八章 はい、彼女です!
その日の授業が終わった。
「でねー、昨日の夜、
……ってまあ、うちはママですらまともに料理しないから仕方ないんだけどね。でも、出来上がった卵焼きを見て、まずは見た目のきれいさに驚いてたわね。一口食べて、びっくり仰天! ママは『あたしの娘が料理できるようになるなんて』ってハンカチを涙で濡らしたし、パパなんて『……娘の手料理を食べられる日が来るなんて』って大泣きしたわ。
見たか、娘の実力!
ってとこよね。まあ、生意気な弟だけは『……うそだと言ってくれ。世界の終わりに直面する勇気はまだないんだ』なんて言ってたから、思いっきりボコしてやったけどね」
終始、笑顔で語る、語る。
その様子があまりにも楽しそうなので、すれちがう生徒たちが驚いたように見つめてくる。それでなくても校内で有名なカースト上位の美少女と、カースト外の陰キャボッチとされてきた男子のカップルだ。
『いったい、なにがあったんだ?』的視線でジロジロ見られる。
生まれついての容姿のせいで物心つく頃から見られることに慣れていた
チラリ、と、
「そう言えば、
「……どんな人って言われても、普通の会社員としか」
その言い方に素っ気なさを感じて
「……もしかして、ご両親と仲、悪いの?」
「いや、別に仲が悪いとかじゃないけど。ただ、前にも言ったと思うけど、おれは小さい頃からじいさんの所に預けられていることが多かったから、あんまり関わったことがないんだ。どちらかと言うと、じいさんが親っていう感じだったから」
「ふうん」
そんなことを話しつつ、お目当てのコンビニスイーツを買い込んで
「誰、あの人たち?」
当たり前のようにその場にいるので、野菜泥棒の類ではないだろう。
「近所のお客さん」
「お客さん?」
「近くに住んでいる人たちだよ。『一月いくら』で契約して、いつでも好きなときに好きな野菜をもっていってもらっている」
「それってだいじょうぶなの? 踏み倒されたりしない?」
「代金は毎月、銀行振り込みで支払ってもらってるから。無人販売みたいに野菜だけもっていかれるっていうことはない」
「そうじゃなくて……月いくらで採り放題なら、代金以上にもっていかれちゃうんじゃないかってこと」
「そうでもない。重い野菜を運ぶのは大変だし、なにより、『近所の目』というものがある。そんなにゴッソリもっていったら『あいつは欲張りだ』って悪い噂が立つ」
「なるほどねえ」
『評判命!』のスクールカーストのなかを生き抜いて、常に上位をキープしてきた身。『悪い評判が立つことはできない!』という気持ちは身が引き裂かれるほど痛切にわかる。
話ながら畑に近づくと、ふたりの女性が
「あら、
「いらっしゃい。いつもお世話になっています」
「あらやだ、お世話になってるのはあたしたちの方よ。新鮮でおいしい野菜を採り放題なんだもの」
「ほんと、いまはなんでも値上がりするから、家計に優しくて大助かりよ。その間、子どもたちも遊ばせておけるしね」
「小さい子どもをもつ母親にとっては、子どもを連れての買い物って一大試練だものね」
「そうそう。すぐどっか行っちゃうわ、お店のなかで走りまわるわ、お菓子の箱なんて勝手に開けちゃうわ……そのせいで何度、予定にないお菓子を買う羽目になったか……」
はあああ~、と、ふたりの母親はそろって地獄のような溜め息をついた。その溜め息が『よけいなお菓子を買ってしまった』ことに対するものではなく『よけいなお菓子を食べたばかりに体重が増えてしまった』ことに対するものだと言うことを、同じ女である
「その点、ここならその心配はないし、思いきり遊ばせておけるから家に帰ってから寝かしつけるのも楽だしね」
「本当、大助かりよ。ところで……」
と、申し合わせたように女性ふたりの視線が
人の注目を浴びたからと言ってたじろぐような
「今日はまた可愛い子、連れちゃって。彼女さん?」
「あ、いや……」
口ごもる
「はい、彼女です!
と、笑顔のまま挨拶する。
女性ふたりの顔に『これぞ青春!』と言わんばかりの笑顔の花が咲く。
「まあ、いいわねえ」
「高校生って言ったら一番、恋愛が楽しい時期だものね。思い出すわあ。あたしも好きな男子の前でドキドキしたっけ」
そんな調子で女三人、恋愛トークで盛りあがる。
すっかり
やがて、ふたりの母親は子どもたちを連れて帰っていった。
「あはは。楽しい人たちね」
「ああ。おかげで助かってるよ。農業で一番、手間がかかるのは収穫だからね」
「そうなの?」
「正確には『収穫から出荷までの流れ』だな。店に
「な、なるほど……」
「その点、お客さんが自分で収穫していってくれるならこっちは一切、時間はかからない。その分、加工とかに時間をまわせるから収入も増える。だから……」
将来的にはアパート経営を組み込みたい。
「アパート経営?」
「農業はギャンブルだ。いくら丹精込めて育てても気象ひとつで全滅する。出来れば出来たで、多すぎれば値崩れする。作物そのものを売っている限り、収入は安定しないんだよ」
「……なるほど」
「だから、庭園つきのアパートみたいにしようと思うんだ。昔の貴族の屋敷は広い庭園もついていて、庭師がそこで野菜を育てていた。昔の貴族はわざわざ買わなくても、自分の家の庭で野菜を収穫出来たんだ。まあ、時代が進むにつれて広い庭園の維持費の方が大変になって、そんな優雅な暮らしも出来なくなったわけだけど」
「い、意外と、貴族の暮らしって言うのも世知辛いのね」
「まあね。それでまあ、おれが庭師っていうことで庭園の世話をして、アパートの住人は好きなように庭園を利用して、欲しい野菜を欲しいときに収穫していく。
『貴族風庭園付き高級アパート』って言うことでやっていけないかと思っているんだ。家賃収入なら毎月、確実に同じ額が稼げる。作物を売るよりずっと安定するから、安心して農業が出来る」
「なるほど、貴族風ね。そして、
と、
「……うん。まあ、そうだな」
「? どうしたの? なんだか、変な顔してるけど」
「いや、なんでもない……」
「……そう? でも、
言われて
「なにを言っている。高校生だから将来を考えるんだろう。世の中を動かしている年寄りたちは将来のことなんて考える必要はない。いまさえ乗り切れればそれでいいんだ。どうせ二〇年、三〇年先には死んでいるんだからな。
おれたちはちがう。二〇年、三〇年先と言えば三〇代から四〇代の働き盛りで子どももいる年代だ。そのときになって世の中が台無しになってみろ。目も当てられないことになる。そうさせないためには、きちんと将来のことを考えて行動しておかないと」
「あ、ああ、そうだね……」
突然、あまりにも立派なことを言われたもので
――う、将来、かあ。いままで考えたこともなかったなあ。
学校の進路調査ではおとなしく『進学』とだけ書いていればよかったし――どうせ、学校側だってそれ以外の答えは求めていない――スクールカーストでの自分の立場を守るために必死だったので、将来のことなんて考えている余裕はなかった。
――
友人たちのことを思い出した。
――あのふたりもそんなことは考えてなさそうだったし、将来のことを聞いたこともないけど。
今度、聞いてみようかな。
ともかく、約束なので夕方まで
夕方には夕食をご馳走になった。
「パスタとシチューを作るから、好きな野菜を好きなだけ採ってきてくれ」
言われて
新鮮野菜を惜しみなく使った緑のパスタに、豆とベーコンをたっぷり入れたシチュー。それを広々とした畑のなかの野外キッチンでいただくのだ。おいしくないわけがない。
優しい風に頬をなぶられ、目の前に広がるのは一面の緑。
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