八章 はい、彼女です!

 その日の授業が終わった。

 笑苗えなはその途端、いつきのもとにそそくさと移動する。当たり前のようにぴったり横に寄り添って一緒に下校。

 「でねー、昨日の夜、新道しんどうに教わった卵焼きを家族みんなに作ったわけ。そしたらもう、大騒ぎ! パパもママも食べる前は『この世の終わり!』みたいな顔してたから、よっぽどひどい料理が出てくると思ってたんでしょうね。失礼しちゃうっ!

 ……ってまあ、うちはママですらまともに料理しないから仕方ないんだけどね。でも、出来上がった卵焼きを見て、まずは見た目のきれいさに驚いてたわね。一口食べて、びっくり仰天! ママは『あたしの娘が料理できるようになるなんて』ってハンカチを涙で濡らしたし、パパなんて『……娘の手料理を食べられる日が来るなんて』って大泣きしたわ。

 見たか、娘の実力!

 ってとこよね。まあ、生意気な弟だけは『……うそだと言ってくれ。世界の終わりに直面する勇気はまだないんだ』なんて言ってたから、思いっきりボコしてやったけどね」

 終始、笑顔で語る、語る。

 その様子があまりにも楽しそうなので、すれちがう生徒たちが驚いたように見つめてくる。それでなくても校内で有名なカースト上位の美少女と、カースト外の陰キャボッチとされてきた男子のカップルだ。

 『いったい、なにがあったんだ?』的視線でジロジロ見られる。

 生まれついての容姿のせいで物心つく頃から見られることに慣れていた笑苗えなはなんとも思わないが、これまでの人生で他人からの注目を浴びたことなど一度もないいつきにとっては大問題。すれちがう生徒たちの視線が恥ずかしいを通り越して、痛いぐらい。そして、なにより――。

 チラリ、と、笑苗えなの顔を見る。自分を見上げる満面の笑顔。そのまぶしさについつい顔をそらしてしまう。

 笑苗えなは慣れっこの視線になど気付きもせずにいつきに話しつづける。

 「そう言えば、新道しんどうのご両親ってどんな人?」

 「……どんな人って言われても、普通の会社員としか」

 その言い方に素っ気なさを感じて笑苗えなは眉を曇らせた。

 「……もしかして、ご両親と仲、悪いの?」

 「いや、別に仲が悪いとかじゃないけど。ただ、前にも言ったと思うけど、おれは小さい頃からじいさんの所に預けられていることが多かったから、あんまり関わったことがないんだ。どちらかと言うと、じいさんが親っていう感じだったから」

 「ふうん」

 そんなことを話しつつ、お目当てのコンビニスイーツを買い込んでいつきの畑へ向かう。畑仕事を手伝ったあと、その報酬として畑の幸を振る舞ってもらう約束なのだ。

 いつきが手ずから育てた新鮮野菜の数々を楽しめるとあって、いまにもよだれがこぼれ落ちそう。コンビニスイーツはディナーをしめる大事なデザートである。

 いつきの畑につくと、そこには何人かの人影があった。ふたりは二〇代後半から三〇ぐらいの主婦っぽい女性。畑のなかで立ち話をしている。手にしたバッグには野菜がたっぷり入っている。それから、三歳から五歳ぐらいの子供が三人。畑のなかをニワトリを追いまわしながら駆けまわっている。

 「誰、あの人たち?」

 笑苗えなが尋ねた。

 当たり前のようにその場にいるので、野菜泥棒の類ではないだろう。いつきの返事は予想の範囲内だった。

 「近所のお客さん」

 「お客さん?」

 「近くに住んでいる人たちだよ。『一月いくら』で契約して、いつでも好きなときに好きな野菜をもっていってもらっている」

 「それってだいじょうぶなの? 踏み倒されたりしない?」

 「代金は毎月、銀行振り込みで支払ってもらってるから。無人販売みたいに野菜だけもっていかれるっていうことはない」

 「そうじゃなくて……月いくらで採り放題なら、代金以上にもっていかれちゃうんじゃないかってこと」

 「そうでもない。重い野菜を運ぶのは大変だし、なにより、『近所の目』というものがある。そんなにゴッソリもっていったら『あいつは欲張りだ』って悪い噂が立つ」

 「なるほどねえ」

 笑苗えなは納得顔でうなずいた。

 『評判命!』のスクールカーストのなかを生き抜いて、常に上位をキープしてきた身。『悪い評判が立つことはできない!』という気持ちは身が引き裂かれるほど痛切にわかる。

 話ながら畑に近づくと、ふたりの女性がいつきたちに気がついた。常連客らしく気安く話しかけてくる。

 「あら、いつきくん。お帰りなさい」

 「いらっしゃい。いつもお世話になっています」

 「あらやだ、お世話になってるのはあたしたちの方よ。新鮮でおいしい野菜を採り放題なんだもの」

 「ほんと、いまはなんでも値上がりするから、家計に優しくて大助かりよ。その間、子どもたちも遊ばせておけるしね」

 「小さい子どもをもつ母親にとっては、子どもを連れての買い物って一大試練だものね」

 「そうそう。すぐどっか行っちゃうわ、お店のなかで走りまわるわ、お菓子の箱なんて勝手に開けちゃうわ……そのせいで何度、予定にないお菓子を買う羽目になったか……」

 はあああ~、と、ふたりの母親はそろって地獄のような溜め息をついた。その溜め息が『よけいなお菓子を買ってしまった』ことに対するものではなく『よけいなお菓子を食べたばかりに体重が増えてしまった』ことに対するものだと言うことを、同じ女である笑苗えなは見逃さなかった。

 「その点、ここならその心配はないし、思いきり遊ばせておけるから家に帰ってから寝かしつけるのも楽だしね」

 「本当、大助かりよ。ところで……」

 と、申し合わせたように女性ふたりの視線が笑苗えなに集中する。その表情はそろって好奇心に輝いている。

 人の注目を浴びたからと言ってたじろぐような笑苗えなではない。だてに子どもの頃から見た目を褒められてきてはいない。たじろぐどころか、とびきりの笑顔。アイドル顔負けの条件反射である。

 「今日はまた可愛い子、連れちゃって。彼女さん?」

 「あ、いや……」

 口ごもるいつきの横で笑苗えなはきっぱりと言った。

 「はい、彼女です! ひいらぎ笑苗えなと言います。よろしくお願いします」

 と、笑顔のまま挨拶する。

 女性ふたりの顔に『これぞ青春!』と言わんばかりの笑顔の花が咲く。

 「まあ、いいわねえ」

 「高校生って言ったら一番、恋愛が楽しい時期だものね。思い出すわあ。あたしも好きな男子の前でドキドキしたっけ」

 そんな調子で女三人、恋愛トークで盛りあがる。

 すっかり蚊帳かやの外になったいつきだが……楽しそうに笑う笑苗えなを見る顔はなんとも複雑なものだった。

 やがて、ふたりの母親は子どもたちを連れて帰っていった。笑苗えなと母親たちは笑顔で手を振りあい、別れを惜しんだ。

 「あはは。楽しい人たちね」

 「ああ。おかげで助かってるよ。農業で一番、手間がかかるのは収穫だからね」

 「そうなの?」

 笑苗えなは驚いて目をパチクリさせた。素人感覚では収穫は一番、楽しくて嬉しいことのように思える。

 「正確には『収穫から出荷までの流れ』だな。店におろす場合、育ちすぎると売り物にならなくなるから、雪が降ろうが、嵐が来ようが、毎日欠かさず畑に出て収穫しなくちゃいけない。形や大きさだってそろえなきゃいけないし、傷物をはねる必要もある。雑草なんかが混ざっていたら丸々、返品だ。たとえ、それが食べられる野草だとしてもね。だから、チェックのためにものすごく気を使うし、時間もやたらとかかる」

 「な、なるほど……」

 「その点、お客さんが自分で収穫していってくれるならこっちは一切、時間はかからない。その分、加工とかに時間をまわせるから収入も増える。だから……」

 将来的にはアパート経営を組み込みたい。

 いつきはそう言った。

 「アパート経営?」

 笑苗えなはさすがに驚いた。農業とアパート経営となんの関係があると言うのか。

 「農業はギャンブルだ。いくら丹精込めて育てても気象ひとつで全滅する。出来れば出来たで、多すぎれば値崩れする。作物そのものを売っている限り、収入は安定しないんだよ」

 「……なるほど」

 笑苗えなはそううなずくしかなかった。実際にどれだけ大変なのかはわからないけど『大変なんだろうなあ』という予想はつく。

 「だから、庭園つきのアパートみたいにしようと思うんだ。昔の貴族の屋敷は広い庭園もついていて、庭師がそこで野菜を育てていた。昔の貴族はわざわざ買わなくても、自分の家の庭で野菜を収穫出来たんだ。まあ、時代が進むにつれて広い庭園の維持費の方が大変になって、そんな優雅な暮らしも出来なくなったわけだけど」

 「い、意外と、貴族の暮らしって言うのも世知辛いのね」

 「まあね。それでまあ、おれが庭師っていうことで庭園の世話をして、アパートの住人は好きなように庭園を利用して、欲しい野菜を欲しいときに収穫していく。

 『貴族風庭園付き高級アパート』って言うことでやっていけないかと思っているんだ。家賃収入なら毎月、確実に同じ額が稼げる。作物を売るよりずっと安定するから、安心して農業が出来る」

 「なるほど、貴族風ね。そして、新道しんどうが庭師。と言うことは、あたしはメイドね」

 と、笑苗えなは自信満々に宣言する。

 みおやあきらと一緒にメイドカフェでバイトをしたこともある。メイド役には自信があった。

 「……うん。まあ、そうだな」

 いつきの言葉の歯切れの悪さに、笑苗えなは頭のまわりに『?』マークを飛ばした。

 「? どうしたの? なんだか、変な顔してるけど」

 「いや、なんでもない……」

 「……そう? でも、新道しんどうってすごいよねえ。まだ高校生なのに、そんなにしっかり将来のことまで考えてるなんて」

 言われていつきは心底、不思議そうな表情になった。

 「なにを言っている。高校生だから将来を考えるんだろう。世の中を動かしている年寄りたちは将来のことなんて考える必要はない。いまさえ乗り切れればそれでいいんだ。どうせ二〇年、三〇年先には死んでいるんだからな。

 おれたちはちがう。二〇年、三〇年先と言えば三〇代から四〇代の働き盛りで子どももいる年代だ。そのときになって世の中が台無しになってみろ。目も当てられないことになる。そうさせないためには、きちんと将来のことを考えて行動しておかないと」

 「あ、ああ、そうだね……」

 突然、あまりにも立派なことを言われたもので笑苗えなは軽くパニックになってしまった。そこには、少なからぬ後ろめたさと劣等感も含まれていた。

 ――う、将来、かあ。いままで考えたこともなかったなあ。

 学校の進路調査ではおとなしく『進学』とだけ書いていればよかったし――どうせ、学校側だってそれ以外の答えは求めていない――スクールカーストでの自分の立場を守るために必死だったので、将来のことなんて考えている余裕はなかった。

 ――みおやあきらはどうなんだろう?

  友人たちのことを思い出した。

 ――あのふたりもそんなことは考えてなさそうだったし、将来のことを聞いたこともないけど。

 今度、聞いてみようかな。

 笑苗えなはそう思った。

 ともかく、約束なので夕方までいつきに教わりながら作物の世話を手伝った。その間に三組の客がやってきた。全員、笑苗えなのことを彼女扱いしていつきをからかっていく。そのたびにいつきは赤面、笑苗えなは大満足という展開だった。

 夕方には夕食をご馳走になった。

 「パスタとシチューを作るから、好きな野菜を好きなだけ採ってきてくれ」

 言われて笑苗えなは大張り切り。両手にどっさり野菜を抱え『ドヤ!』とばかりに鼻を鳴らす。さすがに、これほどの量を採ってくとるは思っていなかったのだろう。いつきは若干、表情を引きつらせていた。

 新鮮野菜を惜しみなく使った緑のパスタに、豆とベーコンをたっぷり入れたシチュー。それを広々とした畑のなかの野外キッチンでいただくのだ。おいしくないわけがない。

 優しい風に頬をなぶられ、目の前に広がるのは一面の緑。

 いつきに寄り添い、キャンプ風の食事をしながら、笑苗えなはかつてない充実感を味わっていた。

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