バカでマヌケな勘違い女だって幸せになりたい。

雨宮 未來

第1話 

 普通はお互い愛が灯って、心が結ばれた恋人が多いだろうけど。

でも中には一方的に好きでした、全ては片方の思い込みというか。

いや思い込みではなく、勘違いだったのか?

今となってはもう後悔しか残ってない私の愚痴から始まるお話。


 始まりはとある取引先の社長に気に入られた事。

自分の父親よりは少し若い感じの気さくで大らかな印象で、そこに度胸だけは一丁前な私を気に入ってくれたのが始まりだった。

コンサル系は得意だったので、だいぶ懐に潜り込めてはいたと感じていた。

仕事の話以外でもいろんな話をするようになって、家族の話になった時良かったら息子の友人になってくれないかと言われた。

社長の息子さんって友達少ないのかな?なんて、なんの期待も無く100%純粋な気持ちでOKした。


息子を紹介され何度か社長込みで食事を重ね、趣味が合うことや食事の好みが似ていることに意気投合し、二人で会うことも多くなっていく。

私を綺麗な人だと言ってくれる彼の言葉にだんだんと絆されていき、気がついたら結構な距離にいたと思っていた。

社長も会う度に結婚式はいつにするかとか、前野さんの両親に会いに行かねば、とか言われてた事を本気にして、私は彼と婚約しているつもりでいた。

バカだよね、わかってるよ。一度もそんな会話なんてしたなかったのにね。

でも期待を持たせる態度もあって、私は彼に弄ばれていたのだと知ったのはほんの数分前。


ほぼ毎週仕事の帰りに作り置きのご飯を作りに、彼の一人暮らしの部屋へと向かう。

今考えて本当に恥ずかしくなるけど。

彼にとって私は『キスもしてないのに、勝手に色々してくれる便利な女』でしかなかったってこと。


いつものように夕食を作り置きしに彼のマンションに。

1週間分の食料を買い込んで、ヒイヒイ言いながら運ぶ私。

預かっていたカードキーでオートロックを開け、派手な装飾のエントランスを抜けてエレベーターのボタンを押す。

高層専用のエレベーターの方で待機していると、モデルのような女性が私の横に立った。

明らかにこのマンションに似つかわしくない私をジロジロと見ると、見下したように鼻で笑い口角をあげた。


仕事終りの疲れたヨレヨレのスーツで、食材をバカみたいに抱える自分自身も恥ずかしくなって、思わず乗り込んだエレベーターの隅で小さくなった。


エレベーターの扉の前に立つ女性が髪をかきあげる度に、フワリといい匂いが薫ってくる。

『こ、これが女子力……!』なんて思いながら、グングンと登っていく風景を眺めていた。


27階に着いた時、ふと自分がエレベーターのボタンを押していないことに気がつく。

でも目的階についたということは、彼女もこの階に用があるという事。

なんだかこの時点で嫌な予感がしていたんだけど、こういう時に働く女の勘って怖いよね。


先に歩く女性はピンヒールのいい音を響かせながら、私の前を進んでいく。

それ後ろからついて行くような私。

広い廊下の窓ガラスに映る自分の姿が、どこかのスーパーモデルとその付き人みたいな感じに見えて、また恥ずかしくなった。

前を歩いていた女性がふと立ち止まる。思わず顔を上げて部屋番号を確認すると、なんと私と同じ目的地だということに驚いて固まってしまった。

女性はピンポンを押すこともなく、小さなバッグからカードキーを取り出した。


『……ピッ、カチャ。』


例えばここで少女漫画なら。

『私以外に女がいたのね!?』なんて食材をその場に落として、泣きながら走り去るのがセオリー。

だが私はリアルに生きるもうすぐアラサー女。

食材は落とさず持って帰ります。勿体無いから。

あとモヤモヤを確かめないと、今後気になって眠れなくなってしまうからね。

なので勢いも相まって、今まさに扉を開けた女性に声をかけた。

この時はまだ実のお姉さんの可能性を捨てきれてなかった。

お姉さんとか妹とかいるとか聞いてないけど。0.1%の望みと可能性にかけて。


「あの……!」


私の声掛けに嫌そうな顔を向ける。


「あの、この家の方と、どういうご関係ですか?」


私言葉に察し能力LV100だったらしい女性は、すぐにピンときた様子で鼻で笑った。


「あー、その荷物ってなに?あいつの飯炊き女?」


くぅ、間違ってないので否定もできず、思わずキュッと唇が萎む。

答えない私を舐めるように上から下までジロジロ見ると、察し能力LV120を使い、長い髪をかき上げながらこう言った。


「あんた知ってるわ。あいつが言ってたヤらなくても便利に使える女でしょ?」


「……エ。」


喉の奥から振り絞った声に、プッと女性は吹き出した。


「だから、普通は対価があるでしょ?あんたは対価も求めず、ただのお便利ちゃんとして利用されてたのも気が付かず、勘違いして彼女とでも思ってたわけでしょ?」


ひえ……何も言えねえ。

何も言えねえでいたら、女性はさも面白そうに続ける。


「早くあいつの鍵返して。んでそのゴミ持ってすぐに帰ってね。

浮気は許しても、自分が一番とかの勘違い女は許せない主義なのアタシ。」

すっと自分の前に差し出された綺麗な手をマジマジと見つめる。

いいな可愛いなーこの長い爪。

これこないだ動画で見た流行りの色だァ。


ああこれが現実逃避か、と察し能力初心者の私でもわかるこの現状。

全ては私の思い上がり。

環境に乗せられ勘違いしてた女ってことが理解できた。


女性の手の上にさっとカードキーをのせる。

ドサドサ落としたりしないよ、持って帰るよちゃんと。


でも今日はもう贅沢してもいいよね。

このままタクシーで家まで帰っていいよね。

重いし泣きそうだし、いや泣くのは家に帰ってからだ我慢しよう。


流石に28歳の女が号泣しながら帰るのはみっともないしね。

給料前でピンチだけど、食材なら沢山あるし。

弁当でも作ろう、そして作り置きでもしよう。

高級志向の彼のために奮発した食材で、自分を甘やかそう。


最新号のウェディング雑誌にあった、マーメードドレスに夢見て腰回りを気にしてるのも今日で辞めだ。

我慢してたアイスもプリンもシュークリームも。

追いクリームで泣くほど食ってやろ。


そう思いながらやっぱり我慢できずにタクシーの中で泣いてしまったのは、黒歴史。


・・・


週末、存分に泣き腫らしたから、月曜からまた仕事を頑張ろうと無理やり自分を励ます。


忘れられるかって?

そんなのわかんないし。


彼から電話はあったかって?

全くなかった!

だって速攻でブロックしたから!


メンタル保つ為に、引き摺らないために。

これがきっと正解、お互いにね。

おかげで私の察し能力もレベルが上がり、よーくわかったこれが現実。


失恋なんて初めてではない。

初めての告白も『デブスとは付き合えない』ってフラれた時も頑張って克服した。

ブスって言われたことを免罪符に、ダイエットだって化粧だって頑張ったきたもん。

努力の積み重ねで、勘違いじゃない彼氏だって出来たことあるし、告白だってされたことあるしね。

大丈夫だよ、大丈夫。

忘れて次、いい人ができたら頑張ればいいんだ。


……でもね。

社長に乗せられちゃってたけどさ!

結婚だって夢見てたから本当に尽くしちゃってたんだ。

結構好きだったのも認めるし、本当に本当に悔しい……。

アラサー女の純情踏み躙りやがって。


あ、だめだまた泣けそう。

今日は泣けない、だって明日からまた日常。

社会人としてのキャリアもあるし、仕事は頑張りたい。

仕事してたらきっと忘れられるって誰か言ってた。

取引先の社長に会うのはちょっと思い出しちゃうから、担当変わってもらおうかな……。

でもちゃんともう彼と会わない事はそれとなく伝えなきゃ。

よくしてもらったのにな、申し訳なさがまた鼻をつんとする。

泣くな、泣くな。もう終わったことだと、納得してよ早く。


いつもより念入りにスキンケアを頑張って、むくみ防止ストッキングを履いて、早めにベッドへ。

リラックス効果のあるのアロマを炊いて、川の流れとα波のサウンドミュージックを聴きながら。

モヤモヤする気持ちを忘れる様に努力しながら目を閉じる。

なんて、そんなことしたって寝れるわけねーんだなこれが!!


・・・


「ごめんねえ、ほんと君には申し訳なかったねえ」


月曜一発目で社長とオファーあったのすっかり忘れてた☆

土日で息子から全てを聞いたのだろう、社長はひたすら平謝りするのが申し訳ない。


いえいえ、私こそ身の程知らずで……は卑屈に聞こえるかな。

んじゃ、私こそ大きな勘違い女ですみません……もだめだなどうしよう。


とにかくなんか、なんて返していいかわからず、両手を頭を降ることしかできないイエイエマシーンと化してしまう。

コンサルには自信があったのにな。

失恋一つでこんなに仕事できなくなるのか私。

あー不甲斐ないな。

もうそんな事ばかりが頭を支配してしまう。

自分の意思とは関係なくグジュっと鼻がなり、眼球あたりが潤っていく。

やべえなα波じゃ塗装できなかった様だ、私のメンタル。


だが仕事中に泣くわけにもいかないので、『ちょっとお手洗いに』と席をたった。


心配そうな社長は、本当にいい人なんだろうと思う。

なのに何で息子はああなのか。

そんな社長と家族になれることを少し嬉しかったのかもしれない。

だからこそ浮かれていいわけではないんだけどね。


マスカラが取れない程度に水で目を冷やし、お手洗いから出たらバッタリ。

神様なんで私にこうも試練をお与えなのでしょうか。

社長の息子が女子トイレの前で仁王立ちしてた。


「……昨日は何?鍵返すって、どういうこと?」


返す、とは?

返せ、と言われたのだが。


手を拭いてたハンカチを思わず握りしめたまま、ポカンと首を傾げる。


「どういうこと、と申しますと?」


思わず疑問を疑問で返したのがイラッとさせたのか、ぎゅっと眉を寄せた顔。

普段は優しそうで笑顔が多い彼。

あまり他の表情を見たことがない私は、こんな顔をするのだなと思ったのだった。

……いやいやいや、初めて見る表情にキュンとしてんじゃないよ、私。

チョロ過ぎんじゃないの、ダメよ駄目。


思わずブンブンと顔を振り、ニッコリと仕事用の顔に戻す。


「申し訳ありません若社長、社長を待たせてしまっているので失礼します。」


「……俺も、行きます。」


「え、ナンデ」


「は?」


「いえ、ソウデスカ。ではイキマショウ」


速攻で仕事用の取り繕いが壊れそうになったけど、頑張って踏みとどまったらなんだかロボットの様になってしまった。

ギクシャクとした空気のまま、無言で廊下を並んで歩く。

何の罰ゲームなのこれ。

前世で何か悪いことをしてこんな苦行を与えられているのかな。

それとも今年厄年?いや今日の占い結果でも悪かったとか?


困惑する思考を顔に出さないように、精一杯笑顔を作りながら社長のいる扉をノックした。


「戻りました、お待たせしてすみません。」


綺麗にお辞儀しながら扉を置けると、早く入れと言わんばかりに背中を押された。

押されたことにより、前屈みの私は少しふらついたが、扉の横に立っていた社長の秘書の方が支えてくれた。


「ぅあ、すみません……」


「いえいえ、大丈夫ですか?」


「はい、申し訳ありません少しフラついてしまって」


若社長より少し背が高い社長秘書に支えられ、さっきまで座っていたソファーへと支えてもらった。

モチロン、若社長の横。

え、なんでいつもは社長の横に座ってたじゃん、めちゃくちゃ気まずい。

だがいい顔でニッコリ微笑む秘書の人には罪はない。

私がフラれたことなんで知らないのかもしれないし。


微笑まれたので微笑み返し、諦めてゆっくりとソファーに腰掛けた時。

先に座っていた若社長が私だけに聞こえる声で『男なら誰でもいいのかよ』と言った。


思わず目を見開いて彼を睨みつける。

お前が言うなー!

おーまーえーガー!!


思わず叫びそうになるのをぐっと堪えた私。

何で私が悪いことになっているのだろう。

便利な勘違いした女が惜しくなったのだろうか。

確かに便利だっただろうが、普通の飯炊女よりはあんな美人がいるじゃない。

美人一人で満足しとけよ!


私が睨んでいることに気がついたのだろう、今まで見たこともない太々しい顔で微笑み返してくるから余計に腹が立つ。


「え、なに君たち喧嘩でもしたの?」


社長が私たちを交互に見てオロオロしだす。

喧嘩とは?

あれ社長全部知ってたんじゃないのかな?

だったらあの最初の謝罪は何だったのか……?


頭が混乱しポカンとする私の顔に、秘書が吹き出した。


「前野さんってそんな顔もできるんですね?」


「へ?あ、し失礼しました」


秘書の言葉にさっきまでの空気が変わる。

顔を指摘され思わず俯き、いつもの顔に戻さなきゃと頬を揉んだ。

てかさっさと仕事の話をして、ここから去りたい。

担当替えの件も話付けたいし。さっさと終わらせて帰ろうと、大きく息を吸った。


「すみません、では話を進めさせていただきますね。」


いつもの様に笑っていられているか不安だが、持ってきた資料をカバンから取り出そうとカバンを探す。

あれ?と、さっきまで抱えていたカバンの行方が見当たらない。

トイレにも抱えて持っていたのだから、再び入った時も持っていたはず。

キョロキョロと辺りを見渡すと、なぜかカバンは若社長の向こうに置いてある。

訳がわからず狼狽えたが、鞄を返してもらわないと話ができない。


「若社長、すみません鞄がそちらにありまして、取っていただけませんでしょうか……」


「ご自分で取られたら?」


ツンと突き放す様な声に一瞬怯む。

こんな声、聞いたことない。

さっきは見たことない表情でキュンとときめいたが、流石にこの声には心が痛んだ。


「すみません、失礼します。」と。


テーブルとソファーの狭い隙間を回避して、後ろに回り込んでカバンを取ろうとしたら、ボスンと私が座っていた場所にカバンが放られた。


「なんで政近は今日はそんなに意地悪なの?」


若社長の態度に社長が不機嫌そうに声を上げた。


「意地悪などしてませんが?子供じゃないんですから。」


しれっと言う息子に社長は訝しげな顔をする。


「取ってあげるなら最初から取ってあげたら良かったじゃないか!というか喧嘩なら先に仲直りしてよ、こんなんじゃ話も出来ないよ。」


「喧嘩なんかしてませんよ、一方的に俺が捨てられただけです。」


「すて、ラレタって、え?どの口が!?」


思わす声を荒げてしまい、慌てて口を押さえる私を見て、若社長が顔を歪ませた。


「一方的に、何の連絡もなく、鍵を返されたんですよ、俺。」


これのどこが捨てられてないと言うのかと、まるで私が悪いように責められた。


ポカンとする私と、社長。

その横で秘書だけがふむっと腕を組んで考え込んでいた。


「……何言ってんだろうこの人は。」


思わず素直に口から出た私の感想、これ。


秘書がパンと手を叩き、『こうしましょう』と言った。

今のままだと仕事の話も出来ないだろうと、若社長と二人で話をした方がいいと言われ、不本意ながら部屋に残される。


ポツンと彼と並んで座るソファーの上で、失恋三日目の私にはキツすぎるこの状況、鼓動がドラムを鳴らしていた。

ヒトはこれを動悸という。知ってる、でも私の心臓は夏祭りの盆踊り会場並み。

ドコドコなる心臓の音が、彼に聞かれていないか心配になる。


先に沈黙を破ったのは彼の方だった。


「さぁ、俺がフラれた言い訳を聞かせてください。」


「……ふ、フラれたのは、私の方では。」


捻り出した言葉に、彼がぎゅっと眉を捻じ曲げた。


「俺があなたをいつ振ったと?会話もしていないのに?どうやって?」


彼がとても感情的なので、私は妙に冷静に言葉を捻り出す。


「あなたの恋人と、会ったので。」


「恋人?」


「えっと、爪がモスグリーンのクリスマス仕様になってて、髪がここぐらいまであって、いい匂いのする背の高い綺麗な人……、その人が鍵返せって言うので……。」


私の身振り手振りの言葉に彼は首を傾げ、考え込んだ。


「あ!あれじゃないすか?政近さんが前に付き合ってた女!あん時は爪が苔色じゃなくて血でも啜った魔女みたいな色でしたけど!」


突然の第三者の声に思わず振り向くと、嬉しそうにニヤニヤと笑う社長秘書さんがいた。


「って、二人で話しろって言ったのアンタなのに、何でいるんだ!」


「だってめっちゃ面白そうだから!出てくのやめました!」


キャハハと笑う秘書に若社長が睨んでいた。

あー、この人近しい人にはこんな人なんだなって。

すげえ外面に巨大な猫かぶってんだな、って人のこと言えないけど。


ものすごいいやそうな顔の若社長を指さしてひとしきり笑い終わると、秘書は痛そうに脇腹をさすり出した。


「てか面白すぎ!どっちもフラれたと思ってんでしょ?こんなことある?」


笑い疲れたんじゃなかったんかいとツッコミ入れたくなるほど、また笑い転げ出した。

そんな秘書の人に若社長は何か言いたそうに大きくため息をついた。


「綿井、もう黙れ。」


「あ、はい。」


若社長の冷えた言葉にスンと一瞬で笑いを止める秘書。

思わずそれをドン引きしていたら、秘書が私に言った。


「ともかく、その女があの女ならフラれてないっすよ」


「綿井!黙れと言った!」


「ハーイ、モウダマッテマース!」


茶化す様な口調に若社長はグッと拳を握りしめた。

その怒りが本気と捉えたのか、流石にお口チャック☆のジェスチャーをして黙り込む秘書。


大きく息を吐くと、私と向かい合う様に座り直した若社長に、思わず体が引いてしまう。

引いた私に、少し悲しそうな顔をした。


「とりあえず、若社長呼びは辞めて、いつもの様に呼んで。」


「まさ、ちかさん……」


私の呼び方に納得するように大きく頷いた彼。


「清花さん。キチンと流れとあの日あったことを教えてください。言い訳は後で聞いてあげます。」


「言い訳は、ないですけど、あった事は……」


言いかけ淀む私に、政近さんは人差し指を私の前に立てる。


「詳細に。」


悲しそうな顔のまま、私を恨みがましくきっと睨む。

こんな彼は本当に見たことない。

私はそれほど彼と親しくはなかったのかと、少し胸が痛んだ。


「あ、はい、あの……」


あの日、金曜日の夜。

買い込んだ食材がエコバック3つでは足りず、レジ袋を一つ買い足したことを勿体なく思いながら、私はあの日政近さんの家へと向かっていた。

それほど通い慣れているわけでもなく、かといって迷ってしまう程、道がわからないわけでもなく。知り合って今日で半年になるなぁって思ったら、増えてしまった食材。

記念日には拘っていないけど、何となく嬉しくてこっそりデザートまでつけたくなった。


喜んでくれるかな。

デザート披露するのは初めてだからな、なんて少し浮き足だっていた。


ご飯を作るきっかけになったのも、うちの会社に打ち合わせに来た時に、ランチを誘われたんだけど『あ、弁当作ってきているので』と断ったら、私の料理に興味を持ったから。

私の昨日の夕飯のおかずを詰めただけの弁当に目を輝かせ、早くにお母様を亡くされて、家庭の味に飢えているんですと言われたらもうね、そりゃあですよ。

弁当を譲ったら美味しい美味しいと褒められ、何度も顔を合わしたた度にあの時の弁当美味しかったと言われたら、ホイホイ作りに行きましょうかってなるじゃんね。


まぁそれは置いといて、あの日それからあったことを思い描いた感情を押し殺し、捻り出すように話し続けた。


綺麗な女性にカードキーを渡したこと。

あの時言われたこと。

自分がどれだけ惨めで悲しかったこと、は愚痴になるので伏せておいたけど。

黙って聞いていた政近さんだったけど、秘書の綿井さんのブフォと吹き出す声に、口を開いた。


「……綿井。」


「てか政近さん、鍵ってどこにあったんすか?……ブフッ黙っとけって言われたけど、これは黙ってられないというか、あ、すいませんボウリョクハンタイ、ダマッテマース」


握りしめた拳が少し浮いた時点で綿井さんは口を両手で押さえた。

抑えたんだけど、やはり笑いが抑えられなかったようで、抑えた口から声が漏れていく。


「う、クククっ!だから俺笑上戸だから止まんないんだって!知ってるでしょ!」


「知ってるけど許せるか!空気読めよ!」


「読んでるってば!めっちゃ空気Readしてる!」


だからこそ笑っちゃうんだって!と綿井さんは続けた。

ひとしきり震わせた肩でスーハーと息をして、呆気に捉えている私に向かいコホンと咳払いをした。


「やっぱ政近さんが悪いですってコレ。あの女野放しにし過ぎたんですよ。あの女に鍵返したって、政近さん直接渡されてないんでしょ?」


「野放しなんかしていない!2年も前に別れているし。……鍵はテーブルの上に、もう来ないこれ返すと言う、メモと一緒に。」


「いやぁ、策士じゃん!てか合鍵作られていることにも気が付いてなかったんすか?絶対この2年別れたと思ってなくて、アンタいない時に入ってるって部屋。無くなったものとか、まぁアンタ無くなっても鈍感だしな、わかんないか」


タハハと笑う綿井に政近さんはグッと押し黙ってしまう。

多分図星だったのだろう。


「……あの、ということは」


「何の関係もない。」


「私とは、ってことでしょうか?」


「あの女とは!ってことだ!」


「……なるほど。」


だからと言って、前には戻れないなとは思った。

私は気がついてしまったのだ。

この関係に名前がないことに。

ズルズルと浮かれて家事をしに行ってたバカな便利な女には戻れない。


私の反応が悪かったのか、政近さんも綿井も顔を見合わせた。


「あの女はまぁ、こっちで対策するんで、また前のように」


綿井が政近さんをフォローするように繋げた言葉に私は首を振った。


「いえ、前がおかしかったんだと思うので、私はもう」


「なぜ?」


「なぜって、だって私たち」


「結婚するのだろ?」


「う!?え、え?……はぁ!?」


いやぁ、驚いた。

驚きすぎてなんか変な声が出た。


私のこの反応に政近さんの目尻が下がる。

あれこの顔も見たことないな。

でもなんか、泣きそうな顔に見えるかも?


「親父が言ってたじゃないか、君に。」


「何を……」


「結婚しちゃえばいいじゃないって」


「ああ、言ってらっしゃいましたね……」


「君はそうですねと微笑んでいたじゃないか!」


「はい、あの、そうですね?」


だからこそ勘違いしちゃったんだもの、恥ずかしい。

思わず目を伏せると、政近さんの両手が伸びてきて、私の顔を上げた。


「俺と結婚したくないのか!?」


「ヒハイヘフヘホ」


「……何だって?」


「ほっぺた抑えすぎなんですって!!」


綿井がまた吹き出して、政近さんの眉がぎゅっとより、顔が赤くなる。

あ、これはわかった、恥ずかしい顔だ。


思わずにっこりと微笑むと、政近さんの目が大きく見開かれた。


「結婚すると、思っていた。」


「ワハひほ、ホモってました」


「ホモってました!?」


「綿井は静かに。私も、思ってましたって言ったんです。喋っている途中で頬から手を離すから。」


ギャハ!っと笑う綿井にしぃーっと人差し指を立てると、口を押さえてコクコクと頷いた。


目を見開いたまま固まる政近さん。

だったらなぜ、と。


「……なぜ、あの女を信じてしまったんだ。」


「とてもお綺麗だったので、叶わないなぁと思いまして。」


「君の方が綺麗だろ」


「それは、私には、わからなかったので……」


「だったらすぐ俺に聞いてくれたら」


「女28歳、プライドも世間体も気にするお年頃ですし、勝手に好かれていたのだと思っていたのと、あとは」


「後は?」


「便利で都合のいい女と言われたら、思いあたる事しかなかったので。」


「何でだ……!」


「あのー、政近さん?」


「綿井うるさい。」


「いやちょっと口挟ませてもらいますけど、政近さん」


「うるさい何だよ!」


「あの、君ら付き合ってたの?」


「……そう思っていたが?」


「あの、告白しました?好き、とか、愛してるよ、とか?」


「……いや、だってほら、俺たちお見合いしたじゃないか。」


「お見合い、ですか?」


「親父の紹介で会って、あれ、お見合いだろ!?」


「え、えっと、あの……社長には友達になってやって欲しいと言われて、最初は」


「はぁー!?」


「ブッハ!めちゃくちゃすれ違ってるぅ!最初っから!初っ端から!!」


「何でだ!?君に一目惚れしたから、親父に相談してセッテイングしてもらったんだが!?」


「えええ!?」


「じゃあうちにご飯を作りに来てくれていたのは?あれは付き合っていたからだろ?」


「お弁当を褒めてもらったのが嬉しかったので……」


「ああああ……」


この時点で政近さんはがっくりと雪崩れてしまった。


「あの、じゃああの、私、諦めなくていいってことでしょうか」


「何を諦めなくていい?」


「好きな気持ちを、です」


「何を好き?」


「あなたが」


「俺が?……え?」


ぴょこんと上がった顔が、驚いた顔だったけど。

真っ直ぐに私を見るその顔が本当に愛おしくて。

私はにっこりと微笑んだ。


つられて政近さんも本当に嬉しそうに微笑んだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バカでマヌケな勘違い女だって幸せになりたい。 雨宮 未來 @micul-miracle

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ