三章 彼女の振り、彼女の振り

 チャイムが鳴り響き、午前中の授業が終わった。

 昼休みに入ると教室内は途端にざわめきはじめる。仲の良いもの同士集まって弁当を広げたり、連れだって学食に向かったり、あるいは学校近くのコンビニに買い出しに出かけたり……。

 それぞれに昼休みを過ごしはじめる。

 笑苗えなの場合、ほとんどは連れであるみおたちと一緒に学食に向かうことになる。が、この日ばかりはおもむきがちがった。横目でさりげなく、しかし、しっかりといつきの行動を確認する。席を立ち、黙って教室の外へ出て行くのを見て『よしっ!』と、心に呟く。

 いつきは普段、教室でひとりで弁当を食べる。昼休みに教室の外に行くことはまずない。それが今日に限って移動したと言うことは――。

 ――ちゃんと、約束を守ってくれたわけね。

 と、笑苗えなは心にうなずいた。

 ――まあ、当たり前よね。こんなかわいい女の子にランチに誘われて断る男子なんているわけないもの。

 と、ごくごく自然に自信たっぷりの台詞を胸に呟く笑苗えなだった。

 いつも通りみおたちと一緒に学食に向かう振りをして途中で別れ、小走りに屋上に向かう。自分から誘っておいてまたせるのはやっぱり、気が引ける。階段を駆けのぼり、扉を開け、屋上に出る。そこにはすでにいつきがひとり、まっていた。

 「おまたせっ! ごめんね、遅れちゃって」

 と、笑苗えなは自信の笑顔で詫びてみせる。

 「いや、別にまってはいないけど」

 と、いつき。クールと言うべきか、愛想がないと言うべきか、表情の動かない素っ気ない返事ではあったけど、迷惑がっているわけではないことは見ればわかる。

 ふたりは屋上のちょっと陰になった場所に向かい合わせに腰をおろすと――本当は日当たりの良いところに座りたいところだが、なにしろ、いまの時代。七月の日差しを屋上でもろに浴びていたら日射病になりかねない――それぞれの弁当を広げた。

 ――やっぱり、彼女の振りって言ったらこれよね。

 と、笑苗えなは内心でほくそ笑む。

 付き合っている女子と屋上でふたりきりのランチタイム。

 たいていの男子はこのシチュエーションに憧れる。笑苗えなは当然、そのことを知っている。だから、嘘告をすると決まったときからこのシチュエーションを取り入れることは決めていた。とは言え――。

 ――クラスのみんなの前で誘って、本当に付き合ってるとか思われても困るしね。

 これはあくまで嘘告。罰ゲームなのだ。いつきとの付き合いは十日だけ。クラスで噂になるのは困る。そこで、朝のうちに誘っておいたのだ。

 「新道しんどうっていつもお弁当でしょ? 屋上で一緒にランチしたい」

 でも、

 「みんなの前で一緒に教室を出ると、噂になって恥ずかしいから」

 と、必殺の手を口元に当ててのうつむき加減の上目遣いでおねだりした。そして、いつきは了承し、こうして先に屋上に来て、まっていたというわけだ。

 ――やっぱり、年頃の男子よね。かわいい女の子がちょっとかわいく振る舞ってやればチョロいもんだわ。

 と、密かに優越感に浸る笑苗えなだった。

 笑苗えなは自分の弁当を広げた。とは言え、日頃、料理などしない笑苗えなである。そもそも、笑苗えなの家では母親だってろくに料理などしない。炊飯器任せで米を炊くぐらいで、おかずはほとんど冷凍食品か宅配サービス。

 「だって、プロに任せた方がちゃんとおいしくて、栄養バランスもとれたものを作ってくれるもの。素人が無理して作るよりいいでしょ?」

 というのがその理由。

 その母の教えを忠実に守り(?)笑苗えなも専門家任せ。つまりは母の炊いたご飯と、冷凍食品をレンジでチンしたものを適当に詰め込んだだけ、と言うこと。もちろん、年頃の女子としての見栄があるので『可愛い』お弁当になるよう見栄えには気を使っている。見た目がきれいになるよう、詰め方には気を使ったし、野菜もちゃんと入れて赤や緑の色合いも鮮やかなカラフルな弁当に仕上げてある。

 ――別に彼氏にお弁当、用意してあげるわけじゃなし、これで充分よね。

 と、少々、言い訳めいたことを考える笑苗えなだった。

 一方、いつきの弁当はと言うと、

 ――うわっ、すごい。

 一目見た途端、笑苗えなは目を見張った。

 そこにはなんとも立派なバゲットサンドが三つ、並んでいた。食べ盛りの男子らしくバゲットはたっぷり一本分。てっぺんに切れ目を入れて、そこに『これでもか!』とばかりに野菜がたっぷりつまっている。

 ちょっと見ただけでもレタス、キュウリ、ニンジン、トマト……と、色とりどりの野菜がぎっしり。その他にも笑苗えなにはよくわからない葉物野菜がはさんであるようだ。見るからに新鮮そうで、色鮮やかで、なんともおいしそう。見ているだけで、よだれが垂れてきそう。

 「わあ、すごい。おいしそう。その野菜、もしかして手作り?」

 「ああ。うちの畑で採れたものばかりだ」

 「へえ、すご~い。それじゃ、きっとおいしいんでしょうね」

 「もちろん」

 と、いつきは照れもせずにうなずいた。

 自分で育てた野菜に対する、素直な自慢が清々しい。

 「よければ食べてみる?」

 と、いつきはバケットサンドをひとつつまみ、笑苗えなに差し出した。

 「いいの⁉ それじゃ、あたしのおかずと交換ね。コロッケでいい?」

 さすがに、ただもらうだけ、というのは気が引けるので交換を申し出た。まあ、冷凍食品をチンしてつめただけのコロッケと、種から育てた野菜を詰め込んだバケットサンドで等価交換と言うことになるかと言うと――。

 ――そりゃならないわよね。

 と、数学は決して得意ではない笑苗えなでも思う。

 ――でもまあ、そこは、かわいい女の子とふたりきりでランチできるっていう特典で帳消しにするとして。

 と、それなりに都合のいいことを考えてバゲットサンドを受けとり、かぶりつく。

 文字通りの『かぶりつく』だ。なにしろ、バゲットにたっぷりの野菜をサンドしてあるので、はしたないぐらいに大きく口を開かないと食べられない。

 「……おいしい!」

 口元を押さえ、目を丸くした。

 「野菜って苦いっていうイメージがあって、実はあんまり好きじゃないんだけど。この野菜は全然、苦くない。それどころか、すごく甘い」

 それも、ニンジンが甘いのだ。トマトが甘いのはわかるとして、こんな甘味のあるニンジンは食べたことがない。歯応えはカリッとしていて心地よく、食べれば口のなかいっぱいに甘い香りが広がる。

 スライスされたキュウリがまた甘い。シャキシャキしていて水っぽさが全然なく、食べれば甘味と共に高い香りがいっぱいに広がる。その味わいはもはや『甘くないメロン』。いつも食べている市販のキュウリと同じ野菜とは思えない。

 「こんな甘いニンジンやキュウリ、はじめて食べたわ。なにか特別なニンジンなの?」

 「逆だよ。特別なんじゃなくて、それがニンジン本来の味なんだ」

 「へっ?」

 「野菜は本来、甘いものなんだよ。特に、ニンジンなんて種の頃から甘い香りが漂っている。熟したニンジンを土のなかから引き抜くとその途端、まわりに甘い香りが漂うぐらいだ。キュウリだってちゃんと作ればメロンに負けないぐらい香り高くなる。なにしろ、同じウリ科なんだからね」

 「へ、へえ、そうなんだ。知らなかった」

 「野菜が苦いのはほとんどの場合、硝酸体しょうさんたい窒素ちっそのせいだ。もちろん、ニガウリとか、シュンギクとか、もともと苦い野菜をのぞいてだけどね」

 「ショウサンタイチッソ?」

 聞き慣れない言葉にぎこちなく尋ね返す。

 「市販の野菜は早く、大きく育てるために大量の肥料を与える。そのために、野菜のなかに消化しきれない肥料分が溜まってしまう。これが硝酸体しょうさんたい窒素ちっそになる。この硝酸体しょうさんたい窒素ちっそが苦みの原因。おいしくないし、体にも悪い。うちの畑は肥料を与えない自然栽培だから硝酸体しょうさんたい窒素ちっそが溜まらない。その分、野菜本来の味がする。そういうことだよ」

 「へえ、そうなんだ」

 「野菜ぎらいの人は多いけどね。それは、野菜の本当の味を知らないからだ。野菜が悪いんじゃない。野菜本来の味を殺してしまう育て方が悪いんだ」

 そう付け加えたあたりに野菜作りのプロとしての誇りが感じられた。

 ――新道しんどうって、こんな風に熱く語るやつだったんだ。

 笑苗えなは驚きと共に思った。

 『ニンジンは実は甘い』と知ったのと同じくらい意外な発見。

 ――だけど、やっぱり、男はこうじゃないとね。自分の仕事に誇りをもてない男なんてごめんだわ。。

 そう思い、いつきに対する点数をあげる笑苗えなだった。

 野菜もおいしいけど、それだけではない。バゲットがまたうまい。皮はパリパリ、なかはもっちり、噛み応えがあって、噛めばかむほど小麦の味が口のなかいっぱいに広がる。

 「このパンもすごくおいしい。こんなおいしいパン、はじめて食べたわ」

 「ありがとう。このバゲットも手作りだからね。そう言ってもらえると嬉しいよ」

 「パンまで作るの⁉」

 「ああ。うちの畑では米や小麦も作ってるからね」

 「小麦から作ってるんだ……」

 笑苗えなはほとんど放心状態になってしまった。

 もちろん、農家なら米や小麦を作るのは当たり前。しかし、『食べ物はお店で買うもの』が常識の笑苗えなにとっては『家を自分で建てる』レベルで異次元の行いである。

 「で、でもでも、パンなんて作るの大変でしょう?」

 中学のときに家庭科の授業で作った――と言うか、作らされた――ことはあるが、まともに出来た覚えがない。それが、こんなにおいしく作れるなんて……。

 いつきは首を振りながら言った。

 「フランスパンならそうでもない。小麦粉と、水と、塩と、それに、イーストで出来るからね。日本風の食パンとかの方がずっと大変だよ。あれは小麦粉以外の材料が多いからね」

 「へえ。」

 「まあ、シンプルな分、ごまかしが効かないから作り方による差がもろに出るパンでもあるけどね。おれはあれこれ材料を入れたリッチなパンより、水と塩と小麦だけで作ったリーンなパンの方が好きだな。その方がしっかりと小麦の味がするからね」

 「うん、わかるよ。このパン、とってもおいしいもん」

 「ありがとう。お口に合ってなによりだよ」

 いつきは笑顔を浮かべながらそう言った。

 笑苗えなはその笑顔に思わずドキリとしてしまう。

 ――な、なによ、こいつ。こんな笑い方、出来たわけ?

 いつきの笑顔を見るなんてこれがはじめて。不意打ちだったこともあるけれど、なにより、素直な自慢に満ちた気持ちの良い笑顔だったのだ。

 昼休みの間中、ふたりで弁当を食べ、おしゃべりをして過ごした。食後には水筒に入れて持参してきたハーブティーを振る舞ってくれた。これも、畑で栽培しているハーブを摘んで淹れたものだという。紅茶やコーヒーとはまたちがう、野性味あふれる香気が口のなかいっぱいに広がる、さわやかな味だった。

 「さあ。もう午後の授業がはじまるな。教室に戻ろう」

 「うん」

 ふたりは教室に戻っていった。

 そのさなか、笑苗えなはこっそり拳を握りしめた。

 ――よしっ! これで二日目クリア。あと八日!

 と、内心でカウントする。

 ――あ、でも、そうすると、もうあのバゲットサンドも食べられなくなるのか。それはちょっと惜しいなあ。

 と、わずか一日で胃袋をつかまれた笑苗えなだった。

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