今日からも教祖!

「う……」

「あ……」

「うわあああああああああっ!!!!!!」


 信徒たちからあがる無様な悲鳴。


 つい先程まで怒鳴り散らしていた威勢はどこへやら。みなが一様に恐怖に顔をこわばらせ、体を硬直させる。

 そしてひとりが身を翻して駆け出したのをきっかけに、倉庫の出口に向かって人の雪崩が起き始めた――その刹那。


『――怖がらせてすまない、みんな。みんなを傷付けるつもりはないから安心してくれ』


 ウーロの声が聞こえた。


「え? あ、え」

『このイカの姿が、俺の。ウーロテウティス・アンバーグリスの本当の姿なんだ』

「―――、そ、あ」

『もちろん、先日王都を襲ったイカは俺じゃない。あれはこの王国イカ教会を潰すために、王宮が用意した偽物だ』


 信徒たちが混乱し、言葉を発することができないでいる。

 その隙にウーロは空話ウィンドスピークを操り、彼らに情報を叩き込む。

 自分に都合良く改変し、操作した情報ストーリーを。


『俺がふだん人の姿で過ごしているのも、アクォーク王家から身を隠すためだ。……アクォーク王家は、真の支配者ルーラーがイカであることを知っている。だから自分たちが支配者の立場を追われることを恐れて、イカを抹消しようとしているんだよ』


 ウーロの話を信徒たちは、口を挟まずにただ聞いている。

 聞き入っている、というよりも。思考が一時的に止まっている、と言ったほうが正確だろう。


 突然イカが現われたことによるショック。

 直後、自分たちを害するつもりはないと告げられたことによる安堵。

 そして連続して語られる、予想だにしなかった数々の情報。

 その情報量は明らかに、信徒たちの処理能力を越えていた。


 加えて一部の信徒たちには、空話ウィンドスピークによるウーロの声が自分の耳元から聞こえている。

 対象になっているのは、先ほどウーロが信徒たちの間を歩いていたときに特に強く声を上げていた者たち。これも彼らの行動の抑制に一役買っていた。

 『群衆の一部』であれば彼らは自由に振る舞い、怒鳴り散らすことができる。

 だがいま、耳元から語りかけるように聞こえるウーロの声によって、彼らはウーロと一対一で対話しているかのような錯覚に陥っていた。


『――スフィラ。見せてあげてくれ』

「ええ。わかりましたわ」


 そしてウーロに促され、スフィラが前に進み出た。


偽骸蘇生フレイジオ


 瞬間。まばゆい光がスフィラから放たれる。


「う、あ、ひっ!?」

「こ、今度はなんですか……?」

「――――っ!」


 信徒たちの反応にバリエーションがなくなってきたことに満足して、ウーロは内心でうなずいた。

 情報量に疲れて、思考を放棄しはじめている。狙い通りの傾向だった。


 やがてスフィラが放っていた光が消え、そこにあったのは――消える前と寸分変わらぬ、スフィラ・アクォークの姿。

 だが、その中身は。


「……茶番じゃな」

『ウェザリアム様』

「わかっておるわ。ほれ」


 しゃんっ。

 凍姫とうきウェザリアムが生み出した氷の扇を振る。

 たったそれだけで、アレイパリ通り第三倉庫の天井は完全に凍り付いた。


 王都全域を氷で覆ったことと比べれば、さして驚くほどの芸当でもない。

 とはいえ、そこらの氷魔法使いにはとうてい真似できない芸当だ。信徒たちはその光景に驚き、息を呑んだ。


 考えるのに疲れたところに、この視覚的なインパクトは


「これは……?」

「たしかあの日、王都に現われたっていう……」


 この場にいる信徒たちは当時気を失っていたから、直接目にしてはいない。だがもちろん話は聞いている。

 突然王都に落ちてきた海から王都を守った、氷の天井。


『祖霊を蘇らせる、偽骸蘇生フレイジオという魔法だそうだ。王家に伝わるこの魔法を使ってスフィラは建国の英雄ウェザリアムをその身に宿らせ、王都を守ったんだ』

「ふん。頭を地面にこすりつけて感謝せよ、愚民ども」

『スフィラはウェザリアムと心を通わせ、自らの体を貸すことで協力を仰いだ。そしてウェザリアムはそんな彼女に心を打たれ、自ら進んで協力してくれた。すべては彼女の清らかな心と、王都を守るために自らの体を差し出そうとした献身の結果なんだ』


『つまり、スフィラ様が俺たちを守ってくれたのか……!』

「そんな……!」

「スフィラ様。俺たちみたいな平民のために体を差し出して……!」


 信徒たちの間にどよめきが広がる。

 いや。どよめきというよりそれは、むしろ嗚咽に近かった。信徒たちのほとんどが涙を流している。


 感謝。感激。敬意。先ほどまでの自らの言動についての後悔。

 こっそり紛れ込んだ空話ウィンドスピーク製の声による誘導もあって、信徒たちの心は短期間で驚くほど強烈に変化していた。

 ウーロは内心の満足を色濃くした。どうやらいまこの場に、ウーロの言葉に疑念を抱くことができている人間はいなさそうだ。


『ありがとう、ウェザリアム。スフィラに体を戻してくれ』

「……………」

『ウェザリアム様。お願いします』


 むすっとした表情でウーロを睨むウェザリアム。

 ウーロは空話ウィンドスピークを調整し、他の信徒には聞こえない声量でウェザリアムの耳元にささやく。懇願を受けたウェザリアムはため息をつき、


「ふん。……この借りは安くはないぞ」


 ウェザリアムの体が光を放ち、それが消えた頃にはスフィラが立っていた。

 ウーロに小さくうなずいたスフィラは、事前の打ち合わせ通り前に進み出る。


「スフィラ様!」

『ごめんなさいスフィラ様。俺たち、あなたにとんでもないことを……!』

「そうだ。なんてことを言っちまったんだ……」

「スフィラ様は俺たちを助けてくれたっていうのに……」


 言い訳のように謝罪する信徒たち(と、密かに紛れ込んだウーロの空話ウィンドスピークによる誘導)の声に、スフィラは優しく微笑んで首を横に振る。


「いいのです。……いえ、皆さまがわたくしを信じられなかったのは、むしろ当然なのですわ」

「と、当然……?」

「ええ。イカが悪であると印象づけ、わたくしと皆さまの間を引き裂こうとすること。……それこそが、アクォーク王家の狙いだったのですから」


 ふたたび倉庫内にどよめきが広がる。


 そのどよめきには怒りが含まれていた。が、先ほどウーロが王家への反意を示したときとは明らかに違う点がある。

 信徒たちの怒りの向かう先が、違う。


「先ほどお見せした偽骸蘇生フレイジオを使って、アクォーク王家は古代からイカを蘇らせたのですわ。それもわたくしがウェザリアム様にしたように、話し合いでお願いしたのではありません。最悪の手段――洗脳によって、古代のイカを操ったのですわ!」

「……! そういう、ことだったのですね!」

「なるほど。それならすべて辻褄が合うな」

「信じられない。王家の連中、私たちを騙そうとしていたんだわ……!」


 もちろんそういうことではないし、辻褄は全然合っていないし、アクォーク王家は偽の支配者フェイク・ルーラーの復活に関与していない。

 だがそんなこと、どうだっていいのだ。


 倉庫内を包む怒りの濁流が、アクォーク王家に流れ込む。


「あの日、暴走したイカは王都を襲いました。ウェザリアム様とウーロ様が協力して止めてくれましたが……そうでなければ、きっと王都は滅んでいたことでしょう」

「許せねえ。あいつら……、俺たちの命をなんだと思ってやがるんだ!」

「僕も僕の家族も、みんな死ぬところだったんだぞ……!」

『なあ、見返してやりてえと思わねえか?』

「当たり前だ! あいつら、なんとか見返し、て――」


 しん、と倉庫内が静まりかえる。

 それは。

 それは明確に『信徒たち』から出た、王家への反意を示す言葉だった。


「――聞いてください。皆さま」


 一瞬静かになった倉庫の空気を割るように、スフィラの凜とした声が響く。


わたくしは幼い頃からずっと、アクォーク王家のあり方に疑問を覚えていました。利己的で醜悪。他者の命を軽んじ、保身のためならなんでもする。これが本当に、人類の。この世で最も多く存在する種族の、指導者があるべき姿なのか、と」


 倉庫内はスフィラの声以外、しわぶきひとつ聞こえない。


「そんなときに出会ったのですわ。この世で最も強く、最も偉大な種族……。そう、イカに」


 誰一人、疑問の声を挟もうとはしない。


「最初わたくしはひとりでした。だけどいま、わたくしには皆さまがいる」


 その場の全員が、ウーロとスフィラに目を奪われている。


「王家が介入してきても、結局皆さまを揺るがすことはできなかった」


 その場の全員が、ウーロとスフィラに心を奪われている。


「手を貸してください、皆さま。――アクォーク王家と、戦うのですわ!」


「――」

「――――――」

「――――――――――――――」

『――わかっ』

「わ、わわ、わ、わかりました!」


 最初にスフィラに応えたのは。

 集会の冒頭でウーロが声をかけた、あの青年だった。


「ぼっ、ぼぼ、僕は! あとちょっとでも魔力が、へへ減ってたら、す、スフィラ様と、うー、ウーロ様が頑張ってくれなかったら、し、しし、死んでた。だから! だから僕はこ、この命をかけて、王家と戦います!」

「――そう、だ」

「そうだ!」

「俺たちだって戦う! 戦ってみせる!」

「なにが王家だ! なにが憲兵だ! 何も知らずに死んでいくことを思えば、そんなもんちっとも怖くねぇ!」


 ――ああ。


(宗教的熱狂というのは、本当に便利だね)


 アレイパリ通り第三倉庫。

 思い思いの決意表明は、いつしかひとつの叫びに統一されていく。


「世界を再びイカの手に!」


「「世界を再びイカの手に!!」」


「「「「世界を再びイカの手に!!!!」」」」


 この何の変哲もない倉庫は、いま聖地になった。

 特に感慨もなくそう感じながら、ウーロは水槽を揺蕩う。


「「「「世界を再びイカの手に!!!!!!」」」」


「「「「「「世界を再びイカの手に!!!!!!!!!」」」」」」


「「「「「「「「「

        世界を再びイカの手に!!!!!!!!!!!

                            」」」」」」」」」



 その熱狂は、灼熱した海のように続いた。



「「「「「「「「「「「「「「「

        世界を再びイカの手に!!!!!!!!!!!!

                      」」」」」」」」」」」」」」」

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