狂信者の作り方

「イカにもこれこそが、改革かイカくのはじまりなのですわね!!」


 ぐっと拳を握りしめ、スフィラはテーブルから身を乗り出してウーロに迫った。


わたくし、感動いたしましたわ! あれだけイカりに満ちていた信徒の皆さまを自在に操り、時にはややコスいイカさまも交えつつ、最後にはその心をひとつにまとめ上げた手腕! 歴史上のイカなる独裁者にも優る、ちょっと怖いくらいの人心掌握術でしたわね!」

「……ええと。褒めていただいてるんですよね?」

「もちろんですわ!」


 ぐるぐると渦巻く紫の瞳を、スフィラは心外げに丸くする。


「バラバラだった信徒たちはひとつになり、離散寸前だった王国イカ教会はこれまで以上に強固な形で存続することになりました。本当に素晴らしい計画けイカく遂行能力ですわ!」

「それならよかった。信徒たちに嘘をつく形になるので、スフィラ王女は嫌がるかと思ってましたが」

「誰も損をしないなら、別に嘘をついてもよいのですわ!」


 『嘘』に傷付けられることが誰よりも多かったにもかかわらず――いや、だからこそだろうか。スフィラ王女はどうも、嘘というものにある種ドライな距離感を持って接している節があるようだ。


 そんなことを思い巡らせながら、ウーロは紅茶に口を付ける。


 過熱に過熱を重ねたアレイパリ通り第三倉庫での集会から数時間後。

 ウーロたちはスフィラの私室に戻り、一仕事終えたあとのティータイムを過ごしていた。


「ウーロ様を称える声、まだ耳に残っていますわ。閉会へイカい時のあの熱狂、開会かイカい時の雰囲気からは想像もできませんでしたわね……!」

「……というかスフィラ様、その話し方に戻ったんですね」

「え? ああ……! 失礼。イカへの愛が高まると、自然とこういうイカした話し方になってしまうのですわ!」


 なかなか一筋縄ではイカない性質だった。


「しかし……アクォーク王家がイカを蘇らせた、なんてあんな穴だらけの説明。うまくいくか半信半疑だったのですが、結局ウーロ様の言っていた通りになりましたわね」

「ああいう場では、論理的に破綻がないことよりもわかりやすいことが重要ですからね」


 苦笑しながらウーロはうなずく。


 たしかに、集会でウーロたちが語ったストーリーにはいくつも矛盾がある。

 イカを蘇らせたのが王宮なら、スフィラが行った儀式はなんだったのか。ウーロひとりのために王都全体を滅ぼすようなことをするメリットがアクォーク王家にあるのか。それほど危険視されているウーロはなぜいま野放しになっているのか。エトセトラ、エトセトラ……。


 もちろんウーロやスフィラなら、これらの矛盾点をすべてカバーしたストーリーを組み立てることもできる。

 実際スフィラは事前に十分ほどで完璧なシナリオを作り上げ、ウーロに提案していた。


 だがウーロはそれを採用しなかった。

 理由は単純だ。話が複雑になりすぎると、信徒たちに理解できなくなるから。


「王族であり、幼少期から高度な教育を受け続けていたスフィラ様には想像がつかないかもしれませんが……。論理的思考というのは、訓練なしに身に付けることは困難なんです。それに彼らは、そもそも考えたいとも思っていなかった」

「……信徒の皆さまは、自分たちに降りかかった災禍さイカについてイカりを向ける先を探していただけ。事態を正確せイカくに把握して正しい選択をするというのは、彼らにとって優先度の高いことではなかった」

「その通りです」


 ゆえに重要だったのは、ロジックを詰めることではなかった。

 『王都を滅ぼしかけた生物と同格の存在』『自分たちの命を救った恩人』といった権威付けがあれば、信徒たちは熱狂するのだ。


「理屈はわかりますが、少し……残念ではありますわね。わたくしは、信徒の皆さまひとりひとりと同じ目線で戦いたかった」

「人間というものにずいぶんと期待しているんですね、スフィラ王女は」

「……ふ、ええ。そうかもしれませんわ!」


 スフィラは一瞬だけ驚いたような表情を見せて、それからすこし嬉しそうに笑った。





 それからふたりは、少しの間だけ他愛のない話をした。

 好きな食べ物。印象的な物語。思い出に残っている場所。ちょっとした失敗談。


 さほど長い時間だったわけでもない。互いの利益になる情報が交換できたわけでもない。

 だけど、温かな紅茶とお茶菓子があるテーブルにはふさわしい。そんな、ちょっとした雑談だった。


 そして、そういう雑談がひと段落したあと。

 スフィラが、柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。


「ウーロ様」

「ええ」

「あらためて、今日の集会は本当に素晴らしかったですわ。苦難を逆手に取り、はじめは敵対感てきたイカんのあった信徒たちに崇められるお姿は、これまでに見たなによりも神々しかった」

「……。ありがとうございます」

「それにやっぱり、わたくしはどうしてもイカが好きなのですわ。お母様の研究資料をのぞき見て、幼い頃から憧れていたというのもありますが……。やはりあの浴場で出会った白イカがやききを放つ神秘的な姿は、わたくしを魅了しつづけているようです」


 ウーロはうなずきを返す。

 そんなウーロにスフィラはまた柔らかな笑顔を浮かべ、


「だからわたくしは、これからもイカの狂信者でいつづけますわ!」

「スフィラ様」

「……と。以前までのわたくしなら、そう言っていたんだと思います」


 その言葉を、ウーロはある程度予想していた。

 そうだ。いまスフィラが挙げたようなことは、もはやスフィラにとって狂信の理由にはならない。


偽の支配者フェイク・ルーラーが現われたあのとき、自分がしようとしていることの重さをわたくしは知ったのですわ。わたくしの判断の誤りひとつで、王都が滅ぶかもしれない」

「ええ。その通りです」


 口元に笑みをたたえたまま、スフィラは淡々と語る。

 それを受けるウーロもまた、表情を変えることはない。

 ただすべてを飲み込むように黒い瞳で、スフィラをじっと見つめている。


「……幼い頃から憧れていた生物の姿を持っているから、とか。あるいはかつて言ってほしいことを言ってほしいときに言ってくれたから、とか。人がそういう理由で行動を決めることは、ちっともおかしなことじゃないと思います。むしろとても人間らしい行動原理ですわ」

「ええ」

「でも人類全体に関わる判断をするなら、それではいけないのです」


 そしてスフィラはとびっきりの笑みを浮かべ、


「ですから、わたくしは――――ウーロ様を、信じようと思うのですわ」


 そう言った。


「イカではなく、ウーロ様を。最強の闇魔法ではなく、その闇魔法すら打ち破った戦闘力を。白銀の姿がもたらす神秘性ではなく、教団をまとめ上げる実行力を。種族としてではなく一個の個体として持つ、『すべての人類を幸せに』という信念を」


 ひとつひとつ数え上げ、そして静かに瞳を閉じて。


「今度こそ――――清く、正しく、理性的に。スフィラ・アクォークは、あなたを狂信します」


 その言葉が混じりっけなしの真実であることは、真実の指輪ラーソンリングなど付けずとも明らかだった。





「こういうのってワクワクしますわ! 幼い頃にあったお泊まり会以来ですわね!」

「……。王族にもあるんですね、そういう催しって」

「年の近いきょうだいみんなで、ベルガ帝国の皇族たちとランツ永世公国に行ったのですわ! ふふ、今思えば平和な時代でしたわね……」

「いまアクォークはベルガと戦争中ですからね。ランツをベルガが武力制圧して、それが戦争のきっかけになったんでしたか」

「うちの国ではそういうことになってますが、それは嘘ですわよ」


 スフィラのベッドはそれなりに広かったが、それでもひとりで寝ることを想定して作られたものだ。

 ふたりで並んでベッドに入っていると、どうしても時折体が触れあうことがある。そのたびにウーロは、この状況の不健全さをあらためて感じずにはいられなかった。


 いまウーロは、寝間着に着替えたスフィラとひとつのベッドに並んで横になっている。


「ウーロ様! もしよろしければ今後しばらく、わたくしと行動を共にしていただくわけにはイカないでしょうか!」


 というのがスフィラの主張だった。これはまあ、妥当だろう。

 現在スフィラは王宮に目を付けられていて、どんな形で身に危険が及ぶかわからない。偽骸蘇生フレイジオによるウェザリアムの召喚にはタイムラグがある。

 事情がわかっている強力な護衛は、たしかに必須だった。


「だからといって、同衾する必要はないんじゃないかと思うんですが」

「でもウーロ様。今後おそらく多忙になっていくであろう状況を考えると、効率よく体力を回復することは必須ですわ」

「それは、まあ」

「そしてウーロ様の性欲さえ我慢していただければ、このベッドで一緒に寝るのが最も効率的に体力を回復できるのですわ!」


 そう言われてしまえば、ウーロとしても「いや性欲を我慢できないので床で寝ます」とは言いづらい。

 こうして。王女と護衛が……あるいは教祖と狂信者がひとつのベッドで寝るという、やや特殊な状況が生み出されたのだった。


「…………」

「…………」


 時刻はすでに一般的な就寝時間よりもだいぶ遅くなっていた。

 会話はすぐに途切れ、沈黙が場を支配する。


 ウーロがちらりと横を見やると、こちらに体を向けたスフィラがおだやかな表情で目を閉じていた。


(……寝ちゃってるみたいだね。安心しきった顔で、まあ)


 小さくため息をついて、ウーロは目を閉じる。


 まあ実際のところ、スフィラの言葉は正しい。これからやるべきことの多さを考えると、少しでも効率的に体力を回復させるべきだ。


 意識して思考を緩慢にしていく。

 最低限周囲への警戒は残しつつも、体から力を抜いていく。

 徐々に思考に靄がかかったようになっていき、すべての認識がぼんやりしていく。


 そうしているうちに、やがてウーロも眠りに落ちていき……

 落ちていき……

 落ちて……


(……落ちていけるわけないなぁ、やっぱり)


 どうやら、いくらなんでもこの状況では眠れないらしかった。

 これでは逆に回復できる体力も回復しない。


 やっぱり床で寝よう。

 そう決断したウーロは目を開き、こっそりと体を起こそうと――


「……あの」


 しかけたところで、隣から声が聞こえた。

 あおむけになっていたウーロが体を横にひねると、そこには大きな紫目をぱっちりと開いたスフィラがいる。


「ウーロ様」

「はい」

「……なんか、こう。目がギンギンでぜんっぜん眠れないのですわ」

「………………」


 お前もかい。

 内心の突っ込みは言葉には出さず、ウーロは穏やかな笑みを浮かべてみせた。


「スフィラ王女」

「ええ」

「別々に寝ましょう」

「それがよさそうですわね。……生殖本能の誤作動を甘く見てましたわ。なんで意思で制御できませんの? これ……」


 スフィラは自分が床で眠ると言い張ったが、ウーロは「自分のほうが固い床で眠った経験が豊富なので、固い床で眠ることによる体力回復効率の低下が比較的小さい」と主張し、なんとか床で眠る権利を勝ち取った。


 体を横たえてみると、床はさほど固くもなかった。敷かれた絨毯のおかげだろう。


 疲れのせいもあって、今度はすぐに眠気がやってきた。

 暖かな眠りが体を包む。ウーロはそのぬくもりに体を委ね、するりと意識を手放した。

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