終わりと始まり

「実のところ……妾は、期待しておるのよ」


 すとん、と自身も氷の足場に降り立ち。

 扇で口元を隠したまま、ウェザリアムは楽しげに目を細める。


「妾の子孫の、この器な。同じ脳を使っているおかげか、記憶や好悪を多少は覗けるのじゃよ。あまり深いところや、具体的なエピソードまでは見れぬのじゃが――」


 ウェザリアムは、裸のウーロを上から下まで無遠慮に眺め――


「そなたに対する深い敬慕と信頼が、それでもひしひしと伝わってくるのよ。わはは! 妾の子孫をこれほどまでに誑かした男が、妾に対してどのような交渉材料を用意しているのか。実に楽しみでしかたないわ!」

「……ふうむ」


 海水に濡れた白銀の髪を、ウーロは無造作に撫でつける。


「交渉材料、ですか」

「そうとも。偽骸蘇生フレイジオはあくまでも一時的な還魂の魔法ではあるが、それが一時的であるのは魔法の維持のために常に魔力を消費するためじゃ。器を再構築していたあの古代生物と比べると少ないが、妾も存在し続けるだけで魔力を使い続けておる。ゆえに、『魔力切れ』がタイムリミットになるわけじゃな」


 じゃが、とウェザリアムは楽しげに首を横に振る。


「妾の如き上位の魔法使いは、この制約を無視できる。外部からの魔力補充はなにも闇魔法だけの専売特許ではないのじゃ。すでにいくつか方法は思い付いておるぞ。その気になれば、永遠にこの体を占有することもできような」

「それはぜひやめてほしいですね。俺はスフィラ王女に話さなきゃいけないことがあるし、スフィラ王女だって嫌がるでしょう」

「わはは! そりゃあそうじゃ! じゃがそれはおぬしらの都合。妾がこの体を返したくなるような話をしてみよと、妾はそう言っておるのじゃよ」


 ええ、とウーロはうなずいた。


「まあ、交渉ってそういうものですよね」

「うむ」

「…………」

「…………」

「……………………」

「……………………」

「………………………………………」

「………………………………………。え、終わり?」

「はい。終わりです」


 愕然とした様子でウーロを見つめるウェザリアムに、ウーロはぽりぽりと撫でつけたばかりの頭を掻いた。


「なにぶん危急の状態だったもので。ウェザリアム様への交渉のカードなんて、用意してる暇はありませんでした」

「え……。え~~~~。そ、それは困るのう」

「だからまあ、辛うじて交渉のカードと言えそうなものはふたつ。俺はスフィラ王女に話さなきゃいけないことがある。スフィラ王女も嫌がる。以上です」

「いやじゃからさ……。それはそっちの都合じゃろって……」

「他に交渉材料がないんだから、仕方ないでしょう」


 やけに堂々と胸を張るウーロに、ウェザリアムは深々とため息をついた。


「……やれやれ。ずいぶんと失望させてくれるのう」

「う、ウーロさん。大丈夫なんですか、こんな交渉で。いやもはや交渉とも呼べないなにかですけど……」

「うん。たぶん大丈夫」

「た、たぶんって……! あの、忘れてるんですか? あの人めちゃくちゃ強いですよ! 消耗しきったわたしとウーロさんじゃ、怒らせたら一瞬で凍らされて終わりですよ!」


 じろり、と。

 氷よりも冷たい目でウェザリアムはウーロたちを睨みつけ。


「……交渉は、終わりじゃ」


 しゃんっ。

 片手に持った扇を、横に振った。


 それから――地響き、崩壊、白、そして暗黒。


「う……ウーロさん!? なんですかこれ、どうなったんです?」

「心配いらないよ、シルピュア。海の入った巨大な氷の器を、ウェザリアム様が持ち上げたんだ」

「……え?」

「ふん。これを海に運ぶのは妾には無理じゃからな。適当に、近くの盆地にでも捨てておくぞ」

「ええ。助かります」


 しゃんっ。


 ふたたび扇の音が鳴る。

 ――ほどなくして、暗かったシルピュアたちの周囲に光が戻った。


 上空からの陽光を遮っていた『海の入った巨大な氷の器』がどかされたためだ。


「こ、れは」


 ウーロたちの立っている、氷の足場。面積は縦横三メートル、高さ五十メートルほどのそれを残して――王都の上を覆っていた海と氷は、きれいさっぱりなくなっていた。


「ウェザリアム様がウーロさんの要求を呑んで、なんとかしてくれた……? でもどうして……」

「うん、まあ。最終ミッションが一番難易度が高いとは限らない、ってことだね」

「……ふん」


 不服げに鼻を鳴らして、ウェザリアムがウーロを睨む。


「最初から気付いておったのか? 妾がそもそも、妾の子孫に体を返すつもりであったこと」

「確信があったわけじゃありませんよ。もし無理そうなら、ウェザリアム様を拘束して拷問でもするつもりでした」

「物騒じゃな……。ふむ。妾の子孫はどうも、誑かされる相手を間違えたのではないか?」

「あ……あの。話しに付いていけてないんですが。ウェザリアム様は最初から、スフィラ王女に体を返すつもりだったんですか?」

「うむ」


 シルピュアの問いかけに、ウェザリアムがうなずく。


「で……でもどうして。体を返したら、ウェザリアム様はまた意識を失うことになるのに……」

「どうしてって、まあ。国を守るために自分を犠牲にした子が報われずに消えるって、そりゃあかなりかわいそうすぎるからのう……」

「…………。え、それだけですか?」

「うむ」


 むすっとした顔のまま、ウェザリアムがうなずく。


 ああ、と遅ればせながらシルピュアは気付いた。

 この人たぶん、シンプルにめちゃくちゃいい人だ。


「ふん! 特に愛着もない子孫がこれに味を占めて軽々に妾を呼び出すようになっても困るし、ついでだからなにか交換条件をふんだくってやろうと思っていたのじゃ! それなのにそなた、いくらなんでも譲歩しなさすぎじゃろう!」


 扇で口元を隠したまま、ウェザリアムはぷんすこと怒る。


「妾の意図を見抜いたのか知らんが、目上相手に完全勝利しおって! 洞察力は認めるが、適度に負けて顔を立てておくことを学ばんと、そなた出世できんぞ!」

「ああいや、それについてはすみません。……でも実は、俺の人を見る目は壊滅的でして。俺じゃないんですよ、ウェザリアム様の真意を見抜いたのは」

「……なんじゃと?」


 首をかしげるウェザリアムに、ウーロはうなずく。


「実は。スフィラ王女を背負って、王都中心部に向かって走っている最中のことなんですが――」





「状況によってはわたくしも戦力になれますわ!」


 とスフィラが言うので、彼女を背負った状態でウーロは王都中心部に走っていた。

 ウーロは普通に全裸だったので、気を失っていない王都民たちはその光景にすさまじい衝撃を受けていた。


「……スフィラ王女、自己犠牲はナシですよ。さっきも言いましたが、俺にはあなたに話さなきゃいけないことがあるんです」

「まあ、お優しいんですのね! もちろんわかっておりますわ!」

「ですが……」


 具体的に口には出さなかったが、スフィラの切り札が『自分の体を器にしたウェザリアム降臨』であることはウーロにもわかっていた。

 ……もしスフィラにこの切り札を切らせる事態になれば。それは結局のところ、スフィラの命を犠牲にするのとなんら変わりないのではないか。


 そう案じるウーロからは見えなかったが、背負われたスフィラは嬉しそうにふわりと微笑んだ。


「ウーロ様。客観的に見てわたくし、かなりの美人さんだと思いませんか?」

「……急になんの話ですか? いやまあ、美人だとは思いますが」

「ですわよね! なぜだと思いますか?」

「なぜって……。生まれつきじゃないんですか?」

「それもありますわ! でもそれだけではないのです!」


 背負われた状態のまま、スフィラは器用に胸を張った。


「遺伝子、努力、科学! 美人とはすなわち、この三つすべてが揃ったときに成り立つものなのですわ!」

「……ええと。つまりその美貌を作るために、スフィラ王女は手を尽くしているということが言いたいわけですね」

「ですわ!」

「少し意外ですね。スフィラ王女はそのあたりのこと、あまり頓着がなさそうに思っていました」

「失礼ですわ! でも正直その通りですわ! わたくし、自分を飾り立てることにあまり興味はないんですのよ!」

「……? ではなぜ、そんな努力を?」


 首をかしげるウーロに、スフィラは答える。


「もちろん、容姿を寄せたかったのですわ! 建国の英雄にして絶世の美女と称された、凍姫とうきウェザリアムに!」

「……ああ、なるほど」

「誰よりも強く誰よりも心優しい、氷点下の支配者ウェザリアム様! 歴代でもきわめて稀な、尊敬できる王族。ですから体を譲り渡すならこの人がいいと、わたくしそうずっとそう思っていましたのよ!」


 だから、


「だから……心配いらないのですわ、ウーロ様。これは自己犠牲などにはなりえないのです!」





「とまあ、スフィラ王女がそんなことを言っていたものですから。だからあまり心配はしてませんでした。ウェザリアム様は、スフィラ王女が『誰よりも心優しい』と称した人ですからね」

「……ふん」


 扇で口元を隠したままウェザリアムは眉をしかめ、


「数百年越しに先祖の人格を品定めとはな! 妾の子孫はずいぶんと生意気に育ったらしいわ!」

「めちゃくちゃ嬉しそうですね」


 扇で隠されていたが、その口元はどう考えてもにやけていた。


「バカを言うな。よいか。妾の子孫に伝えておけ!」


 言ってウェザリアムは、びしぃとウーロに扇を持っていないほうの指を突きつける。


「妾は南部ギョーディの茶葉を使った紅茶が好みじゃ。たまに呼び出して飲ませよとな!」

「伝えておきます。王家伝統の秘術がそんな気軽に使えるのかは知りませんが」

「では、さらばじゃ!」


 しゃんっ。

 ウェザリアムが扇を振ると、ふっとその瞳から光が消えた。

 氷の扇が足下に落ちて高い音を立て、その体がぐらりと倒れかける。近くにいたウーロが、慌ててその体を支える。


「わ。危ないなぁ、もう。あの人、ここが高度五十メートルのよく滑る足場だってこと忘れてるんじゃないかな」

「……そう考えるとめちゃくちゃ怖いですね、ここ。というかどうやって降りよう」

「……ん、ぁ?」


 ゆるゆると、スフィラの瞳が開く。


「……ウーロ、様」

「おはようございます、スフィラ王女」

「……ええ。おはようございますですわ」


 しぱしぱと目をしばたかせ、ウーロに抱きかかえられたままスフィラは首をかしげる。


「ええと。……どうなりましたの?」

「終わりましたよ、全部」


 ウーロは微笑んで、胸の中のスフィラに答える。


「俺の知る限り犠牲者を出すことなく、完全に解決しました。これですべての危険はなくなり――」

「あの、ウーロさん。言いにくいんですが」


 そんなウーロの言葉を妹が遮る。


「この足場、傾いてます」

「え?」

「まあそりゃそうというか、冷静に考えていくらなんでも縦長すぎる構造物ですからね。たぶんあと数十秒くらいで倒壊します」


 シルピュアの言うとおり、ウーロたちの立つ足場は傾いていた。

 ……もしこの氷の足場が倒壊したら?

 ウーロもシルピュアも、自分たちとスフィラの身を守ることくらいはできるだろう。だが王都に多大な被害が出ることは避けられない。


 ウーロはシルピュアと視線をかわし、

 次に、スフィラと視線をかわし、

 空中に視線をさまよわせ、

 最後にもう一度スフィラに視線を戻し、言った。


「あの、スフィラ王女」

「はい」

「もう一回、ウェザリアム様呼んでもらえませんか?」





[アクォーク正教憲兵隊による、アクォークセント襲撃事件に関する第一次報告書]


 未知の生物の襲撃を受け、アクォークセントに多大なる人的被害が発生。多くの王都民が急速な魔力欠乏によって意識を喪失し、勇敢なる憲兵隊によって保護された。

 また同時に大陸南西部の海水が王都に飛来し、一時王都の上空を覆った。おそらく王都を水中に沈めることを意図した攻撃であると思われる。


 未知の生物は白銀の体に十本の触手を持ち、古代生物とされる『イカ』の伝承に酷似している。しかし正体は不明であり、未確認の魔族である可能性も否定できない。いずれにせよ既存のいかなる魔候より強力であったことは疑いなく、今後も調査を継続する必要がある。


 なお、王都都市警備隊隊長シルピュア・アンバーグリスが当該生物と交戦している様子を目撃されており、当人の証言からも当該生物への対処は彼女が行ったと考えられる。この功績はきわめて大であり、伝統と格式ある王国軍の精強さを改めて世界に知らしめることとなった。

 第三十五王女スフィラ・アクォーク、および王国国民ウーロテウティス・アンバーグリスが対処に寄与したとの風説が市井に流布しているが、これについて明確な根拠は見られない。当人らによる虚言である可能性が高く、こうした風説に対しては厳格な対応が求められる。


 なお末筆ながら、憲兵隊の尽力の甲斐あって、奇跡的に本件による死者は発生しなかったことを書き添える。



                                   以上

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る