二章 このときは嘘告だった

 「あ、あの、あたし……新道しんどうのこと、前から好きだったの」

 翌日の放課後。

 笑苗えな新道しんどういつきに告白をした。

 あくまでも演技、あくまでも嘘、あくまでも罰ゲームの告白を。場所は清風せいふう学園がくえん伝統の告白スポット。校舎の陰が落ちる裏庭の、なぜかただ一本だけ植えられているサクラの木の下だった。

 「少女マンガ趣味の校長が、生徒たちが告白しやすいようにわざわざ植えた」

 という、もっぱらの噂のその場所で。

 うつむき加減の上目遣い。右手は口元に当て、ギュッと握りしめた左手はスカートの前。身を堅くちぢ込ませて緊張感を演出し、表情はあくまでか細く、心許なさそうに。不安と緊張を現わす汗までかいている。このあたり、自分でもなかなかの演技だと思う。

 ――うん。今回の告白はいい出来だわ。

 表情にも、声にも、わずかばかりも出すことなく内心でそう思う。伊達に中学時代からスクールカースト上位のギャルをやってはいない。どんな告白が男子受けするかは学習済み。自分のキャラに合わせた『遊んでいそうだけど、実は清楚な女子』の精一杯の告白というシチュエーション。相手を騙してその気にさせるための完全な演技ではあるが、笑苗えなとしてはなにも悪意でやっているわけではない。

 その逆だ。

 ――せめて、『一度は本気で告白されたんだ』と思わせてあげよう。

 という、笑苗えななりの善意による渾身の演技だった。

 一方、告白を受けたいつきと言えば――。

 特にかわった様子はない。表情を動かさないままじっと笑苗えなを見下ろしている。中肉中背とは言え高校男子。一般的な高校女子よりは当然、背が高い。自然と笑苗えなを見下ろす格好になる。

 ――なによ、こいつ。全然リアクションないじゃない。

 笑苗えなは上目遣いにいつきを見ながらそう思う。

 いつきは感激もしていなければ、喜びのあまり跳びはねるわけでもない。『こんな可愛い子が、おれなんかに告白するなんて!』という驚きに襲われているわけでもなさそうだ。ただただ黙って笑苗えなを見下ろしている。

 ――陰キャのボッチのくせしてして、こんなかわいい女の子に告白されて喜びもしないとか信じられない!

 そう思い、腹を立てた。

 チラリ、と、横目で校舎の陰を見る。そこには当然、成り行きを見物するべくいつもの連れ、みお、あきら、慶吾けいご雅史まさふみの四人が校舎の陰に隠れてコッソリ覗いている。

 これはまずい。

 もし、万が一、みおたちの見ている前で告白に失敗した――まして、陰キャのボッチ相手に――なんてことになれば、今後の自分の地位にも関わる。いや、そもそも、自分のプライドが許さない!

 ――そうよ。このあたしが陰キャのボッチなんかにフラれてたまるもんですか。

 そんなことはまちがってる!

 太陽が西から昇ろうと、あってはならない!

 肚の底でそう『少女の主張』をぶちかます笑苗えなだった。

 これはもう、なにがどうあっても落としてやらなくては気がすまない。今後のグループ内での自分の立場のためにも成功させるしかない!

 ――ええい、仕方がない! 陰キャのボッチには刺激が強すぎると思ってやらずにいたけど……奥の手だわ。

 笑苗えなはいきなり両手を伸ばした。いつきの右手をギュッとつかんだ。その手を自分の胸元にもっていく。制服に包まれた胸がかすかにふれる位置に。そこでギュッといつきの手を握りしめ、上目遣いに必死に訴える。

 「お願い! あたしと付き合って!」

 まっすぐ結んだ唇で必死さをアピールし、ウルウルっと潤んだ、捨てられた子イヌの瞳で見上げて見せる。

 ――かわいい女の子にここまでされて落ちなかったら、ホモかとんだ変態だわ。

 そう思いながら、表面ばかりは必死な振りをして見つめつづける。

 「いいけど……」

 やがて、いつきが言った。

 ぶっきらぼう。

 そう言っていい口調だった。

 ――なによ、そのうっすいリアクションは もっと喜びなさいよ。

 「……おれは女子と付き合ったことなんてない。なにをどうすればいいのかわからないけど」

 言われて笑苗えなは納得した。

 ――ああ、なんだ。女の子と関わったことなんてないからパニックになって、なにをどうしたらいいのかわからなかったのね。

 そう思えば腹も立たない。むしろ、ちょっとは可愛く思えてくる。腹のなかでニンマリ笑い、表面ばかりは清楚な女子の振りをつづける。

 「だ、だいじょうぶ! あたしもはじめてだからさ。ふたりで一緒に経験していこう」

 ねっ? と、大嘘にもほどあることを平気で言ってのける。

 せっかく『実は清楚キャラ』で告白したのに、下手に自分からリードしてデート経験豊富という事実がバレるのはまずい。ここはあくまで恋愛初心者の振りをしてぎこちなく振る舞うのが正解。

 ――その方が深入りしなくてすむから、フったあとも気にせずにすみそうだし。

 そんなことも考えながら笑苗えなは言う。

 「とりあえずさ、ファミレスにでも行かない? ほ、ほら、カップルってそういうところでお茶したりするものらしいし……」

 『らしい』もなにも中学時代から当たり前に何度となくやってきている。

 「……そうだな。それじゃ、そうしてみようか」

 「うん!」

 と、いかにも『受け入れてもらえて嬉しいっ!』な笑顔を振りまきつつ、ふたり並んで歩きはじめる。さりげなくいつきの腕に自分の腕をまわし『腕を組む』と言うより『腕を添える』程度に絡みあわせる。

 ――このぐらいなら、まあいいよね? 正体がバレるのはまずいけど、彼女の振りはしなくちゃいけないし……。

 このぐらいなら恋愛初心者でもやるだろう、多分。

 念のため、恥ずかしくて顔も見れないという演出のために顔をうつむける。

 その姿勢のまま、そっといつきの表情をうかがう。いつきいつきで少しそっぽを向いていた。必死に平静を装ってはいるがほのかに赤く染まった頬、真一文字に結ばれた唇、流れる汗が内心の緊張を物語っている。

 ――ふうん。やっぱり、女の子慣れはしてないわね。この程度で赤くなるなんてかわいいじゃない。

 笑苗えなはそう思い、そっと校舎の陰を見た。

 そこではみおたち四人が嘘告の成功に感心の表情を浮かべている。

 ――見たか!

 と、こっそり見つめる見物客たちに勝利の笑みを見せつけて、笑苗えなは歩いていった。


 あまり人気のないファミレス。そのなかのテーブル席で笑苗えないつきは向かい合わせに座っていた。

 さすがに初デートで隣り合わせに座るのはまずい。そんなことをしたら『実は遊んでいる』とバレてしまう。だから、当たり前に向かい合わせに座った。そもそも、笑苗えなにしても罰ゲームで嘘告しただけで、好きでもない男子と隣り合わせに座りたくはない。

 ――ギャルではあっても、ビッチではないんだからね!

 そのプライドがある。

 場所は学校から少しはなれたファミレス。笑苗えなもはじめての店を選んだ。学校近くのファミレスはいままで何度も男子とふたりきりで入ったことがあるからだ。まさか、それを見かけていたからと言って店員がバラすとは思えないが、念には念を入れてと言うことだ。

 「学校の友だちに見られたら恥ずかしいから……」

 と、笑苗えな必殺の手を口元に当ててのうつむき加減の上目遣いでそう告げて、いつきを遠くまで引っ張り出した。いつきはなにも言わずに笑苗えなについてきた。

 やがて、ウエイトレスが注文した紅茶をふたつ、トレイに載せてもってきた。笑苗えなが注文したのは紅茶だけ。初デートでいきなりオーダーしすぎては怪しまれる。

 「緊張してなにも喉を通らないの……」

 アピールのために紅茶だけにした。

 ただ、いつきまで紅茶しか頼まなかったのは少々、意外ではある。

 ――まあ、初デートで緊張しているとなれば、自分だけ他のものをオーダーするなんて出来ないわよね。

 いつきは相変わらず平静を装っているが、緊張しているのは見ればわかる。

 ウエイトレスが紅茶のカップをいつきの前に置く。

 「ありがとうございます」

 いつきはそう言って軽く頭をさげた。

 それはごく自然な『いつもの癖が出た』という口調と態度であって、女子の前だから丁寧ていねいぶっている、と言ったような不自然さはまったくなかった。完全に、ごく自然に身についた仕種だった。

 「新道しんどうって、わざわざ店員さんにお礼、言うんだ?」

 「えっ? ああ」

 と、いつきは気付かなかったように言った。やはり、無意識の言葉だったらしい。

 「昔からの癖だからね」

 「ふ~ん」

 と、笑苗えなは短く答えただけだったが、いつきを見直す気分になっていた。

 ――無口な陰キャと思ってたけど、礼儀正しいんだ。やっぱり、悪いやつじゃないわね。

 演技とはいえ十日間、付き合うのだ。礼儀知らずのおれさま系より、礼儀をわきまえた穏やかな男子の方がいいに決まっている。

 ――その方が後々、安心だしね。

 と、ちょっぴり打算的なことも考える。

 その『悪いやつじゃない』相手を騙すことになるのは気が引けるが、

 ――そこはまあ、思い出を作ってあげると言うことで。

 そう言う理由で打ち消した。

 それからしばらく沈黙の時間がつづいた。

 いつきはときおり紅茶を口に運ぶだけで一言も話そうとしない。それぐらいは想定済み。無口な陰キャボッチが初デートで自分からぺらぺら喋って間をもたしてくれるなんて期待していない。会話のきっかけを作って場を盛りあげるのは自分の役目。

 と言うわけで、笑苗えなは話題を探した。

 ――ええと、彼女の振り、彼女の振り。

 大切なのはその点。いつきに『本気で付き合っている』と思わせなくてはならない。

 ――やっぱり、これよね。男子は女子からプライヴェートなことを言われたり、聞かれたりすると『気を許してくれてる』って思って喜ぶから。

 そういうことなら笑苗えなには自慢の鉄板ネタがあった。

 「ね、ねえ、あたしの『笑苗えな』っていう名前、かわってると思わない?」

 「えっ? ああ、そう言えば。『笑う苗』だっけ? たしかに、めずらしいと言えばめずらしいかもな」

 「でしょ? うちの親が言うには『笑顔をどんどん育てられる人生になるように』っていう意味でつけたんだって」

 「いいご両親だな」

 「でしょ?」

 と、いかにも親孝行な素直な女子を装って笑ってみせる。

 「でも、新道しんどうの『いつき』って名前は? なにか由来があるの?」

 いつきはちょっと小首をかしげた。

 「そう言われると、特に聞いたことはないな。ただ、おれの名前は親じゃなくて、じいさんがつけたそうだけど」

 「へえ? 新道しんどうのおじいさんって、どんな人?」

 「農家だよ。うちは先祖代々、農家だからね。じいさんも代々の畑を受け継いで、ずっと農家として働いてきた」

 「へえ、そうなんだ。じゃあ、ご両親も農家なわけ?」

 「いや、父さんも母さんも会社員だよ。『これから先、農家では食っていけない』っていう理由で会社勤めを選んだらしい。じいさんもさびしいけど仕方がないって言っていたな」

 「ふうん。でも、おじいさんもさびしいでしょうね。代々の家業を継がせられないなんて」

 「……ああ。口に出してはなにも言わなかったけど、そうだと思う」

 「だと思う?」

 「二年前に亡くなったからね」

 「そ、そうなんだ……。ごめん。よけいなこと聞いて」

 「いいさ。年寄りが死ぬのは当たり前のことだ。それに、畑仕事をしている最中に倒れて、そのまま死んだからね。本人にとっては望んだ通りの大往生さ。悔いはないはずだよ。それに……」

 「それに?」

 「畑はおれが継ぐことにしたからね」

 「新道しんどうが⁉」

 「ああ。うちの親は共働きだったから、おれはじいさんの所に預けられていることが多くてね。じいさんの畑で育ったんだ。その畑を潰すのはやっぱり惜しくてね」

 「ふうん。おじいさん孝行なのね。でも、ご両親はそれでいいわけ?」

 「そりゃ反対されたさ。なにしろ、父さん自身、これからは農業なんかでは食えないって会社員を選んだんだ。おれの時代ではもっと厳しくなる。でも、なんとか説得したよ。まあ、大学まではきちんと卒業するっていう条件付きではあるけど」

 「ふうん。そうなんだ。あ、それじゃ、もしかして、新道しんどうが帰宅部なのって……」

 「ああ。畑仕事があるからクラブに入っている時間がない」

 「そうなんだ。あ、それじゃ、こんなことしてる暇もないんじゃ……」

 「いや、そこまで気にする必要はない。農業なんて暇なときは意外と暇なものだからね。学校の図書室で資料調べてして遅くなることだってよくあるし」

 「そう? ならいいけど……」

 そんな調子で一時間ばかり話した。おもに畑仕事のあれこれで、笑苗えなにとっても意外と楽しい一時ひとときだった。自分の名前ひとつをきっかけに、これだけ話が弾むのだからいい名前だ。いまさらながらに両親に感謝する笑苗えなだった。

 やがて、ファミレスをあとにした。

 「紅茶一杯でいつまでも居座るのも悪いから……」

 といういつきの言葉からだった。

 大して繁盛しているファミレスでもないらしく、席はガラガラ。笑苗えなとしては『そんなに気にすることないと思うけど』という気分だった。それでも、そんな風に店のことまで気遣う態度はきらいではなかった。

 「それじゃ、おれはこっちだから」

 しばらく並んで歩いたあと、分かれ道でいつきが言った。

 「あ、うん、それじゃ、また明日ね」

 「ああ」

 いつきは短く答えて去って行く。

 その後ろ姿を見送りながら笑苗えなはギュッと右手を握りしめた。

 ――よし! 一日目、クリア! あと九日!

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