえした。無言のまま、屋上を去って行く。

 「まっ……!」

 慶吾けいごが耐えきれなくなり、思わず追いかけようとした。

 その腕を笑苗えながグッと握りしめる。

 慶吾けいごは思わず笑苗えなを見た。笑苗えなは必死にすがるような視線で慶吾けいごを見上げている。

 ――追いかけないで。黙っていて。

 見上げる瞳がそう訴えてかけている。

 その瞳の真摯しんしさに気圧されて、慶吾けいごは身動きひとつとれなくなった。

 いつきの姿が完全に消えると、隠れて様子をうかがっていたみお、あきら、雅史まさふみの三人が現れた。みんな、どうしようもなく心配な表情を浮かべている。

 「……笑苗えな

 みおとあきらが同時に声をかけた。

 それ以上、声が出てこない。互いに目配せしあう。

 ふたりとも、かける言葉が見つからない。いや、正確にはかけるべき言葉はわかっている。言うべきこともわかっている。だけど、その言葉を言う勇気がない。お互いに、

 ――あなたが言ってよ。

 と、目配せで訴えあう。

 ふたりが言ってほしいことを切り出したのは慶吾けいごだった。

 遠慮がちに、それでも、はっきりと口にした。

 「なあ、ひいらぎ。やっぱり、こんなのよくないって」

 そこでいったん、言葉を切った。ためらいの表情が浮かんだ。それでも、やはり言うべきだと思いきり、言葉をつないだ。

 「新道しんどうに正直に言って、謝ろう。いまならまだ……」

 「そうだよ、みお!」

 慶吾けいごが口火を切ったことでせきが切れたのだろう。みおが両手を握りしめ、必死の面持おももちで訴えた。

 「あんなに新道しんどうのことが好きだったんじゃない! こんな形で別れちゃダメだよ」

 「そうよ。これじゃあ、笑苗えなが完全に悪者じゃない。一生、恨まれるわ」

 「男の立場からしてもこんな小芝居はされたくないな。一生、傷を負って生きることになる」

 あきらと雅史まさふみも口々に言う。

 そんなまわりの真剣さに対して笑苗えなは、わざとらしい軽薄な態度と口調で答えた。

 「や、やだなあ。みんな、なにをマジになってんの? あたしの好みはたくましいスポーツマンだって知ってるでしょ。あんな陰キャのボッチなんて、最初から……」

 「あたしたちに、うそは言わないで!」

 みおの必死の叫びが笑苗えなの声をさえぎった。

 「あたしたち、小学校時代からの付き合いでしょ。あたしたちの前では正直になってよ」

 「そうよ、笑苗えな。そんな笑苗えな、痛々しくて見てられない」

 「おれも同感だ」

 みおが、あきらが、雅史まさふみが、口々に言う。

 言われて笑苗えなは押し黙った。その表情からは軽薄さは完全に消え失せ、唇を噛みしめながらうつむいた。

 慶吾けいごが耐えきれなくなって叫んだ。

 「お、おれ、やっぱり、新道しんどうに事情を説明してくるよ! ちゃんと説明すればきっとわかってくれる……!」

 慶吾けいごは走り出そうとした。その手を笑苗えながつかんだ。うつむいたまま叫んだ。

 「やめてっ!」

 その叫びの必死さに全員が硬直する。

 「いつきは自分の将来のために行動しようとしている。邪魔なんて出来ない。もういつきにはかまわないで!」

 「邪魔なんて……そりゃあ、将来のために行動するのは立派だけど、だったら、笑苗えなも一緒に行けばいいじゃない。笑苗えなだってあんなに楽しそうに畑仕事してたんだし……」

 「そうよ。ここで身を引く必要なんてないじゃない」

 みおとあきらの言葉に――。

 笑苗えなはブンブンとちぎれるぐらい激しく首を横に振りたくった。

 「あたしは将来のことなんて一度だって考えたことない! 親のお金でなんとなく学校に通って、遊びまわってただけ。農業のことだってなにも知らない。世界のことなんてなにもわからない。そんなあたしじゃいつきの役に立てない。一緒に行ったって、邪魔にしかなれない。あたしはいつきにはふさわしくないのよ! いつきにふさわしいのは、同じように将来を見て、同じように将来のために行動出来る人。あたしなんかより、アーデルハイドの方がずっとお似合いよ」

 「……笑苗えな

 笑苗えなのその言葉に――。

 みおたちは黙って見つめることしか出来なかった。

 ――あたしがいなければ、いつきを縛るものはひとつなくなる。だから、協力して!

 そう言われて協力したけれど、こうして実際に見てみるとやはり、悲しい。いたたまれない。

 こんなことはまちがっている!

 そう思う。

 突然、笑苗えなが顔をあげた。晴れやかな笑顔になっていた。右拳を突きあげ、天を仰いだ。大声で叫んだ。

 「よしっ! 今日は久しぶりにみんなでカラオケに行こう! とことん騒ぐぞおっ!」

 天を仰いでそう叫ぶ瞳からは――。

 一筋の涙が流れていた。

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