女剣士は触手に勝てない

「っ、はぁ……! はぁ……!」

【くは……。存外に粘るものだな、人の子よ】


 十体のイカの、百本の触手。

 その圧倒的な物量をシルピュアが相手し始めてからすでに十分ほど。

 全身を傷だらけにしながらも、シルピュアはなんとか偽の支配者フェイク・ルーラーの猛攻を耐え忍んでいた。


【俺と距離をあけてつかず離れずの位置関係を保ち、攻撃を凌ぐことに専念する。そうすることでなんとか時間を稼いでいるわけだな。……だが、当然わかっているだろう?】


 偽の支配者フェイク・ルーラーの影が、またひとつ増える。


【この巨大な人の巣で戦っている限り、時が経つごとに俺の魔力は増していく。時間は貴様ではなく俺の味方だということだ】

「……さっきから、ぐだぐだとやかましいですね」


 ちらりと視線を横に流しつつ、シルピュアはため息をつく。


「いいですよ。そんなに短期決戦がお望みなら決着を付けてあげましょう」

【ほう?】


 たん、とシルピュアがうしろに跳び、偽の支配者フェイク・ルーラーから大きく距離を取る。

 一見逃げ腰の行動だが実際はそうではない。勝負を決める一撃の、その予備動作だ。


【……面白い】

「斬ります」


 一度触手の射程圏外に出たシルピュアが、距離を詰める偽の支配者フェイク・ルーラーによってふたたび射程圏内に入るまでの一瞬。

 その一瞬でシルピュアには十分だった。


 足に作ったタメが、暴力的な加速となって解き放たれる。


【実に面白いぞ、シルピュア・アンバーグリス!】


 それは、シルピュアの仕掛けた超短期決戦。

 百本の触手による防衛をかいくぐり、偽の支配者フェイク・ルーラーに斬撃を浴びせられればシルピュアの勝ち。

 だが一瞬でも足を止めれば、近距離から触手の連撃が降りそそぎ――よほどの奇跡でもなければ、死は免れないだろう。


【人の子ひとり、この俺の連撃を捌ききれるか!】

「―――――」


 まずは一本。先触れとして襲い来る影の触手を、シルピュアは刹那にも満たない間に切り落とす。

 続けて二本。三本。四本、五本、六本七本八本九本


【くはっ】


 十本十一本十二本十三本十四本十五本十六本十七本十八本十九本二十本二十一本二十二本二十三本二十四本二十五本二十六本二十七本二十九本三十本三十一本三十二本、


【なかなか悪くない太刀筋ではあったが】


 シルピュアの動きは、ほとんど完璧だったと言っていい。

 だが、詰んだ盤面は技量によってひっくり返らない。


 まさに詰め将棋のごとく、偽の支配者フェイク・ルーラーの影たちは触手を捨て駒にシルピュアの動きを誘導し、制限し、そしてついに王手をかけた。


 三十三本目の触手が、シルピュアの背後から襲いかかる。それは決して回避も迎撃も間に合わない角度で、


【これにて決着だ。健闘を称えよう、人間の勇者】

「……。ふ」


 しかしそれでも、シルピュアは笑った。


 そんな彼女の心臓を、無慈悲な影の触手が貫い


 ぱぁん!


【――――は?】


 炸裂音がして、三十三本目の触手は弾け飛んだ。





 王立都市警備隊副隊長ツェッケル・クラウズは、決して評判のいい男ではない。


 息をするように部下を罵る。都民も罵る。上司のことは一番口汚く罵る。平気で汚職をする。暇なときは捕縛した罪人を殴る。酔ったときは部下も殴る。平日はいつも詰め所で賭け事に興じている。その賭け事でもイカサマをする。イカサマを指摘した部下は適当な理由を付けて前線に送り込む。


 わりとろくでなしぞろいの王国軍においても、上司にしたくない男ランキング筆頭候補とされる男だ。

 直属の部下たちを同じ部屋に集めて放っておけば、すぐにでもこの男の悪口大会が開催されるだろう。


 ――だがそれでも。彼がどれだけ嫌われていようとも。

 ツェッケル・クラウズを無能と誹る部下は、その中に一人もいないはずだ。


「――おし。当たったな」


 王都で最も高い建造物である時計塔。

 その見晴台から高濃度の魔力の弾丸を放ったツェッケルは、そう呟いた。


「さ、さすがです副隊長。この遠距離からあんなに的確に――」

「死ね」

「え」

「お前らも全員掃射。言われなくてもわかれカス」


 時計塔に配置された都市警備隊の面々――遠距離からの魔法攻撃に優れた選抜メンバーだ――が、慌てて一斉に狙撃の準備に入った。

 狙う目標ははるか先。シルピュア・アンバーグリスと対峙する、偽の支配者フェイク・ルーラーとその影だ。


「我らがクソ隊長に当たらなきゃ、多少狙いは雑でいい。外部からの干渉はもう俺のでバレてるから遠慮せず魔力の限り打ち込め。温存すんなよ」

「は、はい!」

「返事すんなボケ。射撃に集中しろ」


 第四倉庫に向かう途中で都民が倒れている現場に遭遇したツェッケルは、すぐさま予定を切り替えた。


 倒れている王都民の証言から、敵対存在に接近すると魔力を吸収されることを把握。人員を狙撃要員とそれ以外に分ける。

 狙撃要員は高所に配置し、魔力吸収の範囲外から相手に攻撃できるよう用意させた。それ以外の人員は魔力吸収の範囲の少し外で王都民の避難誘導に当たらせ、敵対存在への魔力供給を少しでも減少させる。


 なお、すでに倒れている王都民は無視するものとする。避難させるのに手間が掛かる上、どうせあまり魔力も残っていないので吸収されてもあまり痛手にならないため。


「あの触手、なぜかまあまあ固ぇぞ。ちゃんと魔力込めろよゴミカスども」

「――――」

「返事しろボケ。耳付いてねえのか?」

「あ……すみません。了解しました!」

「うるせえよ」


 部下を理不尽に叱責しながら、しかしツェッケルは他の誰より正確に触手を打ち抜いていく。

 空中にいくつも重ねた氷のレンズがスコープの役割を果たし、はるか遠方の戦いを拡大している。その中に写った銀髪の剣士を睨んで、ツェッケルはため息をついた。


「位置もバレたろうし、この女が負けたら俺ら全員死ぬな。……頼んだぜ、堅物クソ隊長。お前みたいなのが俺の上司をやれてんのは、ただバカみたいにつええって理由だけなんだからよ」





【なん、だ。狙撃――?】

「――――」


 三十四、三十五三十六三十七三十八三十〈ぱぁん!〉十四十一四十二四十三四十四四十五四十六〈ぱぁん!〉四十八四十〈ぱぁん!〉五十一五十二五十〈ぱぁん!〉〈ぱぁん!〉


【く――】

「――王国軍は、たしかに九割ほどが無能なクズですが」


 六十〈ぱぁん!〉〈ぱぁん!〉十五六十六六十七〈ぱぁん!〉十〈ぱぁん!〉七十〈ぱぁん!〉十六七十七〈ぱぁん!〉〈ぱぁん!〉〈ぱぁん!〉〈ぱぁん!〉


「残りの一割、有能なクズも在籍しているんですよ」


 シルピュアが偽の支配者フェイク・ルーラーへの突撃を敢行したのは、ただの無謀ではない。

 十分な時間が経過し、有能なクズであるところのツェッケルが配備を終えたことが確信できたこと。近辺で最も高い建造物である時計塔から斜線の通っている場所に、偽の支配者フェイク・ルーラーを誘導できたこと。

 これらの事実に裏打ちされた、十分に勝算があると判断したゆえの超短期決戦。


 そして、


「――これで」

【馬鹿な。この俺が、人間ごときに】

「終わりですね」


 その賭けに、シルピュアは勝利した。


 百本の触手を乗り越え、いまシルピュアは偽の支配者フェイク・ルーラーを包む海水の前で刀剣を横に振りかぶっている。


【待】


 横薙ぎの剣撃が、偽の支配者フェイク・ルーラーの体を真っ二つに両断した。





 たん、と足音も軽やかに、シルピュアが屋根の上に着地する。


 ――その、背後で。


【くは。……なんてな】

「……冗談きついですよ、本当に」


 くるりと振り返ったシルピュアを、偽の支配者フェイク・ルーラーと影人形たちが笑う。


 切り離された触手が再生しているのは想定の範囲内。

 だが再生しているのは触手だけではなかった。ほんの数秒前に切り裂いたはずの偽の支配者フェイク・ルーラーの体も、まるで切断などされなかったかのようにきれいにくっついている。


【実際、0.1%くらいは死を覚悟したぞ。俺の再生能力がこの仮初めの体で完全に機能するか、厳密には俺にも判断が付かなかったからな】

「……。まだ」


 それでもまだ、諦めるつもりはシルピュアにない。

 ふたたび大きくうしろに跳ね、偽の支配者フェイク・ルーラーから距離を取る。


【くは。諦めが悪いな。素晴らしいぞ、良い戦士の条件だ】

「当然です。わたしは――」

【機動力で俺を上回っている。だから俺にとどめを刺せなくとも、足止めしたり魔力吸収を妨害したりすることくらいはできる。そんなところか?】


 内心を言い当てられ、シルピュアはわずかに動揺する。


【海中ならともかくこの環境では、貴様の速度は俺を上回っている。くは。まさか魔法もなしに俺より速く動く人間がいようとはな】

「……ずいぶんご親切なんですね。自分からわざわざ弱点について話してくれるなんて」

【大した弱点ではないからな。それに、ほら】


 偽の支配者フェイク・ルーラーが触手の一本をもたげ、シルピュアの背後、上空のほうを指してみせた。


【もう弱点ではなくなった】


 シルピュアは、振り返った。


 敵を間近にしてやや不用心な行動ではあったが、今の立ち位置は偽の支配者フェイク・ルーラーの射程範囲外だし、機動力は自分のほうが上だ。問題ないと判断した。

 実際、その点で問題はなかった。

 というより、もっと大きな問題があった。


「……………………。は?」

【どうやらこの国には海がないようだったのでな】


 シルピュアの背後、上空高く。


【海を持ってきたぞ】


 そこに、巨大な――あまりにも巨大な、水の塊があった。

 その塊は、ほんの十秒ほどのうちに王都の上空を覆い尽くし。


【我が故郷へようこそ、シルピュア・アンバーグリス】


 そして、海が降ってきた。

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