決着

【くは……。実に興味深いな。まだ自分たちに勝ち目があると思っているのか】


 偽の支配者フェイク・ルーラーは嘲笑う。

 とはいえ、これまでのやり取りで、目の前の二人の人間が危険であることは十分に理解している。


 細身の刀を持ったシルピュア・アンバーグリスは、ただ単純に異様なほど強い。先ほどは援護があったとはいえ自身の体に刃を届かしめたし、今も視界を奪われた状態かつ海上にもかかわらず余裕を持って触手を捌いている。もともとほとんど魔力を持っていないらしく、枯渇ニュートラライズの影響が極端に小さいのも厄介だ。


 ウーロと呼ばれていた男は……率直に言って、よくわからない。魔力吸収の影響もあるだろうに、苦痛を感じさせない動きで触手を避け続けている。だがいまのところ反撃に転じる様子はない。

 何かしら秘策を持っているような口ぶりであることは間違いない。なぜか人間とイカのふたつの姿を持っていることも謎だ。そしてなにより、吸い込まれるように深い黒い瞳が自分を不安にさせる。


 そんなふうに思考を巡らせて、偽の支配者フェイク・ルーラーはいちおう警戒を強めておくことにした。

 三十七、三十八、三十九、四十。影人形の数をさらに増やす。

 今後のことを考えて魔力はかなり温存しておくつもりだったが、その貴重なストックをいくらか解放する。目の前の二人の相手に手を抜いてはならないと、古代より受け継がれるその直感が告げていた。


 万が一、勝算があるというウーロの言葉が事実であったとして。そもそも自分の体にウーロを近付けてやるつもりなど、偽の支配者フェイク・ルーラーには毛頭なかった。


「――斬ります」

『うん』


 たんたんたん、と。影のイカたちを斬り付けながら、その反動でシルピュアが空に舞い上がる。

 またたく間に海面から五メートルほどの位置に到達して、シルピュアは身を丸くしならせる。


 じりじりと冷たい殺意が空に充満するのを感じて、偽の支配者フェイク・ルーラーは楽しげに笑う。


「剣狼流、最終奥義――!!」

【くは。来い、シルピュア・アンバーグリス!】


 偽の支配者フェイク・ルーラーは正しく警戒した。


 自身の無敵性を過大評価することなく、相手の強さを正当に認識した。

 あるかどうかわからない策への対応にも手を抜かず、『あのイカの本体に近付きたい』というウーロの言葉が実現することのないよう適切に努力した。


 それこそが、


「――なんつって。剣狼流に奥義なんて存在しないんですけどね」

【は?】

『ありがとう、シルピュア』


 それこそがウーロの策であることに気付かずに。


 ウーロは現在、視界を奪われている。水の振動を敏感な繊毛で感知して相手の動きを把握してはいるが、それでもできないことがあった。

 偽の支配者フェイク・ルーラー本体と、それと同程度の性能を持った影のイカたちの区別だ。この区別だけは、視覚以外の情報で付けることができない。


 だが、今。

 偽の支配者フェイク・ルーラーは適切に努力した。影のイカたちを迎撃に回し、本体のイカを守れるよう配置した。


 


【、ぐ――!】


 影のイカたちの間隙を縫って、ウーロは海中を飛ぶ。

 警戒をシルピュアに向けていた影たちの対応は一瞬遅れる。ウーロの高速機動の前で、その遅れは致命的だ。


 わずか数瞬のうちに、ウーロは偽の支配者フェイク・ルーラーの元に到達する――


『――そう上手くはいかないか』


 その直前、ウーロの行く手を五つの影が塞ぐ。

 警戒を強めた偽の支配者フェイク・ルーラーが、先ほど追加で生成しておいた分の影だ。


 五つの影の攻撃を捌ききることそれ自体が困難な上、少しでも対処に時間をかければ偽の支配者フェイク・ルーラーはウーロから距離を取り、ふたたび影の中に紛れるはずだ。そうなればもはやウーロに勝ち目はない。


 偽の支配者フェイク・ルーラーの打った、戦いを終わらせる決着手。


 だが。


【! どこまでも――!】


 五つの影が背後から乱雑に斬り散らかされ、欠片が海中を飛散した。

 きん、と。海中でも響くほど鋭い音を立てて、シルピュアが刀剣を鞘に収める。


 餓狼之餐食ガロウノサンショク


『小悪魔さんだなぁ、俺の妹は!』

【くは。そんな可愛いものかよ――!】


 シルピュアとすれ違うようにして、ウーロは五つの影があった場所を邪魔されることなく通過する。

 これでもはや、ウーロと偽の支配者フェイク・ルーラーを隔てるものは何もない。

 戦いの決着は、一騎打ちに委ねられた。


【くは】


 偽の支配者フェイク・ルーラーは、それでも嗤う。


 一撃。ウーロが掴んだチャンスは、それでもなおただの一撃だけだ。

 なんせウーロと偽の支配者フェイク・ルーラーの周囲には、まだ大量のイカの影が無傷で残っている。斬られた影もすぐに再生する。

 いまこの状況は、圧倒的に偽の支配者フェイク・ルーラー有利の戦場において一瞬だけ生まれた間隙に過ぎない。


 ただ一撃。ただ一撃だけでもウーロの攻撃を凌いでしまえば、すぐさま周囲から影たちが駆けつける。その隙に偽の支配者フェイク・ルーラー本体は退き、影の中に紛れ込む。


 不意を突かれたならともかく、ウーロは正面から突っ込んできている。偽の支配者フェイク・ルーラーの十本の触手があれば、攻撃を一撃耐える程度は造作もないことだ。


 触手を構え、前方の敵を見据え。

 偽の支配者フェイク・ルーラーは完璧な迎撃態勢でウーロを迎え撃ち――




暗転ブラックアウト

【――――――――――――――、は?】




 


【バカな。貴様がなぜ、闇魔法を】

『動きを止めたね』


 細かいところまでよく気が回るものだな、影武者風情が。……突然視界を奪われて対応できる者はいない。貴様さえ来なければ、そこの女も確実に始末できたものを。


 偽の支配者フェイク・ルーラーは先ほどそう述べた。

 そう、突然視界を奪われて対応できる者はいない。

 当の偽の支配者フェイク・ルーラー自身も、決して例外ではない。ましてや目の前の相手が、自分の種族の特権だったはずのものを突如として振りかざしてきたとあっては。


 その硬直はやはり一瞬だったが。

 戦場においてその一瞬は、どこまでも致命的だった。


 ウーロの白い体が変質する。

 手足のうち六本が体の中に消え、四本は人の手足に変わる。髪が伸び、筋肉が隆起し、骨が通る。

 人間の姿に。漆黒に沈む瞳以外のすべてが、一瞬にして作り替えられる。


 そしてウーロはいつの間にか握った大剣を振りかぶり、

 偽の支配者フェイク・ルーラーの白銀の体を、横薙ぎに両断した。


【き、さま――!!】

『騙されてくれてありがとう、偽の支配者フェイク・ルーラー


 ふたたびイカの姿に戻ったウーロが、海中で振り返る。


『俺は、うん。もちろん闇魔法なんて使えないよ。君の視界を奪ったのは、ただのイカスミだ』

【く、そ。どこまでも小賢しい手品師が。だが……!】


 だが。

 だが結局、なんだと言うのだ。さっきのシルピュアと同じように、自分の体を真っ二つにしただけだ。


 無防備に眼前で体を晒すウーロに、偽の支配者フェイク・ルーラーは触手を振り上げる。今度こそこのうっとうしい男に死を与えようと――


【……? あ? なんだ、これは】

『再生しないよ、もう。君は負けたんだ』

【から、体が崩れていく。――貴様! 人間風情が、俺の体に何をした!】

『別に、大したことはしてないよ』


 ウーロはそう答えて、触手で頭の横を掻いた。


『ただちょっと突いただけだ。君の、致命的な弱点ってやつを』





「魔力切れ。偽の支配者フェイク・ルーラーは常に魔力を消費し続けていて、さらに魔力が切れるとその姿を保つことすらできなくなる。それがあの古代生物の弱点だ――」


 言い切りかけて、そこでウーロの動きは止まった。


 それはこれまで何度もウーロを助けてきた、本能的な直感。


「……違う」


 この道は行き止まりだという、自らも知覚できていない思考から導き出された警告。


「違う。この弱点は、。逃げに徹して魔力を補充されたら、それを止めるのは困難だ」


 前提を忘れるな。


「これはスフィラ王女が、自分の命を賭して俺に伝えようとした弱点なんだ」


 すなわち、自分の命よりも価値があると判断した情報なのだ。

 ウーロは足を動かし、倉庫の角から顔を出して大通りのほうを確認する。


 さほど離れていない場所に第四倉庫が見える。

 それ自体はまあ、当然だ。ふらふらだったウーロとスフィラは、それほど長い距離を移動していない。


 だが問題は、


「角度だ」


 ウーロとスフィラは第四倉庫の正面入口から脱出した。だがいま、ウーロの位置からその入口は見えない。


『うー、ろ。さま』

『! スフィラ王女。もう少し耐えてください。すぐに魔力を吸収する魔法の範囲外に出ますから……』

『こっちじゃ、ありませんわ。あちらの、ほうに』


 そう。スフィラはあのときウーロに指示して、大きく折れ曲がる角度で逃走経路を設定した。

 奇妙な行動だ。だがその理由についても、ウーロには察しが付いていた。


「王都の中心部と反対方向に逃げたんだ。偽の支配者フェイク・ルーラーが魔力補充のため、すぐに中心部のほうへ移動すると予想できたから」


 論理は連鎖していく。


「うん。市街地で魔力を吸収されたら、いよいよ魔力切れ狙いは絶望的になるね。……そしてスフィラ王女はその展開を予想していた。予想していたから、わざわざ倉庫から逃げるときに迂回したんだ。正面入口を出た後まっすぐ前に向かったら、王都に向かう偽の支配者フェイク・ルーラー枯渇ニュートラライズに引っかかってまたダメージを受けてしまうから」


 そしてこの時点で気付いていたにもかかわらず、スフィラはシルピュアに「そいつは魔力が切れると形を保てません。市街地には行かせないでください」という警告をしなかった。

 それはつまり、その警告に命を賭けるだけの価値がないと判断したから。

 魔力切れ狙いでは偽の支配者フェイク・ルーラーを倒しえないと考えたから。


 いま。直感がもたらした警告に、理論が伴った。


「間違いない。スフィラ王女が伝えようとした弱点は、魔力切れではない」


 背後に付いてきているらしいスフィラの気配を感じながら、ウーロは結論する。


 では。


「では。結局、スフィラ王女が伝えようとしていた弱点はなんなのか」


 それは、スフィラが自分の命を賭けて伝えようとするだけの致命的な弱点でなくてはならない。

 それは、蘇生の儀式に関連した弱点でなくてはならない。

 現在の偽の支配者フェイク・ルーラーの体は、魔力によって構築される不安定なものである。

 そしてウーロが覗き込んで偽の支配者フェイク・ルーラーの姿を確認したとき、


「……蘇生の儀式において魔力で作られる器は、生前の体の一部を元に構築される。だから水槽の中にあるはずの化石がなかったんだ。あの化石はいま、偽の支配者フェイク・ルーラーの口になっている」


 ぱちん。ぱちん。

 まるですでに完成形のわかりきっている終盤のジグソーパズルのように、ウーロは推論の空白を埋めていく。


「魔力切れを待つ必要はない。器の構築に生前の体の一部が必要ならば、それを破壊すれば形を保てなくなるのは自明の理だ」


 ぱちん。

 そして、最後のピースが埋まる。


「口を破壊すれば再生もできず崩壊する。それが、うん。スフィラ王女が伝えようとした、偽の支配者フェイク・ルーラーの弱点だ」





『その様子だと、どうやら自分でも気付いてなかったみたいだね。自分の弱点が口にあるって』

【口、だと? ……こんなもの、ただの摂食用の器官にすぎん。心臓が破れても脳が砕かれても再生する俺が、なぜ口を破壊されれば崩壊すると言うんだ!】

『そういえば、君だけは絶対に知りえないんだったね。自分の蘇生の儀式に使われたのが、自分の口の化石だったってこと。だって君がこの世界に現われた時点で、その化石は自分の体の一部に戻ってたんだから』

【は――】


 偽の支配者フェイク・ルーラーは絶句し、

 そして


【くは】


 笑った。


【……ああ。油断はないつもりだったのだがな】

『相手が悪かったんだよ』

【どうもそうらしい。……やれやれだ。また俺たちは敗れるのか】

『また?』

【最後にひとつだけ忠告しておこう、俺と同じ姿を持つ男よ】


 ふ、とウーロの視界が戻る。

 海中に降りそそぐ陽の光に、まぶしさはなかった。一瞬だけ視界に映った偽の支配者フェイク・ルーラーは笑うように目を細め、


【貴様がイカの姿を持つのならば、気を付けろ。魔王はきっと、貴様のすぐそばにいるぞ】


 そう言い残して、消えた。

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