すべてをお話しします

「ようこそ、ウーロ様! こちらがわたくしの私室ですわ!」

「おお……。王女様の私室を見るというのも、なかなか貴重な機会ですね」


 スフィラの私室は、ウーロには意外なほど普通だった。第四倉庫の地下室よりはよほど片付いている。家具の類はシンプルかつ質の高いもので統一されているが、それなりに使い込んでいるらしくどれも使用感があった。

 唯一特徴的なのはやたらと数の多い本棚だ。本、というより本棚の数が多い。二十個くらいある(厳密に言えばそのすべてに本がぎっしり詰まっているので、本も多い)。


「ささ、どうぞ。おかけになってくださいまし! いま紅茶を入れますわ!」

「ありがとうございます」


 礼を述べてありがたくご馳走になっておくことにする。いくらなんでも、紅茶まで不味いということはないだろうという判断だった。


「しかしよかったですね。結局、スフィラ王女にも教団にもお咎めなしですか。……さすがに、第四倉庫で倒れていた信徒の方たちから、教団のことや儀式のことは王政側にバレてるでしょうが」

「そうですわね! ……というか、バレているからこそわたくしは助かったのですわ」


 スフィラがティーポットから紅茶を注ぐと、豊かな香りがウーロの鼻孔をくすぐった。

 良い茶葉を使っている。なんとなくウーロは、ウェザリアムのことを思い出した。


わたくしや教団と偽の支配者フェイク・ルーラーの関係を、王宮がもみ消してくれたのですわ。偽骸蘇生フレイジオのことは、やはり王宮としては公にしたくないようですの!」

「あ、そうなんですか。……騒動の最中にウェザリアム様が大量の人々に目撃されている以上、もう伏せておくのは無理がありそうですが」

「明確に氷魔法を使う瞬間は目撃されておりませんし、姿はわたくしと同じですからね。なんとか誤魔化せるという算段のようですわ。まあウェザリアム様によって『誓約の黒薔薇』が破壊された現状、いつまでも秘密を保っていられるとは思えませんけれど!」


 とはいえ。スフィラもウーロも、今回ばかりはその王宮の秘密主義に助けられた形であることは事実だ。


わたくしが要注意人物として目を付けられたことは間違いありませんし、ほとぼりが冷めた頃くらいにいつの間にか事故死させられそうではありますわね!」

「怖いこと言いますね」


 実際、ありそうな話ではあったが。

 カップを差し出したスフィラに礼を言って、ウーロは温かい紅茶をすする。やはり悪くない香りだ。


「……さて、それじゃあ。余談はこのくらいにしておきましょうか」

「ええ。始めましょう!」


 自分の正面に腰掛けたスフィラに、ウーロが手を伸ばす。


 スフィラはそうして差し出された手を握り返し、ふわりと微笑んだ。


「さあ……。教えてくださいな、ウーロ様のこと」





「俺はイカじゃありません。イカに変身できるだけの人間です」


「闇魔法はもともと使えないです。使い方もまったくわかりません」


「前世の記憶があるんです。剣崎唯伽という名前で、日本という国に住んでいました」


「死んだのは二十二歳のことです。はは、今の歳と同じですね」


「死因は失血死です。ちょっと人間関係のトラブルで、刺し殺されました」


「詳しくは……すみません。正直、なぜ刺されたのか自分でも整理しきれてなくて」


「職業? あー、教師ってわかりますかね? ……そうです、この世界では専業の人はほとんどいませんが」


「はい。俺は前世では、人に物を教える仕事をしてました」


「俺のいた世界にもイカはいました。でも闇魔法なんて使えない下等生物でしたよ」


「はい。だから俺は最初、この世界のイカも同じだと思ってたんです」


「え? いや、そこらにいっぱいいましたよ。全然食用にもなってました」


「あ、はい。何度も。ええ、おいしいですよ」


「え。いや……。すみません、無理です。俺の触手はたぶん再生しませんし」


「無理ですってば」


「かじるのもダメです」


「舐めるのもダメです」


「はい、ありがとうございます。わかってもらえてよかった」


「……あ、はい。そうですね。教団の力を利用しようとはしていました」


「ちょうど、個人の力で魔族と戦うことに限界を感じていたところだったので」


「ええまあ。王国軍に妨害されることはよくありましたね」


「はい。目的は以前に言ったとおりです。あれは嘘じゃない」


「魔族を完全に滅ぼして、すべての人が幸せに生きられるようにすること」


「それが最初から最後まで、ずっと変わらない俺の行動原理です」





「……なるほど」


 ほう、とスフィラは大きく息を吐く。


「嬉しいですわ。以前よりもずっと深く、ウーロさんのことを知れた気がします」

「それはよかった」

「本当は、もう少し深掘りして聞きたいところではあるのですけれど。……でも、またの機会にしましょう、正直、今お聞きしたことだけでも情報量が大きすぎて受け止めきれないのですわ」


 それもそうだろうな、とウーロはうなずく。実際、スフィラにとってはかなり衝撃的な話が目白押しだったはずだ。


 前世のことも含めてこれほど自分のことを話したのはウーロにとっても初めてだ。シルピュアにすらあまり詳しいことは話していないのだ。

 というかそもそも、普通はこんなことを話しても突飛すぎて信用されないだろう。

 いまスフィラがウーロを信じてくれているのも、その右手薬指にはめた指輪……触れた者の嘘を見抜く真実の指輪ラーソンリングの効果によるものなのだ。


 母親が残してくれたというその指輪を親指で撫でながら、スフィラはまたふわりと微笑んだ。


「……だけど、ええ。一番大事なことは聞けました」

「大事なこと」

「ええ。……ですが、そのことについて話す前に」


 首をかしげるウーロにスフィラは微笑み、

 そして、


「え……」

わたくしが聞くばかり、というのも不公平ですもの。……それに、わたくしも知ってほしいのですわ。わたくしのことを、ウーロ様に!」

「……。すごい人だなぁ」


 ウーロは差し出された指輪を自分の右手薬指に嵌め、

 そしてスフィラの手を握った。





「ウーロさんなんて大っっっ嫌いですわ!!!!!!!!」


「……と。ふふ、驚きました? それが指輪を付けて嘘をつかれた時の感覚ですわ」


「背筋がぞわぞわっとしますわよね。わたくし、子供の頃からずっとその感覚が大嫌いなのですわ!」


「……強力に見えて、真実の指輪ラーソンリングは案外使い勝手の悪い魔法具です」


「触れるという条件を満たすこと自体なかなか困難ですし、『嘘』の判定基準もあいまいです。指輪のことを知っていれば、誤魔化すことも容易でしょう」


「この指輪の本質は、なのですわ!!」


「無邪気に世界を信じている幼子に、世界が嘘に満ちていることを強制的に学習させる装置」


「少なくともわたくしのお母様は、そういう意図でわたくしにこの指輪を渡したのです」


「ああ。わたくしが六歳の時に、お母様は暗殺されていますわ」


「娘のわたくしが言うのもなんですが、まあ因果応報というヤツですわ。高名な学者でしたが、百人いれば九十九人はこんなヤツは殺されて当然だと言うような人でしたもの!」


「……話が逸れましたわね。ともかくそんなお母様の英才教育や、お父様という存在のおかげで、幼いわたくしはそれはもう、人という生き物に絶望していたものですわ」


「ふふ、あの頃のわたくしはウーロさんにはお見せできませんわね。きっと嫌われてしまいますもの」


「そんなわたくしも、成長するにつれて世界と折り合いを付けることを覚えました」


「世界は、人は嘘で満ちている。そんな前提条件を受け入れた上で、自分にできることを探すようになったのですわ」


「ウーロ様と出会ったのは、その後のことでしたわね」


「浴場でウーロ様を見たときは本当に驚きましたわ。お母様の影響でずっとイカに憧れはありましたが、まさか目の前に現われるとは……と」


「え? ああ、そうですわ。イカが闇魔法を使うという説を最初に提唱したのはわたくしの母ですわ! まあ少なくとも、十年前の段階では珍説として完全に専門家たちから無視されていましたが……」


「結局お母様は正しかったというわけですわね! ……本当に、学者としては優秀な人だったのですわ」


「また話が逸れましたわね」


「ともかく。ウーロ様との出会いは、わたくしにとって大きな転機となったのです」


「白く透き通った、神秘的で美しい姿」


「圧倒的な力を示唆する、イカという種族」


「そしてなにより。『人類全員の幸福が目標』などと嘘偽りなく言ってのけるその信念」


「確信したのですわ。世界を変革する存在が、いま目の前にいるのだと」


「その日から、わたくしの人生は変わったのですわ」


「……ええ。ですから」


「ウーロ様が人類全員の幸福を目標としているという、その言葉に偽りがないのであれば」


「その一番大事なところに誤魔化しがなかったのであれば」


わたくしは、ええ。ウーロ様はやはり、救世主にふさわしいお方だと。そう思うのですわ」





 ずっと、ウーロにとっても疑問だったのだ。


 なぜスフィラ・アクォークはこれほどまでに、ウーロのことを信用してくれるのか。

 その理由の一部が、いまようやくウーロにもわかった気がした。


「……嬉しいですよ。俺も、改めてスフィラ王女のことが知れた気がします」

「それはよかったですわ!!」


 花が咲いたように笑うスフィラに微笑み返して、ウーロは指輪を返す。


「……しかしまあ、ええ。我ながら愚かな思い込みをしたものではありますわね。ウーロ様はわたくしの救世主でしたし、ウーロ様はイカの姿を持っていました。でもだからといってイカが救世主だというのは、思い返してみれば論理が破綻していますわ」

「まあ……そのあたりはお互い様です。俺もこの世界のイカが俺の世界と同じだという思い込みをずっとしていたわけですし」

「幼少期の思い込みというのもなかなか厄介なものですわね。教団の皆さまには本当に申し訳ないことをしましたわ……」


 言ってスフィラはため息をつく。


「イカこそが真の支配者ルーラーだ……なんて。少なくともそれは結局ただのたわごとでしたわ。王宮にも目を付けられていますし、教団は解散ですわね」

「……………」


 ティーカップを手に取ったウーロは、冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した。

 中身のなくなったティーカップが、ソーサーにぶつかってことんと軽い音を立てる。


真実の指輪ラーソンリングは案外使い勝手が悪い。その存在さえ把握していれば誤魔化すことも容易。……たしか、そうおっしゃっていましたね」

「え? ……ええ。多少頭が回る人なら、いくらでも真意を隠すための抜け穴は見付けられると思いますわ。たとえば――」

「スフィラ王女がさっき『ウーロ様は救世主にふさわしいお方だった』とは言っても、『自分の選択を後悔していない』とか『あなたを信じたことは間違いじゃなかった』とは言わなかったようにですか」

「…………」


 スフィラは、申し訳なさげに目を伏せる。


「……意地悪ですわ、ウーロ様」

「ごめんなさい。その言葉選びはきっと、純粋な善意から出たものなんだと思います」

「……。最初は言うつもりだったのです。『ウーロ様を信じたことは間違いじゃなかった』と。だけど、直前になって不安になったのですわ。それが真実の指輪ラーソンリングに『嘘』と判定されるのではないかと……」

「現状を見るとしかたないことです。十年近くかけて作り上げた教団は事実上解散。俺のイカの姿に特に価値はないので、海棲生物学者としての研究もほぼ無意味。偽骸蘇生フレイジオは結局王都全体を危険に晒しただけ。おまけに王宮に目を付けられていて命が危ない」

「あ……改めて列挙するとひっどい状況ですわね~~~」


 なるほど。

 あなたを信じたのは間違いじゃありませんでした! ……などとこの状況で言い切るのは、たしかに少しばかり難しそうだ。


「……ひとつ、提案があるんですが」

「え? え、ええ。なんですの?」

「教団については、俺に任せてもらえませんか?」


 突然の提案に驚いた様子のスフィアに、ウーロは片目を瞑ってみせた。


「俺が証明してみせますから。何一つ、無駄なことなんかなかったって」

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