一六章 田んぼのスローライフ

 この日はみお、あきら、慶吾けいご雅史まさふみの四人も笑苗えなにくっついていつきの畑にやってきていた。

 笑苗えなが畑の話をするのを聞いて興味をもったのだ。

 「なにか、みんなが自分も畑に行ってみたいとか言ってるんだけど……いいかな?」

 笑苗えなはずいぶんと遠慮がちに切り出した。冷や汗を流しながらの上目遣い。胸の前で両手の指先などをチョンチョンつついている。

 素人が何人も畑に押しかけたりしたら邪魔になるのはわかりきっている。とは言え、小学校時代からの連れの頼みを無下むげには出来ない。笑苗えなにとってはけっこう、苦しい頼みなのだった。

 ところが、いつきは以外と上機嫌。かのにはめずらしく笑顔まで浮かべてこころよく了承してくれた。

 「ああ、かまわない。歓迎するよ」

 そのいつにない愛想の良さに、

 ――なによ。ずいぶん、上機嫌じゃない。あたしがはじめて行ったときはそんな顔しなかったのに。みおやあきらが来るのが嬉しいわけ?

 笑苗えなはそう思い、頬をふくらました。しかし、それは邪推というもの。いつきは純粋に畑に興味をもってもらえたことが嬉しいのだ。

 農業の未来をうれう身としては、どんな形でも農業に興味をもってもらえるのは嬉しい。それに、将来はアパート経営を組み合わせた農業スタイルを考えてもいる。そのためには、素人に来てもらって接客するのも良い経験。だから、喜んでいるのだ。

 そのことをきちんと説明しないのは……そもそも、笑苗えながそんな焼きもちを焼くなんて考えもしていないのだから仕方がない。

 もとかく、笑苗えなたち五人はいつきの畑にやってきた。

 みおたちは一目、見るなり『おおっー』と声をあげた。

 「いやあ、畑なんて小学校の時のイモ掘り以来だなあ」

 「そうだな。あのときはその場でイモを焼いて食ったっけ」

 「うわ、すごい! スイカやメロンが鈴生りじゃん!」

 「ねえねえ、新道しんどう! あれ、もう食べられる? 食べていいの?」

 「ちょっと、みんな!」

 はしゃぐ連れたちに笑苗えなはたまらず叫んだ。

 自分もそうだったから、めずらしく畑を見てテンションがあがるのはわかる。とは言え、あまりにはしゃがれると連れてきた身として恥ずかしくなる。

 「いつきは仕事でやってるんだからね。そのこと、忘れないでよ」

 お姉さんぶってそう言ったが、いつきはやはり気にしなかった。

 「いや、いいよ。都市農業としてやって行くには観光農園としての性格も必然的に持ち合わせることになる。正直に振る舞ってくれた方が参考になる」

 「そうそう。あんまり堅いこと言わないでよ、笑苗えな

 と、みおがニコニコしながら言う。さりげなくいつきの側によったりして笑苗えなの眉を急角度に吊りあげさせる。

 「さて。スイカとメロンだったな。温室栽培しているわけじゃないから、本格的な収穫はやっぱり八月になってからだけど。成長の早いものならとれるものもある。探してみようか」

 「やったあっ!」

 と、みおとあきらは嬉しそうにいつきについて行く。

 それを見た笑苗えなが思いきり頬をふくらませたのは言うまでもない。

 とは言え、みおたちもはしゃいでいるだけではない。いつきに教わりながら畑仕事もそれなりにこなした。雑草を抜いたり、枯れ葉を取り除いたり、熟したまま木に残っている作物を収穫したり……もちろん、ずぶの素人。なにをするにもいちいちいつきが指示しなければならないので、端的に言ってしまえば『いるだけ邪魔!』なのだが、

 ――なるほど。素人には畑のことはこう見えるのか。

 と言う、専門家同士で交流していてはわからないことに気付けたのは、いつきにとっても大きな収穫だった。

 ――将来、アパート経営も組み合わせていくなら、アパートの住人に対してきちんと説明出来るようになっておく必要があるからな。こうして、素人に来てもらうのもありだな。

 そう思ういつきであった。

 ともかく、笑苗えなたちは小一時間ばかり農作業に精を出した。わずか一時間とはいえいまどきの七月、それも午後、炎天下のなかで肉体労働をするのはキツい。全員、たちまち汗だくになってしまった。

 みおなどこれ見よがしに制服の胸元を開いて手で顔のあたりをパタパタやっていたが、笑苗えなもこれには全面的に同意せざるを得なかった。

 「暑っついなあ、もう。せっかく、田んぼがあるんだから水浴びしたい気分」

 「いっそ、プールがあればいいのに。汗かいたあと、いつでも飛び込める」

 「あ、それいい! 服の下に水着、着てさ。仕事が終わったあとにプールに飛び込めたら最高だよねえ」

 などと、呑気なことを話すみおとあきらに、笑苗えなはあきれた口調で言った。

 「なに言ってるの。仕事なんだから、そんな遊んでちゃダメでしょ」

 「いや、そうでもない」と、いつき

 「ええっ、そうなの⁉」

 ――なんか、みおの言うことは全部、賛成してない?

 そう思い、いつきのことを疑いの目で見る笑苗えなであった。

 「おれも実はそう思ってたんだよな。小さい頃は夏はよく田んぼで水遊びしていたけど、さすがにいまじゃもう田んぼの水深では間に合わないし。プールを作るのはたしかにいいかも」

 なにしろ、農業は『お先真っ暗!』と言ってもいい状況。『一仕事こなしたあとはプールで爽快!』ぐらいの売りがないと誰も農家になんてなりたがらないだろう。

 「で、でも、畑にプールなんて作ったら邪魔なんじゃない?」

 「いや、そうでもない。プールがあればそこに太陽電池をかけることが出来る。一〇アールのプールを作って一面に太陽電池の屋根を架ければ、アパートで使う電気ぐらい賄える。それに、プールがあればそこの水を電気分解することで水素が得られる。その水素を使って燃料電池で発電すれば太陽電池の欠点である不安定さも解消出来る。

 ああ、それに、燃料電池から出る温水の使い道もできるわけだ。冬にはそのまま野外温泉にできるし、温水が豊富にあればテラピアも養殖出来る。繁殖力の強い熱帯性の浮き草を育ててバイオガスの原料にもできる。プールひとつあることでエネルギーと食糧を得られるようになるわけだ。これはたしかに真剣に考える価値があるな」

 「は、はあ……」

 本気で考えはじめたいつきの姿に、笑苗えなは圧倒されてしまった。燃料電池だの、テラピアだの、バイオガスだの、そんな単語を並べられてもギャルの笑苗えなにはチンプンカンプン。何がなにやらわからないし、話について行けない。

 ――こ、これはまずい……。ちゃんと、勉強しないと。

 帰ったら、さつそくググろう。

 そう決意する笑苗えなであった。

 休憩をはさんでもう一仕事。夕方――と言っても、七月とあってまだまだ明るいが――になったところで仕事を切りあげ、いつきが夕食を振る舞ってくれた。

 メインディッシュは自慢の野外キッチンで作った野菜のオーブン焼き。食べ盛りの高校生とあって『……野菜より肉がよかった』と思った一同だったが、一口食べた途端、

 「おいしい!」

 「うまい!」

 全員が飛びあがって、そう言った。

 「今朝、日の出前に採った野菜ばかりだからな」

 いつきがそう説明した。

 「植物は日に当たると成長をはじめるから蓄えた成分が分解されてしまう。朝、日の出る前に採った野菜が一番、栄養が詰まっていてうまいんだ」

 「へえ、そうなんだ。こんなおいしい野菜、はじめて食べた」

 と、普段はバーベキューでも肉ばかり食べて、野菜など見向きもしないみおが野菜をバクバク食べている。その姿に笑苗えなは我がことのようにふんぞり返って自慢した。

 「そりゃあそうよ。いつきが丹精込めて育てた野菜なんだもの」

 両手を腰につけて胸を張り、『ふん!』とばかりに鼻息をひとつ。

 しかし、そんな笑苗えなみおがまさかこんなことを言い出すとは思わなかった。

 「新道しんどう、結婚して!」

 「なんで、そうなる⁉」

 みおが叫んで、笑苗えながツッコむ。

 「だって、新道しんどうと結婚すれば毎日、こんなおいしい野菜が食べられるんでしょ。だったら、結婚するしかないじゃない」

 「それなら、他の農家の人と結婚すればいいでしょ! いつきはあたしの彼なんだからね」

 「いいじゃん、そんな堅いこと言わないでも。もうみんなで新道しんどうの嫁になろうよ」

 「そうそう。いまどき、ハーレムなんて普通だしさ」

 「それは、マンガの話でしょ! 新道しんどうはあたしの彼なんだから絶対ダメ!」

 「ひどい、笑苗えな! 独り占めする気ね。あたしたちが罰ゲームをやらせたから、付き合えることになった恩を忘れたの⁉」

 「なんで、恩の話になるのよ⁉」

 笑苗えなは両手を振りあげてみおとあきらに食ってかかる。ふたりもそれに応戦する。女子三人でいつきを巡ってキャアキャア騒ぎはじめる。

 女子同士が争いはじめては男はとても手が出せない。いつきは、目の前でなにが起きているのか理解出来ず、突っ立っていた。

 そんないつきの首根っこをガッ! と、ばかりに慶吾けいごが捕まえる。

 「……モテるなあ、新道しんどう

 と、恨みのこもった目でジットリ睨む。

 「……モテてるのは、おれじゃなくて野菜だろ」

 「そうだ、野菜だ! 野菜の力だ! よし。こうなったらおれも農家になる。とびきりうまい野菜を作って女子の胃袋ゲットだぜ!」

 「それはいいな。おれもやろう」

 と、雅史まさふみまでもその気になる。

 「いや、野菜作りってそんな簡単にできることじゃないぞ」

 「だったら、いまから修行だ! やるぞぉっ、うお~!」

 謎の雄叫びをあげて畑に突進する慶吾けいご雅史まさふみであった。

 そんなふたりを見て、いつきは思った。

 ――そうか。農家になれば女にモテる。そう言う風潮を作ってしまえば若い男たちがどんどん入ってくるのか。

 業界全体が後継者不足に悩む農業の世界としては、これは重要な知見であった。

 ――とは言え、完全な田舎暮らしがしたい女性なんてめったにいないだろう。農家がモテるためには都市での暮らしも実現させないと行けない。

 ――そうなるとやはり、都市農業だな。農地と住宅地を完全にわけて、だだっ広い農地でまとめて作って、膨大なコストとエネルギーをかけて住宅地まで輸送する……なんて、もう完全に時代遅れだ。

 ――それよりも、住宅地密着型の小規模農場で顧客こきゃくと付き合いながら作った方が、うまくて安い作物を提供出来る。持続可能性という点でもその方がずっと良い。そもそも、世界的に見れば都市農業が大きく広がっているわけだし……。

 「……そうなるとやっぱり、世界の取り組みをこの目で見て、話を聞いて、体験しておきたいな」

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