きわめて致命的な弱点
闇系統初級魔法、
範囲内の生物全員の視界を喪失させる魔法。この魔法は現在、ウーロとシルピュアの両方に対して機能している。
ウーロが第四倉庫で見せた手品とは違う。順応しようとする視覚がそもそも存在しないがゆえの、完全な暗黒。
視覚は五感の中でも最も情報量の多い感覚だ。遮断された状態では日常生活もままならないし、ましてや戦闘などできるはずもない。
できるはずもない、のだが。
【くは……。なんだ貴様の妹は、本当に人間か?】
「そのつもりですよ、いちおう」
『すごいだろ? うちの妹、人類で一番強いんだ』
シルピュアは、視界を奪われた状態で、なおかつ海上で、無数に襲いかかる触手を完全に捌ききっていた。
【は。くだらん妄言を吐くものだな】
「妄言ではありませんよ」
常に海面にいるわけではない。時に海面から跳躍し、時に影の触手の攻撃の反動を利用して移動する。誰がどう見ても、見えていない人間の動きではない。
影の触手を切り刻みながら、シルピュア・アンバーグリスは見えない片目をつむる。
【……本気で、貴様が人類最強だと?】
『そして人類一かわいく、人類一賢くもあるんだ』
「いやそれは普通に妄言ですけど」
その動きは一秒ごとに加速する。
見えない世界に適応しているのだ。この戦いの中で。
「でもウーロさんに教わった剣の道と、わたし自身が費やした時間は否定しません。わたしはまあ、人類最強ですよ」
【……くは】
言い切ったシルピュアに興趣をそそられて、
【面白い】
『そう、俺の妹は人類一面白くもあるんだ』
「うるさいですよ」
実際のところ、シルピュアが触手の連撃を捌けているのにはいくつか理由がある。
最大の要因は単純に、彼女の素の力量が異常に高いことだ。暗黒の中でも触手が風を切る音を聞き分け、的確に対処している。
人類最強という自己評価もあながち過大ではないのかもしれない。そう
『もともと君だって予想してたんだろう? 時間さえあればシルピュアが暗闇に適応するって。だから最初から視界を奪う魔法を使わず、とどめの瞬間で不意を突くために利用したんだ』
【細かいところまでよく気が付くものだな、影武者風情が。……突然視界を奪われて対応できる者はいない。貴様さえ来なければ、そこの女も確実に始末できたものを】
『そんなことは絶対にさせないさ』
そして。ウーロとシルピュアの会話によってカムフラージュされてはいるが、実際にはシルピュアが触手の連撃に対抗できている理由はもうひとつある。
四と七。ウーロがシルピュアに送ったアドバイスだ。
イカの十本の触手は、すべてが同じだけの働きをするわけではない。四本目の触手と七本目の触手――
だがウーロの言葉によって、シルピュアは気付いた。特別に警戒を要する二本の触手と、比較的危険度の低い八本の触手の違い。
それゆえシルピュアは、先ほどの突撃よりも高い精度で処理すべき触手を判断できているのだ。
……まあそれも、音だけでそれが何本目の触手か判断できるシルピュアの異常な力量あってのことではあるが。
さらに。
【妹もそうだが、ふむ。貴様もなかなかに良い動きをするな、影武者よ】
『まあ、イカだからね。海中は俺も得意分野だよ』
イカの進行方向は基本的に決まっている。漏斗で水を噴射し、目が付いているのとは逆の方向に進むのだ。
視界の反対方向に思い切り移動しようとするので、狭い水槽だとガラスに頭をぶつけて死ぬことが頻発した――などという話すらある。
だが実は、漏斗の向きは360度自在に変更できる。
明晰な思考力と戦闘経験を持った『乗り手』がイカの体を制御すれば、実現されるのは――
【超高速の、水中立体機動。くは。百十の触手を、よくもすいすいと避けられるものだ】
『まあ相手も体の構造はおなじわけだけど……このへんは戦闘経験の差だね』
ウーロが潜った海中には、海面と同様に十の影が待ち構えていた。
ともかくウーロはそんな影たちの連撃を素早くかいくぐり、攻撃を回避し続けている。こちらも目が見えていない状況にもかかわらずだ。
存外にやるものだな、と
海上で刀剣を振るうシルピュアと合わせて、ともに人類有数の実力者であることは間違いない。
そう冷静に状況を分析し、
【くは】
笑った。
【ああ、ああ。十分に理解できたよ。貴様らは強い。精神力も十全だ。俺の魔法にもすぐさま対応した。――で?】
シルピュアが切り落とした触手の数は、とうに百を――いや、すでに千を越えているだろう。人類最強を自称するにふさわしい力量がうかがえる、まさに神業だ。
ウーロのほうも、触手を回避する動きの精度がどんどん鋭さを増している。
……だが。
【無意味だ。いくら切り刻んでも触手は再生する。俺の体もな】
『……え。そうなの?』
「体を両断しましたが、一瞬で再生していました。今のところ再生能力に限界があるような様子もありません」
触手の連撃は終わらない。
千の触手を切り飛ばしても、その勢いは最初とまったく変わっていない。きっと一万切り飛ばしても十万切り飛ばしても、状況が変わることはないだろう。
【大道芸は堪能したよ。見事に芸を磨いたものだ。それで、これからどうする? 貴様らが消耗し尽くすまで、ただこれを続けるのか?】
『…………』
【くは……。それとも影武者よ。貴様は見付けてきたのか? あるいは愚かな王女にでも聞いてきたか?】
嘲笑の色を隠すことなく、
【不死身の俺を殺す方法。――今の俺の体の、致命的な弱点を】
●
ウーロがシルピュアの元に駆けつける、その少し前。
「……さて。それでは推論を始めるにあたって、まずは整理しておきましょう。
見慣れない倉庫の裏で、ウーロは立ち上がり、あたりをうろうろと歩き回りながら言葉を紡ぐ。さながら推理小説の解決編のような趣きだ。
スフィラも上体を起こし、体育座りでウーロの様子を眺めている。
「有益な助言をしようとしたらそれを聞く前に殺す」という脅迫がまだ有効であることは念を押してあった。
……が、そんな脅しがなくとも今のところスフィラに口を挟むつもりはなさそうだった。
「結果から見るに、スフィラ王女が実行した儀式の性質は事前に俺が予想したものとほとんど同じだと見ていいでしょう。死者の体の一部と死者に酷似した容姿の者を揃えることで、一時的にその死者を蘇らせることができる秘術」
そこまで事前に気付いていたんですのね! ……と言いたげなスフィラだったが、実際には何も口にしない。
おそらくウーロの発言を肯定することも死のトリガーになりうるのだろう。そう判断したウーロは、返事を待たずに続ける。
「……うん。だけど、やっぱりおかしい。今回第四倉庫で行われた蘇生の儀式は、国防のために想定されている秘術の使い方とは微妙に異なるはずだ。だって今回の儀式は魔力を使いすぎている」
ウーロの中にあった違和感が、言葉にすることで整理されていく。
「千人規模の魔力を注ぎ込んでようやく一人の英雄を復活させられるなんて、ちょっと効率が悪すぎる。これじゃあとうてい国防の切り札になんてならない。……それに、うん。蘇生に大量の魔力が必要なら、こんなに
つまり。
本来の蘇生の儀式では、魔力は――少なくとも今回のような大量の魔力は――消費されない。
ならば、当然代わりに消費されるものがあるはずだ。今回の儀式では消費されていないが、本来の蘇生の儀式では消費されるもの……
「……器か」
スフィラが、若干不自然な動きで首をこきこきと鳴らした。
……たぶん肯定のうなずきをしようとして、それも死のトリガーを引く可能性がある行動だと気付いて首を鳴らす動作に移行したのだろう。
わりと綱渡りな状況への焦りと、それからスフィラの行動への若干の微笑ましさとを感じながら、ウーロは言葉を続ける。
「うん。本来なら死者は、自分に酷似した容姿の人間を器として蘇るんだ。でも今回の儀式では、俺の体はあの古代のイカに乗っ取られてはいない。代わりに消費された大量の魔力が、死者を入れるための器を無理やり構築するために使われているってことだ。……俺のことを器として消費しないために、こういう形を取ってくれたんですね」
こきこき。
「つまり。
よし、とウーロは自分が結論にたどり着いたことを確信する。
スフィラが語ろうとした
「魔力切れ。
●
【魔力切れ。それがこの体の俺が持つ、唯一にして最大の弱点だ。……いや、弱点だったというべきか】
止まらない連撃を浴びせ続けながら
その連撃の数が増えていることに、ウーロもシルピュアも気付いていた。
百二十、百三十。影人形が増え続けている。
【あの薄汚れた倉庫において、それは俺の致命的な弱点だった。あそこにいた人間どもの魔力はほとんど吸い尽くし、それでもなお十分な魔力を確保できてはいなかった】
「…………」
【スフィラ・アクォークは、あの段階でシルピュア・アンバーグリスに警告を発するべきだった。蘇生術に隠された秘密を教え、なんとしても俺を倉庫から出すなと伝えるべきだった。だが愚鈍な王女はそれをせず、俺は巨大な人の巣にたどり着いた】
そうして十分に魔力を集めた影人形が、いま続々と本体の元に戻ってきている。
【もはや俺に魔力切れの心配はない。さて、人間の勇者たちよ。貴様らにこの状況をひっくり返す一手はあるか?】
「……あんなこと言ってますけど。どうなんです? ウーロさん」
『ひとつだけお願いがあるんだ、シルピュア』
黒い触手の攻撃をするりとすり抜け、ウーロは言う。
『あのイカの本体に近付きたい。シルピュアには隙を見て、そのための道を切り開いてほしいんだ』
「……。そうすれば勝てるんですね?」
『うん』
「わかりました」
【くはっ】
白銀の悪魔が嘲笑う。
王都のはるか上空、海の中で。
きっと人類の運命を握るこの戦いは、ついに最終局面を迎えようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます