断章:ヘイティア・アクォーク

「全員、救助完了しました」

「ご苦労さん。全員無事だったか?」

「あなんとか、全員一命は取り留めましたよ。もともと体が弱かった数名は、魔力の急激な枯渇によるショックで衰弱死寸前でしたが」


 ウーゼル通り第四倉庫。

 スフィラ・アクォークによる通報を受けて駆けつけた憲兵隊の救急隊員たちによる人命救助も、ようやくひと段落を迎えていた。


「……しっかしほんと、なんだったんですかね。ここほど深刻ではないにせよ、各地で魔力枯渇の被害が報告されてますし、白と黒の謎の生物が空を飛んでたって報告もありますし。極めつきはいきなり王都を覆った氷の天井ですか」

「わからん。俺の予想じゃあ、ついに魔候が徒党を組んで攻めてくんで来たんじゃないかと思ってるが」

「だとしたら、マジで人類終了っすね……。あれ?」


 話をしていた救急隊員のひとりが首をひねる。


「どうした?」

「や、今気付いたんすけど。救出したリストの中に、いるはずの人がひとりいないんすよ」

「あん? 誰のことだ?」

「スフィラ王女の通報にあった、ここで倒れてるっていうヘイティア王女っすよ。っかしいなぁ。胸を刺し貫かれた王女様なんて、見落とされるはずがないと思うんすけど……」





「はぁっ……! はぁっ……!」


 ヘイティア・アクォークは胸に空いた穴を押さえながら、なかば這いずるようにして通りを進んでいた。

 普段から人通りの多くないウーゼル通り周辺だが、今日は本当に人っ子一人見当たらない。度重なる騒動もあって、ほとんどの人が家にこもっているのだろう。


「じょ……冗談じゃないわ。こんな状態でスフィラが呼んだ連中に体を預けるなんて、何をされるかわかったもんじゃない」


 イカに胸を刺し貫かれ、ただでさえ少ない魔力を吸収され。

 それでも、ヘイティア・アクォークは生きていた。


「死んで、たまるか……! このアタシが、こんなところで……!」


 こんなはずではなかった。


 スフィラからすべてを奪ってやるはずだった。

 イカがどうこういう研究がまったくの無価値だと証明してやるつもりだった。

 結局ヘイティア姉様が全部正しかったのだと、頭を下げさせてやるつもりだった。


 きっとうまくいくと、そう確信していたのに。

 なのになぜ、自分はいまこんな汚い通りを這いずっているのだろうか。


「っ、誰か。誰かいないのっ……! くそ。はやく、はやくアイツが連れてきた以外の医者に治療させないと……!」

「…………」

「あ……?」


 ぼやけそうになる視界の中で、ヘイティアはたしかに確認した。

 五歳ほどの少年が、じっとヘイティアのほうを見つめている。


 突如として見えた生還の可能性への期待に、ヘイティアの弱った体が打ち震える。


「そっ、そこのガキ! アンタ! なにボサッとしてんの!」

「…………」

「い、いいい医者! 誰でもいいから医者を呼んでこい! アタっ、アタシはこの国の王女、ヘイティアよ!」

「…………」


 どうにも様子のおかしい子供だった。怒鳴りつけるヘイティアを見ても表情を変える様子がない。


 かつん、かつんと。

 ただ無表情のままゆっくりと、ヘイティアに近付いてくる。


「なっ、なに! なにやってんのよ! こっちになんて来なくていい! 医者を呼んで来いって言ってんの!」

「…………」

「わかってる? アタシを死なせたらアンタ重罪人よ! アンタもアンタの親も死刑なんだから! ねえ! 聞いて……」

「うるさゐよ、オマエ」


 一瞬、ヘイティアには何が起きたのかわからなかった。


 体を貫く激痛。


 遅れて理解する。

 無表情の子供が、自分の背中を思い切り踏みつけていた。


「がっ……! あああがっああああああっ!!!!」

「せっかくウーロ君のヶっこゐゐバトルシーンを見てたヶぶってゐるところなんだ。水を差さなゐでほしゐなぁ」

「お、あが、おまえ! は、ハル、レイキア! なん、でっ!!」

「ここで死んでおけよ、ヘゐテゐア・アクォーク。お前みたゐな小物臭ゐ悪役が、ゐつまでもだらだらと尺を取ってるんじゃあなゐよ」


 べきりぼきりと、ヘイティアは自分の背中から聞こえる音を聞く。

 それはきっと、自分の背骨が砕けようとしている音で。


「っ、ああああああああああああっ!!」


 背骨が完全に折れるその直前、ヘイティアは思い出した。

 自分の右目が持つ、特別な能力に。


 ヘイティアの右目が――無機質な義眼がまばゆく輝き、大通りを赤い光に染める。





「えらいぞ、ヘイティア! 適合したんだってな!」


 幼いヘイティアの頭を、父親であるティオヤ・アクォークが撫でている。


「う、うん? てきごー? って、よくわかんないけど」

「うんうん! やっぱ王族は適合率が高い! いやー、ほんと子作りって最高にコスパのいい兵器開発だなぁ!」

「……? 兵、器……?」

「兵器を売る人のことを『死の商人』なんて言ったりするけどさぁ。僕の場合は新しい命を生み出してるんだから『生の商人』とも言えるよね。ねえヘイティア、どっちだと思う?」

「……? お父様、なんの話……?」

「もー。どっちか答えてよ。どっちだと思う?」

「え。いや、わかんない……」

「正解はね、『精子の商人』でしたー! あは! 実際僕の精子売りに出したら、かなり高く売れたりして! あははは!」

「……?」

「あーごめんごめん。僕ってかなりギャグセン高いほうなんだけどさ、笑いのジャンルがわりとコアなんだ。子供にはさすがにまだ早いよねぇ」


 ヘイティアにはよくわからない話を終えたティオヤは屈んでいた腰を起こし、ヘイティアに手を振った。


「そんじゃ、僕はもう行くからさ。目の摘出手術、頑張ってね」

「……え。目の……なに?」

「ん? や、君の右目をえぐり出して、特級魔法具『暁眼』と取り替える手術のことだけど……。あ、ごめん。これ言っちゃマズかった?」

「―――――――――、や。やだ! そんなのやだ!!」


 これから自分に降りかかることを知り、幼いヘイティアは手術台の上で必死に暴れる。

 そんなヘイティアを見て照れくさそうに笑いながら、ティオヤはぽりぽりと頬を掻いた。


「やーごめんごめん。僕って昔っから、言っちゃいけないことほど言っちゃうタイプでさぁ」

「や! やだよ! お父様! たす、助けて!!」

「まあほら、眠らせるとかなんとかして適当に頑張ってよ。ほんじゃま、そゆことでー」

「お父様!」


 へらへらと、自分のを誤魔化すためだけの笑いを浮かべたまま、ティオヤはヘイティアの視界から消える。


 それでも必死で暴れ続けていたヘイティアだったが、やがて世界に靄がかかったように意識が薄れていき――





「ヘイティア姉様」

「…………」

「ヘイティア姉様、どうしたんですの? 最近ずっとお元気がありませんわ!」


 じろりと、投げやりにヘイティアは隣に視線を投げた。

 ひとつ下の妹、スフィラ・アクォークが、心配そうに自分の手を握っている。


 ヘイティアとスフィラは歳が近く、事あるごとに一緒に行動させられてきた。

 そのせいで、スフィラはずいぶんとヘイティアに懐いている。以前はそんな様子を可愛く思ったりもしたが――今は、それがうっとうしくてしかたがない。


「放っておいて」

「い、いえ。しかし――」

「放っておいてって言ってるのよ!」


 ヘイティアに怒鳴られて、スフィラはびくんと体を震わせる。

 それでもスフィラは、ヘイティアの手を離さない。それに無性に腹が立って、ヘイティアはさらに声を荒げた。


「アタシに近付かないでよ! アンタもどうせ、この目が気持ち悪いって思ってるんでしょ!」

「そ、そんなこと――」

「思ってるに決まってるわよ!」


 右目が人間っぽくなくて気持ち悪い。

 あの目から出る光は魔候すら殺せるらしい。じゃあ人間なんてひと睨みで殺せるに違いないよ。

 あの子に近付いちゃいけません。殺されるわよ。

 なんだかずっとこっちを見てるわよ。やだ、殺されるんじゃないかしら……。


「へ、ヘイティア姉様がひどいことを言われているのは知っています。でもわたくしはそんなこと――」

「もう! もういいのよ、アタシは! 誰に何を言われてもいいの! どうせアタシに味方なんていないんだから!」

「…………」

「この右目がある限り、アタシはこの国にとって、お父様にとって必要な人間なんだから! だからもう、人に好かれようなんて思わない! アタシの人生はそれでいいの! 誰もそばにいなくたって、アタシは――!」

「うそつき」

「……。はぁ?」


 唐突なスフィラの言葉に、ヘイティアの怒鳴り声が止まった。


「人に好かれようなんて思わない、というのは嘘ですわ」

「な、なんでそんなことがアンタに」

「ごめんなさい。それは言えないのです。でも間違いなく、嘘ですわ」

「、アンタね――!」


 煮え切らないスフィラの言葉にヘイティアが反論を続けられなかったのは、きっと自覚していたからだ。

 自分の言葉が、嘘であることを。


「……わたくし、ヘイティア姉様の右目が移植された経緯については心の底から怒っておりますわ。わたくしたちのお父様は、人類の指導者のひとりは、本当に救いようのないクズの人格破綻者です」

「す……スフィラ! あんた、お父様に対してなんてことを……!」

「ですが。そういった経緯を抜きにして、単純に事実だけをお伝えするのであれば……」


 言ってスフィラは、自分の右手薬指から指輪を抜いた。

 その指輪をヘイティアの指に嵌める。状況を理解できないまま、ヘイティアはされるがままにそれを受け入れた。


 そして。

 指輪を嵌めたヘイティアの、その小さな手を握ったままで。


「ヘイティア姉様のその赤い右目は、とても美しいと。――わたくしは心から、そう思っておりますわ」


 幼いスフィラは、そう言って微笑んだ。





「ああ、スフィラ――!」


 失われた血と魔力の影響で朦朧とした意識の中、ヘイティアはうわごとのようにつぶやく。


「スフィラ、スフィラ、スフィラ! アンタは、アンタが、アンタだけが、アタシの救世主だったのに!」

「…………」

「あ、アタシが、アタシが一番アンタのことを愛してたのに! 意味わかんない……。なんでアタシと舞踏会に行かないの? 意味わかんない生き物の研究ばっかして! アンタに綺麗って言ってもらうために、アンタに綺麗って言われなきゃ意味がないのに!」

「…………」

「意味わかんない研究も、意味わかんない宗教も、意味わかんない男も! 全部ぶっ壊して、全部ぶっ殺して、アタシが、アンタを、アタシが、一番愛してるって!」

「……あのさぁ」


 異音がした。

 蹴り飛ばされた自分の肋骨が砕けた音だと、ヘイティアは宙を舞いながら気付く。


「あ、がっ」

「お前のそれ、どう見てもあゐではねえよ。……つうヶたまたまってほしいことをってほしいときにわれたってだけで、十年以上ゐじょうも執着してるなよ。気色悪ゐなぁ」

「お、おま、え。ハルレイキア、なんで――!」

「おゐおゐ。そんな玩具が俺に有効だと、まさか本気でそう思ってたのヶゐ?」


 子供の姿のハルレイキアはそう言って笑い、自分が蹴り飛ばしたヘイティアに歩み寄る。

 そして、


「っがああああああああっ!!」


 ヘイティアの右目から、まばゆく光る義眼をえぐり出した。


「ま、よくできた玩具であることは確ヶだけどね! 特級魔法具『暁眼』の、魔族を殺すあヶひヶり。並の魔候――それこそネプトやゴラウブくらゐなら殺せるんじゃなゐヶなぁ」

「っ、ひ、あ――――」


 ばりっ。ぼりっ。

 ハルレイキアはえぐり取った義眼を口に放り込み、無造作に噛み砕く。


 口の中でもなお赤い光を放っていた特級魔法具は、しかし徐々にその光を失っていき――やがて本当に淡い光だけが、ハルレイキアの喉を通って胃の中に落ちるのが見えた。


「うん。味は悪くなゐね」

「お――おまえ。おまえ、ただの魔候じゃない。おまえは――」

「死の間際にそんなことが知りたゐの? 俺が最強さゐきょうの魔候であるとヶ、ちょっとした事情で『ゐヶ』とゐう言葉を正しく使えなゐとヶ、洗髪料は高級アルコールけゐが好きだとヶ。そうゐうのはにとっては多少意味ゐみがある情報だろうが、お前にとってはどうでもゐゐんじゃあなゐのヶ?」


 言われてヘイティアは自覚した。

 体中から血と体温があふれている。

 自分の命はもはや、持って数秒ほどだろう。


「高級料理を振る舞ってもらったおれゐだ。遺言ゆゐごんがあれば承ろう!」

「……すふぃ、らに」

「うん」

「ご。……、……。ありがとう、と」

「うん」


 ハルレイキアは楽しげに笑って、


「冴えなゐ遺言ゆゐごんなら無視しようと思ってたけど。ま、及第点ヶな! ゐゐよ、伝えておくね!」

「…………」

「あ、もう死んじゃってるヶ」


 冷たくなったヘイティアの体を見下ろし、ハルレイキアは肩をすくめる。


「――ま。安心しなよ、ヘゐテゐア・アクォーク。ちょうどゐゐし、お前のヶらだは俺がうまく利用してやる。お前よりもずっとうまくね」


 かつてヘイティア・アクォークだったものに、少年の姿をしたハルレイキアはそう笑いかけた。

 そして少年は――





「ウン、ゐゐねっ!」


 ヘイティア・アクォークの体が、人の気配のない大通りにすっくと立ち上がる。


 その体の肋骨は、折れたりしていない。胸に空いた穴も服の穴ごとなくなっているし、体のどこにも血液は付着していない。


「女の子をやるのは久しぶりだが、悪くなゐね! 華やヶな見た目が、俺のキュートな性格せゐヶくとよくマリアージュしてゐるなぁ」


 見た目は完全にヘイティア・アクォーク。だがその話し方は、明らかに彼女のそれではない。


「さーて。せっヶくなのでこのヶらだを使って、俺はもう少しウーロ君の活躍ヶつやくを近くで見させてもらうとしようヶな。遺言ゆゐごんも伝えてあげなきゃだしね!」


 ヘイティア・アクォークの姿をしたは、にこやかに語る。


「お母上も、ゐつまでも黒幕ヅラで傍観ぼうヶんしてると、俺があの巨乳女のヶわりに全部ぶっ壊しちゃうよ? ……なんてね」


 沈みかけた夕陽が照らす街に、ただ楽しげなクスクス笑いだけが溶けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る